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『人生は暇つぶし』

お久しぶりです。
noteサボってました。みらい@『  』です。
書きたいこと沢山溜まってるんですけど、
久しぶり今日は色んな人に抱かれたこんな疑問について書いていきます。


なんでそんなに休みなく動いてるの?
なんでそんなに忙しいの?ってよく聞かれるからなんでだろうなぁって考えてみた。

多分きっと生きることに興味がないからなんじゃないかって答えに辿り着いた。

ここで1つ疑問が生まれるであろう。
何故生きることに興味がないのにそんなに予定を詰めるのか、興味がないなら何もしないのではないかと。

一見矛盾しているように見えるだろう。
しかし私の中では何も矛盾してはいない。
それはどういうことか。

1つ目
私の予定はその予定に対する「衝動」と「欲求」と「時間の有無」で埋まっているからだ。
例えば、今は月曜日の午後
推しのライブが次の日曜の夜にある事を知る。
予定はない。そのライブには興味がある。行きたい。
ここで1つ予定が決まる。
火曜の午後、友人から日曜空いてる?と聞かれる。
午後はライブだが午前は空いてるので事実のまま答える。午前の予定が埋まる。
この容量で少しでも時間が空いていて需要と供給が合致すると予定を埋めてしまう。

その結果気づいたときには分刻みのスケジュールになっていたりする。
それでも生きてるからOKくらいの認識。
もちろん疲れるけど。


2つ目
私は生きること自体に興味がない。
言ってしまえば人生は「死ぬまでの時間つぶし」
それが何年潰さなきゃいけないかは知らないが。

長生きしたいなら適度な休養を取り健康を気遣うだろう。
しかし私は長生きをしたいと思ってない。
だから予定を詰めて分刻みのスケジュールが何日続こうとも、それが寿命を消費するような行動だったとしても私には何もダメージがない。
正直いつ死んだっていいと思ってる。

その時その瞬間、その予定が楽しくて満たされたと思えたらそれでいい。その方がいい。
燃えて燃えて燃え尽きるならかっこいい。

はぁ〜今日も楽しかったって思ってるうちに死ぬなんて最高じゃないか。

ということで私は人生を楽しもうとしてるのではなくその時その瞬間を楽しもうということしか考えてないから一般人とは思えないスケジュールで生きているのである。

大好きなワルキューレの言葉を借りるなら
瞬間完全燃焼、命懸けで楽しんじゃえ!だ。

だから今日も酷いアレルギーと重度咽頭炎で鼻呼吸と声を失ってもオタ活をしていた。

命削りながら楽しんだ方が楽しい。
命を削ることで「生きる」を実感しているのかもしれない。

明日も命を削って衝動のままに生きよう。
自分が楽しけりゃそれでいいんじゃない?


最後までご覧頂きありがとうございました。
世の中目を背けたくなるようなニュースも多いですが、小さくてもいいから自分にとっての「楽しい」を見つけて過ごしていけたらいいなって思います。

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それでは、またいつか…

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