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好きなひとについて考える -ロンジュン編-

プロローグ

みなさま、お久しぶりです
ヘチャンへ対する思いの丈をnoteに綴りもう一年が経とうとしている。はやすぎない。次書くなら、まあ、ロンジュンかな   とはしばし考えていたものの、ご覧の通り中のひとは重い腰が上がらずじまいの億劫状態で。しかしながら、そんな自分がこんな状況下の中、今こそロンジュンに真っ向から向き合ってみないとゆけない気がする   といったマインドにもなり   こうしてつらつらと今も書き記しているといった所存でございます

本名:黄仁俊(ファン・ロンジュン)
2000/03/23 24歳 O型

ロンジュンって、何者なの

ロンジュンって、何なの。ァンタって何者なの。そんな所から入ってゆこう。

私がロンジュンを好きな理由はひととしてそうで在りたい と、考え方や言葉の節々にそうおもわせてくれるからなのであろう。これに尽きる。ハイ解散。アイドルとしてのロンジュン(パフォーマンスや歌など)、その端正で凛としたお顔、儚げで線の細いルックス   これは言わずもがなね。ロンジュンといういち人間そのものにたいへん惹かれている感覚。人間性といったらよいものか。内面的な本性みたいなところの話。かなり感覚的な話にはなるけども、彼は指先でつんと触れただけで全てが崩れ去ってしまうような そんなひとのようにも感じる。それはきっとロンジュンの大切な核となる部分が何物にも代えがたい宝物だからなのである←わかってね   では、その宝物とは一体何なのか   何がそうさせ、そう思わせてくれるのか   それを自分の中にストンと落とし込めるように言語化してゆきたい。どうぞ、お手柔らかに

僅かに触れた時、それらは照らし出す

「世界を照らすロンジュン」で在ろうとする  そんなロンジュンのアイドルとしての生き様が大好きなのである。ヘチャンが太陽で在ろうとするように   ね。しかし、ふたりの輝き方は等しく似て非なるものだともおもう。
 ひと口に太陽/光属性といっても、自らの意思で太陽で在ろうと振る舞う姿と、日常茶飯のほんの小さな幸せに触れた時に照らし出す姿   ここに光の放出性の違いがある気がする(何の話)ここでは後者がロンジュンである。

例えば、ヘチャンは太陽になろう   そうで在ろうとする、その姿を本当に尊敬しているので、太陽であるヘチャンが好きだし、太陽ではない彼だって好きになれる。ひとからそれらを求められるのも、実際にそうなれるのも 本人に絶対的な素質があるが故なのではないか   と。

それだとロンジュンの場合はどうだろうか。彼は、私に常に光の照らし方を教えてくれるひと   なのかもしれない。その何物にも代えがたい感性が、より小さな日常の気付きからなる幸せを感じ取る。そして、どのように照らせばよいのか、輝けばよいのかをロンジュンそのものが示してくれるような感じ。

感覚的な話、ヘチャンは内側から外側に向かって正のエネルギーを出力してゆくとしたら、ロンジュンは外的刺激を受けて自らが光となって放出してゆく   みたいな輝きのタイプの違い。私がヘチャンを好きすぎるがばかり、先程から比較対象となってしまっているのが申し訳ないのだけども。
えこれ、MBTIでSのひとが仮に読んだとしたらそれはなんぞや?と一生なるやつなのではないか

チンダル現象をご存知だろうか。例えば、林から差し込む木漏れ日や暗い部屋のカーテンの隙間から日光が差し込み光の束が見えることがあるだろう。そういった現象を我々は何気ない日常で実は何度も目にしたことがあるとおもう。その時、はっきりとは見えなかった「光」がやっと初めて顔を見せてくれる。光とは何か、その発光体に問うべくせずして、照らしているひと   そのものが光なのかもしれない。それがかなりロンジュンと重なり死んでしまう    といった話でした。

……端的にこう、うまく説明できない。でもわかって。(責任転嫁)今の私にはこの表現の仕方で精一杯なところが正直な話。頭の中でグチャグチャにこんがらがって複雑に絡まりあう紐をひとつずつ丁寧にほどきながら言葉に落とし込んでいるので、かなり労力がいる。

日常茶飯の小さな幸せに、敬意を込めて

街を歩いているうちに些細な幸せが感じられて。秋の風、ソウルの風景、落ち葉、そして夕方の街灯...   そんな些細なことがひとつずつ集まって、いつの間にか幸せを感じている自分がいました。

DREAMzine Vol.3.より

日々の生活に対して面白がれる 楽しめる 些細な幸せを感じられる   そんなひと。私はロンジュンの感性がホントに大好き。これは100億回話している。先月、ロンジュンの誕生日に私はありとあらゆる日常茶飯の中のちいさな眩しさやときめきに幸せを感じられるひと。そんなロマンチックなところが大切で大好き!と呟いている。その後、上記の引用文を会報誌で目にした時、本当に死んでしまった。ロンジュンめ。なんてひと。

私が大好きなエピソードがあって、マークと一緒にロンジュンがサムギョプサルを食べに行った時の話↓

都市部で天気が良い時がもっと息苦しくて砂漠みたいに感じる

マークが天気良いね!と話したら、憂鬱だ...   と返すロンジュンに戸惑ったマーク

この感受性の豊かさがたまらなく好き。そして、これを飾らずにそのままダイレクトに言葉にしてくれる所がもっと好き。自分のおもったことを揺るぎなく言葉に乗せて届けてくれるロンジュン。自分の感性を無意識下の中で大切にしているところも、そんな自分もきっと好きなんだろうとおもう彼の姿もまるごと愛おしい。

いつだって、こころに灯をともすから

どんなに小さく些細な幸せをも見逃さない それは宝物すぎる感性があるからこその賜物でもあるし。自らが輝いて周りを明るく楽しく照らす存在、そんなロンジュンが「世界を照らすロンジュン」をスローガンとしてステージに立つ姿に私はこころを揺さぶられるし。本当にずっと応援したいとおもうし。何より、こんなことを思わせてくれるひとに出会えて幸せだし。ありがとうと言いたい。

最後に
夕暮れ時に街を散歩しながら空気の匂いや風景を感じて自然に身を任せ委ねたい   その時自分は一体何を感じ何を思うのだろう    頭を下げて携帯をさわり、こうやってファストフードを消費している間も、彼はいつも空を見上げて、太陽が落ちるのをみて、自分を余すことなく存分に身を放り込んでいるのだろうか。こういう時、ロンジュンは何をみて、何を感じて、何をおもうのだろう。 と   ふと、そんなことを考える。そんなことを思わせてくれるひと。

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