令和いらねえ釣りはホットケーキ ver.2/2024年4月13日



2024年4月13日。小伝馬町にあるツバメスタジオで開催されていたインドネシアのグラフィックアーティスト、Ardneksの展示最終日に滑り込みで行けたのは、薮下さんのインスタを見たおかげだった。パール&ジ・オイスターズのアルバムや、一昨年のクルアンビンのジャパンツアーで、Zepp Hanedaのポスター・ヴィジュアルを手がけているといえば、思い当たるだろうか。極彩色で楽園的なのに、題材も世界観も自分のインドアな部分に完璧にフィットする。細かいところに描き込まれている坂本慎太郎『幻とのつきあい方』やレナード・コーエンのファーストを、見つけ出すというより、出会っていたという感覚。

小伝馬町まで来ることができたのは、日比谷野音で行われるnever young beachの10周年記念ライブに行くことで、日比谷線経由というルートが見えたから。日比谷野音は本当はもう休業→改築が始まっている予定だったが、今年の秋まで延期された。人手不足とかいろんな理由があるらしいが、本当は改装すべきところなんて何もないとみんなわかっているでしょう? このまま存続したらいいじゃない。去年から「これが最後の野音かも」と来るたびに思ってきたが、今日からそう思うこと自体やめよう。松本楼を通り過ぎて、野音が見えてきたところで、そういえばあのときこのあたりで電話が鳴ったのだと思い出した。友人の入院の知らせだった。聞いた瞬間、その言葉の意味をよく理解できなかった。相槌は打っているが、納得というのとは違う。むしろまったく納得できてなかった。ついその1週間ほど前に会っていたし。

初めて日比谷野音に来たのは1989年の夏。RCを見に来た。そのときも友人は一緒だったし、ほかにも何人か連れ立って行った記憶がある。ぼくの隣の席は当時つきあっていた彼女ではなく、なぜか友人のヤマザキだった。なんでそうなったんだろう。彼女はファンクラブに入っていたから、いい席をゲットしてたんだっけか。まあいいか。今日ネバヤンの記念すべきライブを見に来たひとたちにも、そういうグループがあちこちにいるんだろう。「ひさしぶり!」と笑顔を交わしたり、話し込んだり、写真撮ったり。あの夏、RCのライブが終わってから流れた曲はローランド・カークだった。Shazamなんてないから、それからカークのレコードを見つけては買って、記憶のなかの曲を確かめた。判明したのは数年後。アルバム「Blacknuss」に入っている「I Love You Yes I Do」という曲。なんて最高なタイトルの曲だろうか。今夜、ネバヤンのライブが終わってから流れたのは、カーペンターズの「Superstar」。スマホですぐにわかる時代になったけど、大事なのは今日ここにいる20歳くらいのだれかが何年か、何十年か後にそれを思い出す夜になったかどうか。もちろん今夜のライブは完全燃焼で多幸感で最高。でも、時間が経ってからしかわからない大事な感情ってのもある。35年後にRCの野音の夜を思い出してるように。

野音から帰宅して、食事して、風呂に入って、歯を磨いて。それで1日終わりってところだが、ジーンズを履いて出かけた。恵比寿へ。LIQUIDROOMで、坂本慎太郎のライブ上映会。オールナイトで二本立て。先週のユニバースは、八代のキャバレー、ニュー白馬だけの上映だったが、今日はそこに同じツアーの初日に行われた人見記念講堂でのライブが加わった。白馬は大根さん、人見は山口保幸さん。どちらも坂本さんとの関わりは長い。そして、場所も機材もお客さんの態度もまったく違うというのはもちろん、撮りかた、とらえかたも違う。対照的とか真逆とかではなく、宇宙に散らばる極と極。そして、場所と設定に対して最適な解を出している。

だが、先週と今週には大きな違いがある。ユニバースでの上映が終わって週が明けてから、亀川さんの訃報を知らされた。そんなに強く意識してるつもりでなくても歌詞に耳を奪われる。人見の映像が終わって、午前4時半。大根さんはマイクを持ち、個人的なアンコールをしたくなったと伝えて、ふたたび客電を落とした。2009年4月26日の日比谷野音が浮かび上がる。「いまだに魔法が解けぬまま」そして「無い!!」。2曲が終わり、大きな歓声があがり、客電が点いて。空気が不思議に静止した。アンコールを粘りすぎてるのではない。むしろもう何も求めてない。だけど、だれも動かない、ように見えた。山手線はすでに動き出している。足早に駅に向かえばいいと頭ではみんなわかっているだろうに、うまく体がいうことを聞かない感じ。近くで見ていたCOMPUMAさんが、絞り出すように「バンドって、儚いというか……それも含めて青春なんですね」と言った。それに対して何か答えようと思ったが、言葉が出ない。あ、気持ちがいっぱいいっぱいになってる、おれ。そのとき初めて実感した。涙が出たわけじゃない。夕方にネバヤンがいた野音、友人の病気を知った野音、15年前にゆらゆら帝国がいた野音、35年前にRCを見た野音、あのときの、あのときの、あのときの。そこにいたひと、もういないひと。そんな視覚と記憶と感情がすっかりごちゃ混ぜぐるぐるになってしまってる。出よう。いますぐ。これ以上いたらやばい。フロアを出て、ラウンジにいたロボ宙さんになにかあいさつをした。言葉は出たのかな。覚えてない。リキッドを出たら、空はもう朝の色だった。店まで歩いて20分。開店まで床で寝よう。寝られるかしら。

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