令和いらねえ吊り輪ホットケーキ/2020年3月24日

 夜の高田馬場。山手線から西武新宿線に乗り換える人波が流れてくる。とてもしずかだ。

 昼間、渋谷や新宿にいると、びっくりするくらい賑わってるんだけど、こうして夜になると口数は少なくなってる気がする。

 やっぱり本質的なところでみんな底知れない不安を感じているんだろう。

 陽の当たる場所や盛り場じゃない、駅の乗り換えという日常でしかない場面では、かりそめの浮かれた気分が全部剥ぎとられてしまう。

 オレゴン州ポートランド在住の音楽家、アーネスト・フッドが生涯に唯一残したアルバム「Neighborhoods」が突然復刻されたのは、去年の後半のこと。

 これまでもPitchforkが選ぶ「The 50 Best Ambient Albums of All Time」に選出されるなど、再発や配信がひそかに待望されていた作品だった。

 ぼくがこのアルバムを知ったのは、まったくのぐうぜん。買付で訪れていたポートランドでのこと。

 〈リトル・アックス〉という名前のレコード店にいたときに、針音に続いて街のざわめきが聴こえ、やがてその音像のなかにやわらかい電子音が滑りこんできた。なんだろう、これ?

 カウンターで店員と常連客が交わしている会話が音の隙間から聞こえてきた。

 「こないだスリフトでようやく見つけたんだ」
 「よかったな。幸運だったな」

 どうやらその会話はいま店内で流れている音についてのもので、これは相当にレアなレコードらしい。

 そのまま聴き続けること十数分。雑踏、子どもたちの遊ぶ声、自然の音、そして電子音でありながら限りなくアナログな手触りのある演奏。

 まるでストリートビューを見ているように、ぼくの網膜には知らないはずの街角が映り続けていた。

 ついに我慢できなくなって、彼らの会話に割り込んだ。

 「これ、すごくいいね。どういうレコードなの?」
 「ああ、これね。こないだスリフトで見つけたんだ。ようやく手に入れたよ」

 そう言って見せてくれたのが、ベージュ色のジャケット。古い小説の挿絵みたいな絵とロゴが目に入った。

 「ネイバーフッド……」
 「たぶん、このあたりにいたローカルなミュージシャンが作ったんだよ。70年代だったかな。博士みたいなひとだったのかなあ?(と客に問いかける)」
 「そうかもな。おれらもこのひとのことは知らない」
 「すばらしいレコードだよ。こないだネットで見かけたときは200ドルだったかな」

 200ドル! さすがに値段にたじろいだ。

 「でも、売らないよ。これはおれの宝物にする。そのくらい長く探してたんだ。ごめんね」

 えー! と思ったけど、反論する気にはならなかった。それくらいのことを言われても仕方ないと思えるほどの内容だったから。

 それから2年ほどして、ようやくぼくもこのレコードを見つけて手に入れた。海外通販で、それなりの額を払った。

 去年出たリイシューは、LPだと2枚組になっていた。もともと片面の収録時間が長かったので、1枚から2枚に増やしたのは現代的な解決かなと思う。ジャケットのイラストも、さすがにオリジナルのままだと70年代(正確には75年)にしても古色蒼然な感じだからか、もう少しモダンな街並みに差し替えられていた。そんなちょっとした変更はあっても、内容のすばらしさに変わりはない。

 生まれた街のささやかな日常をただただ愛した音楽家のまなざしが、時代を越えて遠い場所でもおなじように親しまれている。そんなことこそが奇跡と呼ぶに値する。

 最近、このアルバムをふと再生する機会が増えた。まだ東京の街には人混みもあるし、ゴーストタウンなんて遠い話のように思えるけど、いつかこのアルバムに刻まれていたような「ネイバーフッド」が消え去ってしまうんじゃないかと考えてしまう瞬間がある。いま、ポートランドの街はどうなってるんだろう。

 昼間はアーネスト・フッドの「Neighborhoods」、夜は石原洋の「formula」を聴きながら移動していることが多い。ぼくにとっては、いまこの2枚は背中合わせのように響く。


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