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82歳、15日間のイタリアひとり旅

イタリアが呼んでいる。
早くおいでと。
何しろ4年も空白期間があったから。

イタリアに初めて行ったのが2012年、JTBのパッケージツアーでフィレンツェを訪れた時に、神話の世界に足を踏み入れたような強い刺激を受けた。翌年1月イタリア人からイタリア語のレッスンを受け始め(これは今でも続いている)、
7月にイタリア語を学ぶためフィレンツェに一カ月の語学留学。留学中72歳の誕生日を迎えた。

以来毎年1,2回フィレンツェ、ローマ、シチリアを訪れていたが、2019年のプーリア周遊旅行を最後にコロナ休暇に入ってしまった。コロナが明けた今回フィレンツェ、ローマ、シチリアを15日間で回る旅にでることにした。いままで行った中で一番思い出が多い3都市にしぼった。

妻から「どうしても行きたいんだったら、これを最後にしてね。高齢だから心配」と言われた。息子たちからも心配されたが、自分ではなにも心配する気持ちはなかった。

2023.11.8 :羽田からローマへ

カミュに「旅の価値はその不安にある」という言葉があるそうだ。この時点ではワクワク感だけ。イタリアの町を歩き始めたあたりから、この旅の大変さに気が付き始める。

2日目:ローマの朝

カンノーロ

駅から徒歩5分のホテルなので、朝・昼兼用の食事は駅二階のレストラン街で。なんでこれがここに?シチリアを代表するお菓子。カンノーロ。限りなく甘いのに、リコッタチーズのせいですんなり食べられる。おいしい。

SIM交換
ローマに着いて最初にやったことはローマ駅構内の携帯会社TIMの店に行き、SIM交換をしてもらいました。30日間有効で、50GBのインターネット利用が35ユーロ。所要時間は10分程度。Google Mapなどで使いまくっても、50GBあれば全然心配ありません。

イタリアの一人旅はローマから。今月から冬時間になったので時差は8時間、イタリアの午前10時は日本の午後6時になります。今日は72時間地下鉄バス乗り放題のカードを買って、ヴァチカン市国に入り、システィーナ礼拝堂と隣のヴァチカン美術館を見学しました。

システィーナ礼拝堂とヴァチカン美術館

礼拝堂は祭壇と天井画が光り輝き、神父の祈りの声が語り掛けてきます。神父の姿が見えなかったので、神の声だったかもしれません。

最後の審判

最後の審判の裁きはきびしそうで、これからの身の処し方で何とか挽回しようと反省しました。

3日目:ローマからオルビエートへ

オルビエートは高台の上にそびえたつ美しい天空の町として知られる。大聖堂はゴシック様式で、フレスコ画に彩られた内部も、ボーダー柄の外壁もどうしてこんな小さな町に、こんなに立派な教会が、と数年前に来た時も驚いたほど。ローマについたら真っ先に行きたいと思っていた。

ローマ駅のホームでオルビエートに行くのに、何故このアンコーナ行きに乗ったかが謎。種明かしはこの掲示に。

掲示は13:22発が20分遅れ(RITARDO遅れ20’)。アンコーナ行きが遅れているために、オルビート行き (13:28)が入れず、間違ってアンコーナ行きに乗っちゃった。

ローマを出て2時間くらい、そろそろオルビエートに着くころだと思っていたら、改札が来た。私の切符を見て”オルビエートに行くのになぜこの列車に乗っているのだ?”と。私は”オルビエートに行くのだ”と頑張る。彼の説明はよくわからないので、ノートに書いてもらった。

それによれば、オルテまで戻ってオルビエート行きに乗り換えなさい、ということ。オルテが分岐点で東に数時間行けばアドリア海に面した港湾都市、アンコーナに。西に30分くらいでオルビエートに着いた。あたりは暗い。 駅の向かいが🚠乗り場。

オルビエート駅前のケーブルカー乗り場

ローマを発ったのが1:42、オルビエートに着いたのは結局17時過ぎ。高地のせいか寒く、暗い。雨が氷雨のように冷たく感じられた。世界一美しいと言われる丘上都市も台無しだ。オルビエートは平地に突然隆起した切り株のような地形で、町に入るためには、ケーブルカーに乗らなくてはならない。

小雨の降る中、町を通り抜けしばらく行くと大聖堂が。ゴシック様式の壮麗な大聖堂も5時で閉館のために入れず、外観だけ。内部のフレスコ画を見られなかったのは残念。

オルビエート大聖堂


4日目:ローマ市内

フォロロマーノ カピトリーノの丘から

仙台もずいぶん寒くなったようですね。 ローマも昨日は早朝から雨で、気温も突然下がりました。 イタリアで雨は珍しく私の体験した記憶では3回目くらいです。 7年前の5月シチリア南部のアグリジェントで神殿見学中、突然強い雨が降り始めました。ガイドが今年初めての雨です、と。雨は10分くらいでやみました。

昨日は天気も回復し、コロッセオからカピトリーノの丘まで歩くうちに汗ばむくらいでした。 カピトリーノ美術館で、5年ぶりにカラバッジョの作品に出合いました。 「女占い師」と「洗礼者ヨハネ」の二点です。

古代ローマの建国者たちは独身の男たちがほとんどで、子孫を残すために近隣のサビーネ族の未婚の女たちを略奪をした。  ピエトロ・ダ・コルトーナ
女占い師 指輪を抜き取る瞬間 カラバッジョ


オペラ初体験 椿姫 La Traviata

オペラ椿姫 La Traviataを見ました。オペラ初体験です。 午後8:30開演で、終演は11:00でした。 終わったときは長いスタンディング・オベーションでした。 椿姫の歌詞はわからなかったけど、ストーリーは知っていたので、楽しく見ることができました。 終演は私にとっては深夜ですが、イタリア人は宵っ張りなので、この後は懇親会かな。

ローマの4日間で特筆すべき事柄があります。マスクをしてる人が一人もいないことです。何万人の人に出会ったか知りませんが、マスクをしている人には一人も出会いませんでした。

5日目:ローマかららフィレンツェへ 
特急電車イタローで2時間6分。

早速、ホテルの近くにある中央市場メルカートチェントラーレへ

フィレンツェ 中央市場 メルカート・チェントラーレ

市場に入ってすぐのところにあるのが、一番人気のネルボーネの店。トリッパの煮込みをパニーノに挟んで食べます。フィレンツェに来たときは必ず寄ります。この市場は1階は野菜、魚介類、肉屋などで、干しポルチーニを買いました。100グラムで20ユーロでした。2階はレストラン街でいつもにぎわっております。今回も夕食は大概この2階で食べました。

6日目:フィレンツェ オペラコンサート

オペラは撮影禁止です 開始前にパチリ


今日のオペラはタイトルが「オペラコンサート」でした。アルノ川を越えたところにある教会で開催されました。ソプラノとバリトンの歌手が一人ずつ、ピアニストが一人の3人の演奏でした。歌手の振り付けは本番さながらでした。多分。

曲目はフィガロの結婚、トスカやカバレリア・ルスチカーナなどのオペラの中で歌われる有名な歌曲を独唱や合唱で、またピアノソロも含めて11曲を演奏してくれました。ローマでの椿姫は私自身、オペラ初体験ということもあって緊張気味でしたが、今日はコンサートなので楽な気分で臨みました。

カブリツキの席なので最高音で盛り上がったアリアが、激流のように私の脳を直撃する瞬間が11回もあり、完全に砕け散りました。アンコール曲はナポリ民謡の「オー・ソレ・ミヨ」でした。最後にカンツオーネを持ってくるなんて憎いですね。

7日目:フィレンツェカード
これまでイタリアに9回来ていて、雨には3回しか会ったことはないと豪語しましたが、今回は雨の多いイタリアです。私が日本から異常気象を持ってきたのかも。ただし昨日、今日は晴れで、フィレンツェ市街を一望にできるミケランジェロ広場では日差しがまぶしくて、サングラスをホテルに置いてきたことが悔やまれました。

美術館・博物館・礼拝堂など数十カ所の施設に入場できるフィレンツェカードを85ユーロで買いました。前回よりだいぶ値上がりしました。たくさん回って元を取らなければ、という気持ちになります。高額なところではウフィツィ美術館(25ユーロ)、アカデミア美術館(13ユーロ)ですが、この2か所は事前予約が必要だと言われました。

実際行ってみると、オフシーズンのせいか、2か所ともすんなり入れてくれました。フィレンツェカードは優先入場券なので、数十人が並んでいるところを、特別な入り口(赤いテープが貼ってあったり)から入れるのは、晴れがましい気がします。

先ずはウフィツィ美術館から

ボッティチェリ 「プリマヴェーラ」春

8日目:洗濯物
ブオンジョルノ !  朝から夕方までは誰に会っても、ブオンジョルノでOKです。ホテルの職員からチャオと声をかけられました。親しみを込めた言い方です。旅行には最小限の衣類しか持ってきませんので、洗濯物がドンドンたまってきます。

夕方、ホテルの近くのコインランドリーに、特大のレジ袋にいれて持ち込みました。フィレンツェでは前回来た時も利用したので大丈夫と思っていました。設備が一新されていて説明書きもなく呆然としていたら、先着のご婦人方が教えてくれました。

硬貨入れを開いて2ユーロを2枚取り出すと、その内の一人が1ユーロ硬貨しか受け付けないからと私の硬貨入れから4枚取り出し、はい!スタート。
乾燥機の番になって硬貨挿入の時、先ほどの女性が自分の2ユーロを入れてくれました。私の硬貨入れの中身を見ているので、1ユーロ硬貨が無くなっていることも分かっていたのです。

昨日、ウフィツィ美術館で歩き回っていたら、なんとコインランドリーで出会った親子連れの人たちの二組と、別々に出会いました。チャオ!です。
旅は楽しい。

アカデミア美術館

ダヴィデ像 ミケランジェロ

このダヴィデ像はシニョリーア広場やミケランジェロにもありますが、それらはレプリカで、本物はこちらです。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、カラバッジョ、ラファエロなどの名画や彫刻を堪能し、生まれ変わったような気がします。

9日目:フィレンツェからシチリアの州都パレルモへ。

フィレンツェからローマ・テルミニ駅までは特急電車イタロ。ローマ駅から空港へはレオナルド・エキスプレスで。その先はパレルモのファルコーネ・ボルセリーノ空港へ。一晩寝て元に戻った私はフィレンツェを後にします。(ファルコーネとボルセリーノはマフィアと戦って爆殺された二人の裁判官の名前です。)


10日目:パレルモ
こちら午前7時、仙台は午後3時ですね。パレルモに昨夕着きました。パレルモは4回目です。ホテルで一段落したあと夕食に出かけましたが、パレルモは庶民的で、おいしいものを食べても飲んでも懐にやさしい町です。

ホテルが見つからない
ホテルに入るまでは大変でした。ホテルの住所はシラクーサ通りの7番地とあります。イタリアの番地は片側が奇数、反対側が偶数で、例えば1番地の次は2番地ではなく3番地になります。とにかく開いている店には、くまなく飛び込んで尋ねてみたけど、「新しいホテルかな?わからない」という返事ばかり。

奇数側の大きな建物に入っていくと、一人の女性が出てきた。じっと私を見つめたうえで、わかりました、私に任せてと。どうやらそこは31番地くらいで(実際には番地などどこにも表示されていない)7番地はかなり離れていた。そしてついに見つけてくれました。グラッツェ(ありがとう)というしかない。

その細長く高いビルの入り口の壁には、たくさんの入居者名と番号が書いてあり、その番号を打ち込むと、相手の応答があって、遠隔でガチャンと音がして、入り口のドアの錠が外れる仕組みになっている。しかしそこにはホテルの名前はなかった。

プリントしてあった電話番号には最前かけてみたが、女性の声で、世界3大早口の国のスペインに次いで第3位を誇るイタリア語でも尚、流ちょうな声で一方的にまくしたて、切れてしまった。呆然としていたら、彼女が戻ってきてくれた。

プリントの番号に電話してくれ、早口対決を制してくれ、ガチャンと錠が外れた。扉を開け、中に入ったうえで、グラッツェを2回とグラッツェミッレ(千倍もありがとう)と言って頭を下げた。私にとって、マリア様、いやシチリアなので聖アガタ様だ。

エレベーター事件
しかしそれだけでは終わらなかった。がらんとしたエントランスには古色蒼然とした、エレベーターと階段だけ。エレベーターは日本では日本橋松坂屋にしかないような古式のもので、内側の扉は鉄格子が交差するもの。完全手動操作の蛇腹式扉というそうです。しかし動かない。びくともしない。上の方に何か書いてあるが暗くて読めない(明るくてもだめだろう)。多分故障中だから,あきらめて階段を利用してくれということか。

プリントには7階とか書いてある。イタリアでは地上階は0階から始まるから、実質8階。スーツケースを置いて、リュックだけで階段を上がったが、暗くて何階を上がっているかわからない。肩で息を切らしながら、頂上近くに上がったところで、いつまでたっても到着しない私を探して、ホテルの女性職員がおりてきた。

私は怒りをぶつけた。エレベーターが故障だ!スーツケースを置いてきた!
ホテルのロビーで休んでいるうちに、彼女がスーツケースを運んできて、エレベーターは故障していない、と。説明を聞いて、思い出した。息子がロンドンで住んでいたアパートのエレベーターも同じ仕組みだった。エレベーターに乗ったら、0階に固定されている外の扉を閉め、箱の鉄格子の扉を閉めて階のボタンを押す。私は表の扉を閉めてなかった。 

彼女はほっぺたを膨らませていたが、高島屋には表扉がなかったし、日本人でこの仕組みの経験があるのは息子と私と妻くらいだろう。

このホテルはすべて新品で清潔で気持ちがよい。とくに浴室にはシャワーの他に、バスタブがある。熱い湯につかり、頭の中の流せるものはすべて流した。快適。

浴室への扉の飾り

11日目:夕食

ディ・マルチーノの店 

ホテルから近いのでよく行きました。生ハムのカルパッチョ。荒削りのパルミジャーノチーズがたっぷりかけてある。イタリアではビールとワインを交互に飲む人は珍しいかも

12日目:ローマからチェファルー

チェファルーの大聖堂は工事中だったけど、海岸に出ると往年の名画、ニュー・シネマ・パラダイス、ジュぜっぺ・トルナトーレ監督、作曲がエンニオ・モリコーネのロケ地に出会った。

映画では右側の茶色の建物から、左側の白い壁に向けて少年が映画を投影した


13日目:モンレアーレへ

モンレアーレへはパレルモ中央駅からバスで30分くらい、パレルモの庭先のような近さ。見るべきものは大聖堂です。その総面積はヴェネチアのサン・マルコ聖堂をしのぎ、イスラム、ビザンチン、ビザンチン、ロマネスクの融合は、ノルマン朝の最高傑作のひとつと言われているそうです。

大聖堂から裏側の修道院へは、正方形の中庭を囲んで美しい回廊が巡っている。ひし形模様が施された尖頭アーチを支えるのは2本の柱が1組となった列柱で、合計216本の白大理石柱が使用されています。

ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂

パラティーナ礼拝堂はノルマン王宮から入って、王宮の2階にあります。
礼拝堂全体が金色のモザイクで埋め尽くされ、息をのむ美しさ。パレルモ観光のハイライトと呼ばれるのもうなづけます。

ノルマン王宮とパラティーナ礼拝堂、モンレアーレとチェファルーの大聖堂と回廊は同時に世界遺産に認定されました
パラティーナ礼拝堂  エロスとアフロディーテ



コッポラ帽

地中海の十字路と言われるシチリアの州都パレルモ。ちょっとその辺の寺院に入ると、サラセン文化の上にノルマン様式を融合させた絢爛豪華な美しい世界遺産の数々に出会います。しかし外に出るとゴミっぽい街。犬を散歩している人で、フンを入れる袋を持っている人を見たことが有りません。仙台のような清潔感がまったく無いのに2・3日いると肌にしっくりと合う、この親密感は何だろう。

ずいぶん前ですが、NHKBSプレミアム「お小遣い3万円で・・・」で、コッポラ帽を製造販売している老舗を訪ねる番組を見ました。映画ゴッドファーザーで登場人物たちがかぶっているあの帽子、ほしいと思いました。分りにくい場所でしたが、その店を見つけました。なんと近隣に10件以上、同じようなコッポラ帽を作って販売している小さな店が軒を連ねていました。

TVで紹介された店、パノルムスは何といっても斯界の元祖です。いましたTVに出た年配のオーナーが。日本のTVで見たよ、というと喜んでくれました。

オーナーのカタンザーロ兄弟、おそらくお兄さんのコジモさん


念願の帽子を手に店から出てすぐに、 “日本の方ですね” と声をかけられました。二人の女性で、コッポラ帽を買いにパロルムスに来て、私が先客だったので向かいの店から買ったようです。 “日本語上手ですね” と返事をしたことから始まって、二人が台湾人だとわかりました。一人はすでに買ったばかりのコッポラ帽をかぶっています。

私もかぶって見せると、 “ワッ!かわいい” と言ってくれ、一緒に写真に撮らせて、と。私のスマホでも撮ってもらって、繁華街リベルタ通りで国際交流をしました。

台湾からの観光客 コッポラ愛好家同士で


14日目:スルーチェックインサービス

帰国時にスルーチェックイン(手荷物の乗り継ぎ)サービスを利用しようと思った。パレルモ→ローマ→羽田が2便とも、ITA航空なのでやりやすいはず。ツアーの場合は旅行会社が全部やってくれるが、手作りの旅ではなんでも自分でやるしかない。

搭乗手続きのときこのサービスを頼んだ後、確認のため戻って再度 “スルーチェックインサービスOK?” と聞いたら、ベテランらしい彼女は親指をたてて自信満々のジェスチャー。これで大丈夫だ。

ローマ空港に着いたとき、そのまま羽田行きのゲートに行ってもよかったが、時間があったのでちょっと確認しておこうと思った。イタリアに憧れてはいるが、イタリア人の仕事は信じない私。手荷物受取所(バケージクレーム)には既に同乗者の姿はなく、レーンに私の手荷物が2個、寂しげに佇んでいるだけだった。

イタリア職人の魅力

イタリアもイタリア人も好きだ。コッポラ帽のオーナー兼職人兼売り子のおじいちゃんも大好きだ。帰国の前日また行ったら、満面の笑みで迎えてくれた。前日柄物のコッポラを買ったけど、サイズ違いをもう一個頼んだ。

この店は同じ色柄のものをザっと見て200個くらいを、30個くらいづつの山で積み重ねている。注文されたサイズを探すのに、その山を全部、一個ずつめくっていくので、結構時間がかかる。日本人ならサイズの大から小までを順に積み重ね、注文があれば瞬速で抜き出すところ。

ここのコッポラ帽の裏側には、美しい柄のトレードマークが貼ってある。貼って無いのも、違う柄のもある。作った時期、その時の気分、何ものにも縛られない。気持ちの余裕、仕事をした後の余韻を楽しむ気持ち。イタリア語で “さようなら”にあたる言葉は、 “アッリベデルチ(また会いましょう)” です。また会う機会は無いかもしれないけど ”アッリベデルチ”、コッポラ帽のおじいちゃん“

15日目:年寄り扱いに感謝

羽田空港に到着し、機内から降りて少し行くと、出国ゲートまで長い一直線の通路がある。と、そこに運転手付きのカートが待機していて、柔和な感じの女性運転手から “どうぞ”と。最初に機内から出た十数人の中から、私が選ばれたのだ。選考基準はこの先かなりの距離を歩かせるのは、このグループの中で一番お気の毒なお方。

スピードはアンダンテ+α。先に行く10人くらいを追い抜いた。快適だ。年寄り扱いに反発して、 “僕は大丈夫です” などとは全く思わなかった。すんなり受け入れられた。認めるしかない。これが今回の旅行で得た一番の宝物だ。

また旅に出よう!
近くても遠くても。
旅に出ると変わることができる。
今までとは違った自分に。


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