ジョニーのごまかし ~Jerry's / Pittsburgh, PA

 「ジェリーが店を閉めるって本当?」

 買付したレコードをぱんぱんに詰めた箱をドーリー(キャスター付きの手押し車で、荷物の運搬に使う)に積みながら、ジョニーに聞いてみた。昨日の夜聞いた話を確かめたかった。ジョニーなら教えてくれるんじゃないかと思った。
 「はあ? そんなわけないだろ」
 3箱を積み重ねたところで手を休め、ジョニーはそう答えた。そして笑った。

 レコードを買うのは楽しい。買付はそれが仕事になっているわけだから、もっと楽しい。こうしてアメリカに来て、与えられた予算を使って、これはと思うレコードを片っ端から買っていく。楽しくないわけがない。
 しかし、買付の半分は肉体労働でもある。一軒の店で長い時間うろうろとレコードを探し続けていると、両足に負荷が溜まってむくんでくる。夕方からは時差ぼけもつらい。立っていられなくなり、意識を失ってお店の隅っこでしばらく突っ伏す。それでも最後の力を振りしぼり、会計を済ませる。もしも車が歩いて5分ほど離れた駐車場に停めてあって、ハンドキャリーやドーリーがなかったら、箱を持ってそこまで歩いていくしかない。
 LPレコードを詰めている箱は、アメリカの引っ越しには欠かせない用具の販売やトラックのレンタルを手がける会社U-Haul(ユーホール)の段ボール製。この一箱に入る枚数は百枚ちょっとで、重さは30キロ近くになる。両手で持つときは、肘、膝、腰に気をつける。力を入れすぎたらダメで、重さによる関節や筋肉への負荷をうまく逃すのがコツ。そのコツをうまくつかまないと、何箱も運ぶことはできない。
 だから、ジョニーみたいに手伝ってくれる人がいる店は、本当にありがたい。今日、車に運び込むのは5箱。車は、店の裏手にあるスタッフ専用の駐車スペースに停めてある。運び込むときだけ特別に許可してくれていた。
 5箱を積み込むということは、レコードを500枚買ったということだ。他の店なら百枚も買えば大漁だが、この店〈ジェリーズ〉ではよくあることだった。
 アメリカ東部ペンシルヴェニア州ピッツバーグにあるこの店のことを、アメリカのレコード店主やディーラーで知らない人はいないだろう。
 店内はちょっとした体育館ほどの広さで、棚という棚をレコードが埋め尽くす。そのすべてが中古レコードで、CDはない。少なく見積もっても、ここには数十万枚のレコードがあるはずだ。すごいのは物量だけじゃない。価格の設定はリーズナブルで、商品の管理も驚くほど徹底している。スタッフたちが毎日売り場と在庫をチェックしてレコードが店頭でダブつかないようにしているのだ。だから、ジャーニーやフォリナーみたいな大ヒット盤が何十枚も棚を占領するなんてことがない。
 この豪快にして緻密な名店のオーナーが、ジェリー・ウェーバーだ。大きな体格と人懐こい風貌、威勢がよくておおらかな物腰、そしてもちろん音楽への深い知識と愛情で40年以上、この店を続けている。「バイ・モア・レコード!(もっとレコードを買うんだよ)」とレジカウンターからお客さんに呼びかけるジェリーの大きな声はもはやこの街の風物であり、この店の心臓の鼓動でもある。
 60代を越えたあたりからジェリーは体調を崩していた。太り過ぎで両膝に負担を抱えていたし、内臓の調子も悪そうだった。初めて会ったときに比べてずいぶん体重も落とした様子だが、最近はスタッフにあとを任せて夕方には帰宅することが多かった。彼のもとで長年働くスタッフのひとりが、ジョニーだった。彼は、レコードを見ているぼくのところに来ては「どうだ? 買えてるか? 箱がいっぱいになったらバックルームに持っていくぞ」と、しょっちゅう声をかけてくれる。ジャズ担当だったり、シングル盤担当だったり、長年のスタッフはそれぞれの持ち場で働いていたが、ジョニーはどうも決まった担当がないらしい。強いていえば、膝が悪くてあまり動き回れないジェリーのアシスタントといったところだろうか。ぼくを気にかけてくれるのもジェリーの意向ということなのかもしれない。

 「ジェリーに聞いてないのか? 彼は店をやめるつもりなんだよ」
 「それって閉店ってこと?」
 「どうだろう。ジェリーの代わりは誰もできないからね」

 前の晩、ピッツバーグ市内にあるアンディ・ウォーホル美術館で行われたジョナサン・リッチマンのライブを見ていたら、突然声をかけられた。「店にいたよね?」。声の主は、ジェリーズでバイトをしている若いスタッフだった。彼もこのライブを楽しみにしていたのだという。
 「聞いてないのなら内緒だぞ」と念押しをして、彼はジェリーの意向を教えてくれた。閉めるにあたって在庫の整理を続けていて、彼ももうしばらくしたらバイトを辞めるのだという。「シングル盤の在庫は全部ドイツのディーラーに売ることが決まったよ」という話を聞くにつけ、どうやらジェリーは本気なのだと思わざるを得なかった。ライブ前にいやな話を聞いてしまったなと後悔したが、しょうがない。明日もジェリーズに行くから、本人に確かめてみよう。

 しかし、今日はジェリーは休みだった。
 「おれがジェリーからおまえの面倒見るように言付けされてるから、心配すんなよ。ディスカウントも言われた通りにすっから」ジョニーはそう言ってくれたが、心配なのはディスカウントのことではなく、この店の今後のことだ。
 結局、会計を終えてレコードを運び出すとき、堪りかねてジョニーに聞いたのだった。「ジェリーが店を閉めるって本当?」と。
 ジョニーは笑ってそれを否定した。そして「ジェリーがレコードから離れられるわけないだろ?」と付け加えた。たしかに。でも……。
 釈然としないぼくの様子を見てとったのか、ジョニーはドーリーから手を離し、腰をおろした。そして、おもむろに話をはじめた。

 「おれが15歳の頃、親父が死んだ。若くして親を亡くしたおれを、ジェリーがこの店で働かないかって誘ってくれた。親父とジェリーが友だちだったんだよ。もうあれから35年になるよ。おれにはどのレコードが高いとかレアだとかいまも全然わからないんだけど、棚や箱を動かしたりするのは大得意だからさ」
 それは、ぼくの質問への答えではなかった。だけど、ぼくを黙らせるには十分な言葉だった。
 「ジェリーはおれにとって父親がわりの存在で、最高のボス。わかるか。最高のボスを持つってのは、すごく難しいことなんだ」

 「だからジェリーが店を閉めるなんておれに言わないでくれよ」とジョニーは言いたかったのかもしれない。
 ジョニーがあの日、ぼくに言ったことは半分は本当で、半分はうそだった。ジェリーが店を閉めようとしていたのは事実で、街の名物おやじの決断はピッツバーグの地元紙でもちょっとしたニュースになったらしい。
 しかし、懸案だった膝の手術がうまくいったことでジェリーの心境に変化が起きた。数ヶ月後、さよならを言うつもりでジェリーズを訪れたぼくの目に、お店の入り口に立て付けられたサインボードのメッセージが飛び込んできた。

 「ジェリーはやめるのをやめた!」

 階段を上がって、店に入るとジョニーがいた。「言ったろ? ジェリーはやめないって」。
 正確にいうと、ジェリーは「やめるのをやめた」わけではなかった。閉店しない代わりに後継者を探すことにしたのだ。「これだけの広いスペースだからな、いろいろ使い道はあるだろうが、レコード屋であり続けてほしいからな。レコード屋を続けるってやつなら前金なしで店を譲るよ」とジェリーはぼくに話してくれた。

 翌年、ジェリーズを訪れたとき、すでにジェリーはレジにいなかった。新しいオーナーは、ぼくとおなじ世代の男性二人だった。「ジェリーからきみのことは聞いてるよ」と言われた。店内ではジェリーの時代を知る熟練のスタッフが以前とおなじように、きびきびと働いていた。
 ジョニーは? ジョニーだけいない。その姿を探してきょろきょろしてしまう。
 顔見知りの古株スタッフをつかまえて、ジョニーの消息を聞いた。
 「あいつはジェリーについていったよ。これからジェリーは自分の家のそばで小さなレコード屋をひらくんだってさ。ここみたいにバカでかい店じゃないけど、ゆっくりやってくらしいよ」
 ジョニーがいてくれるならジェリーも安心だろう。あんなに働いてくれるやつ、いないから。あの日のジョニーの声がもう一度聞こえた気がした。

 「ジェリーがレコードから離れられるわけないだろ?」

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