空の境界を紹介したいだけのヲタク

 それは 本当に 夢のような 日々の名残

 推しの配信で型月トークが盛り上がったことにホクホクなヲタクです。ドーゾヨロシク。小生、型月沼にはまってかれこれ10年くらいになるのでしょうか。麻生元首相が配った給付金でEXTRAの初回限定盤を買った様な記憶があります。そんな私の沼のきっかけになり、思想の一部ともなった、型月作品で一番好きなものは何かと問われれば秒で挙げるのは「空の境界」という作品になります。

 少しだけ馴れ初めを語りますと、出会いはコンプティークでした。らき☆すたの型月回で「尻を突き出す」ってなんだ?っと思っていたり、少年エースに掲載されていた西脇だっと先生のFate/Stay Nightをなるほど、わからん(確かUBW√でランサーが仲間になるあたりだった)と眺めてはいましたが、コンプティークに掲載されていた劇場版六章の情報が目に止まりまして、へぇ〜これもTYPEーMOONってやつなんだ、っと思った矢先にスカパーの有料放送で1〜3章の放送がありまして、親に頼んで金払ってもらったのがきっかけです。当時は聞いたこともなかったUfotableの圧倒的作画美、切なくも迫力のある梶浦音楽、そして、圧倒的きのこワールドの魅力に沼ってしまいましたね。速攻で密林で原作小説(といっても講談社版ですが)をポチりましたね。届いた箱を兄貴にぶん投げられて、若干角がよれたのは今でも恨んでいます。ですが、いざ開いてみれば上下二段組にびっしりと文字が羅列しており、ラノベぐらいしか読んでこなかった私にはそりゃあもう難解でしたね。ろくすっぽに読み解くことは出来ませんでしたが、それでも、これが良いものだとはわかりました。そこからあれよあれよと型月沼に沈んでいく私なのですが、そんなはじまりの作品について、ちょっと語ろうと思います。
 

では、幾ばくかのお時間お付き合いください。

概要~ざっくりとこんな作品なの~

 空の境界とは、ざっくり言えばダークファンタジーの親戚とでもいうんでしょうかね。都市伝説とか、路地裏に潜んだ殺人鬼とか、マジモノの化け物とか、アングラな裏の世界生きるような人々を描いたものですかね。型月世界には共通して「魔術」という概念がありまして、浮世を離れて研究に励むものとか、日常に溶け込みながら生活する者など様々な魔術師がいます。型月界のファンタジー要素がこの「魔術」という概念に詰まっているのですが、それはちょっと置いといて。なぜなら空の境界のメインキャストに魔術師はいるものの、主人公は魔術師ではないのですから。

 両儀式、着物に真っ赤な革ジャンという突飛な姿が印象的な少女が持つのは、万物の死を視る「直死の魔眼」。あらゆる神秘の頂点の一つであるその力に、立ち塞がるは死を蒐集せし魔術師と、彼が見出した現世に生きる常識の埒外の存在、二重身体者、存在不適合者、起源覚醒者。そう、みんな大好き異能力バトル、しかも中二全開の。ビームを出したり、月を落としたりするようなド派手さには欠けますが、橋を落としたりマンションが倒壊する程度のスペクタクルはあるので、読者としてはかなり血沸き肉躍る内容です。

 そして、忘れちゃあならないのが、個人的解釈ですが、ハチャメチャに恋愛小説なところ。物語の始まり、それはいつだってボーイミーツガール。出会いはいつだって夜、雪の降る三月の日、二人は出会った。首なしの遺体の前で血まみれになってたり、夜な夜なストーキングしたり、挙句の果てにナイフ持って追っかけまわされたりと。そんなところから始まるロマンスがあるんですかいやあるんです。命のやり取りがあるからこそ、大切な何かを認識し、生きる拠り所を求める。彼女の2年間、彼の4年間、その果てに行き着く末とは。

 あるものを代価に異能に目覚めた少女にまつわる、全七章の優しき殺人者の物語。奈須きのこの圧倒的世界観とロマンチズムをひしひしと感じる、それが空の境界という作品だと私は解釈しております。

魔術なくして型月非ず

 ちょっと置いといた魔術の話をさっそく持ち出しましたよこの男は。だって!空前絶後のFateブームだもの、のっかるには今しかないじゃない!
 というわけで、初めはUBWとかFGOあたりから型月世界に踏み入った者どもを沼に引き込むタイムです......落ちろ(C.V.田中理恵)

 はじめに、今更ですが、たびたび出てくる"型月"というワード、奈須きの氏や武内崇氏ら立ち上げた同人サークル"TYPE-MOON"の和訳というか、愛称というか、略語というか。ともかく、彼らから生み出された一連の作品群は共通の世界観を有し、私はそれを勝手に型月世界とか呼んでます。鋼の大地とかいろいろ呼び方あるかと思いますが、本文ではそういうものと思ってください。
 さて、先ほど挙げましたが、型月世界には共通して「魔術」という概念があります。基本的にストーリーを回すためのファンタジー要素ですが、この共通の概念がクロスオーバーに一役かってるわけですね。その「魔術」とは何なのか。世の中には魔法学校の眼鏡少年とか、小人の指輪物語とか、色々な魔法の概念がありますが、型月世界の「魔術」とは何なのか。それは「根源」へと至る道です。
 魔術師だろうが科学者だろうが錬金術師だろうが、大概の人間の目的は真理への到達。万物の発端、アカシックレコード、色々と呼び方はありますが、みながみな「世界を知る」という知識欲に則って生きているわけですね。 ちなみに、根源へと至る確立された方法が魔法であったりするんですが(正しくは第二から第四魔法がそう言われてる)、じゃあ何が空の境界に関係するの?まぁ珍しくも、空の境界には真面目に根源を目指す魔術師が登場しまして、そいつが元凶だったりするのですが。彼が敷いた結界の概念だったり、両儀式を利用して如何にして根源に至るのか、直死の魔眼とはなんなのか。事件簿ほど魔術と魔術師をクローズアップしてはいませんが、根源というものは一番意識されてるんじゃないですかね。また、世界を暴くことは崩壊にもつながりますから、抑止力の概念が登場したり、ちょこっと魔術回路の話とか、妖精の話とか、封印指定の魔術師が出てきたり、どこかで聞いたようなワードが潜んでいたりします。

 そして、何より、忘れてはいけないのは、だいたいの作品に登場する唯一の人物。型月世界をつなげるキーパーソン、彼女こそが「青崎橙子」女史であります。事件簿読者であれば何も言うことはありませんね。Fate/Stay Nightの時間軸では冠位認定戻ってますが、空の境界では封印指定受けて極東に潜んでますね。人形師として名高い彼女は、Zeroで起源弾食らったケイネス卿の体直したり、HFでは士郎の体とかライダーさんの眼鏡をこさえたり。ちなみに実妹である青崎青子は五人目にして最新の魔法使いだったり、数少ない姉妹の会話にはレフ・ライノールが出てきたり。そんな橙子さんがメインキャラで大活躍するのが空の境界(魔法使いの夜でも大暴れしていますが)。滅茶苦茶にかっこいいクールビューティーな眼鏡お姉さんが好きなそこのアナタ、観ろ!

 とまぁ、こういった「魔術」というツールを用いて繋がるのが型月世界であり、その一端である「根源」であったり、世界の渡し役でもある「青崎橙子」に触れることができますね。すでに他の型月作品に触れている方なら勿論、これから触れる方にも、より型月世界を楽しむのならば必読と言っても過言ではないですね。

これが純愛ってやつなのか

 それは僕が大学4年生の時でした。あまりにも卒研が嫌すぎて嫌すぎて、テッペン回ってアパートに帰ってきた私。ストレスマッハでハイライトを失ったときにすること、それは生きる意味を思い出すこと。そのために私は書架に収めたこの本にそっと手を伸ばし、気が付けば外は明るくなっていましたとさ。それが都合三回目の読破でしょうか、ポツリと沸いた感想こそが「いや、めっちゃ愛されてるやん」

 これは主人公:両儀式と、正妻:黒桐幹也の純然たるラブストーリーである。だってさ、3年よ。3年間さぁ、毎週土曜だったかなぁ、眠り続ける少女のもとに花を届けに行くのよ。例えそれが、直前まで自分を殺そうとした相手であっても、目が覚めたら記憶を失っていたとしても。コクトー、あんたって人はさぁ......
 つまるところ、両儀式ってのは普通の人間ではないのです。必要とされたのはその器であり、なにより彼女は所謂二重人格、というやつなのです。メインは女性人格の「式」、その式が押し殺した衝動を受け持つのが男性人格の「織」。一つの体に男と女、陰と陽、太極図としての器。兄を差し置き、両儀家の次期党首となる資格たるその異能。過ぎたる力は、彼女から人を遠ざけます。でも平気だもの。なぜなら彼女には織がいるから。孤立はしていても決して孤独ではない。そのはずだったのに。私に寂しさをくれた人。それが、黒桐幹也という少年だったのです。
 すでにエモい。学校でも孤立している両儀に揚々と話しかける彼。それは棘の中の薔薇に手を差し伸べるような、曰く、この時から危機感が欠落していたイカレた男。それほどまでに、無条件で彼女を信じると、信じたいんだと言い切るほどに、式のことが好きなんだよなぁ。それこそ、連続殺人容疑のアリバイを証明するためにストーキングするくらいにね。
 そのあとなんやかんや恋のライバルが現れるのですよ。病室暮らしの空に憧れた少女だったり、憧れの先輩と奇跡のような再開をした少女だったり、実の妹だったり、高校の元先輩♂だったり。多方面から愛されてんのよ。

 恋愛ってのにはホント障害がつきものでして。どんなライバルよりも厄介なのは二人の関係。3年前の連続殺人事件、その記憶と織を失った式。目覚めた少女に残されたのは空っぽの伽藍と、眠りにつく前、織が好ましく思っていた元少年。かつて私を知るあなたと、今のあなたしか知らない私。ゆっくりと、少しずつだけど、織が空けた空白を満たしていく日々。んなこと言っても、式は夜な夜な物騒なことに首突っ込んでるんですけどね。成人男性を素手でのすくらい造作もないですし、真剣で稽古したり、お付きの人が兼定届けに来るご家庭ですよ?その辺で拾った男を普通に家に泊めますからね。でも、だからこそ偶にでる少女らしさがクッソ可愛いんですけどね。

 とまぁ、甘々とは対極な世界観だからこそ、二人の関係性ってものすごく強い何かで結び付けられて、だからこそ最後にあんな告白ができるわけで。奈須きのこ先生やっぱ神かよと感嘆するわけで。なんか文字びっしりで、魔術がどーたら、殺人がこーちゃらと気難しい内容ですが、その一面はただの恋愛模様でしかないわけでして、中二心溢れる異能描写よりもよっぽど本質なんじゃないかって思ってます。あとこの二人、中の人がリアル夫婦なんだよな......結婚のお知らせ出た時、諸手を挙げて喜びましたね。マジでマジマジでお幸せな物語なのです。

私の価値観を変えたもの

 空の境界、副題はGarden of sinners、直訳で罪人たちの庭、ですね。この罪とは殺人、本作は七章通して殺人について語られます。各章タイトルがついていますが、二人の出会い、時間軸にして一番最初になる第二章が「殺人考察(全)」、物語の終わり、第七章が「殺人考察(後)」と名付けられています。また、物語に登場する異能の少年少女、仲間が欲しかったから、復讐が生んだ歪んだ愉悦、ただ一人の兄のため、そうするしかなかったから。様々な理由をもって、殺人という罪を背負います。物語を彩る魔術師たちは、方や死を蒐集し、方や生の概念を覆します。そして押し殺した感情、殺人衝動を抱える織と、昏倒した三年間、死の淵を漂い、織を失った式。死、命、痛み、殺人。なぜ生きるのかではなく、なぜ死ぬのか。死を考えることで逆説的に生をみつめる、なんて今となっては常套句ですが、当時十代の私はえらく衝撃を受けましたかね。
 私にとって、死とは誰かに意味を与えるものでした。小6ぐらいからガンダムにはまって、富野作品を迎合していったので、登場人物たちは常に誰かのために命を奪い、散っていったのです。ララァ・スンを失ったアムロ・レイやシャア・アズナブル、命を賭して戦った神ファミリー、穢れを払うために散っていったユウキ・コスモやショウ・ザマなど。僕たちは勇気あるものが燃やす生命の灯の儚さに涙していました。あとはCLANNAD AFTER STORYが放送されていたころでもありましたので、生きてくれていることのありがたさとかに触れて感動してましたね。

 そんなところに、殺人の話。大義名分や信念の元戦う勇者や、愛しき者と添い遂げる話を見てきた中、急に個人レベルの死の話。自分の人生をかけてたった一人を殺す物語。より現実の死に近いのはこっちでしたね。百年ぽっちの人生で、人類の存続をかけて争うこともなければ、壮大なロマンスに出会うわけもなく。殺してしまいたい、死んでしまいたい、そんな気持ちになることの方がよっぽど多いのです。社会人になって、楽しいことより辛いことの方が多い毎日になるとよっぽど実感しますね。毎日がエブリデイな中学時代とか、そりゃあ世界のために戦うぞうぉ~って物語のが面白いわけですよ。

 さて、こんな感じでよりリアルに近い死の概念を浴びたわけですが、では、「殺人」と「罪」とはなんぞや。作中にこんな言葉が出てきます。

         「人は、一生に一人しか殺せない」

 みなさんだったら誰を殺しますか。一生のうちで一人、誰かを殺してあげられるならば、どの命を奪いますか?この作品での正答は“自分”です。最後の時に、今までの自分を許すために、自分自身を殺してあげる。たった一度きりの殺人権。それを誰かに使ってしまうから、罪人は自分を許すことなく死んでしまうのだと。
 この作品に触れてから、ずっとこの言葉は胸に残っていますね。どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、本当に今、この時、自分を許してやれるのか。心の支えとして、かなり頼りにしましたね。自分が死んでも、絶対に今の自分は許してやれない。今の自分に、殺す価値なんてないって。よく死に場所を求めるなんて言いますが、生きるってそういうことかなって。死を見つめて生を実感するなんてありきたりですが、自分はこの作品を通じて初めて触れましたね。自分の死は誰かに意味を与えるものだとばかり思っていまして、それは今でも変わりませんが、自分の死は自分に何を与えるのか。自分にとっての自分の死とはなにか。あの時から時折考えるようになりましたね。

おわりに

 え、小生の語り下手すぎない?ってくらい、魅力の1割も伝えられた気がしない。なんでしょう、もっとこの章のこの文章最高だよな!って方がいいんでしょうか。手前の話はいいからもっときのこ文学を褒めたたえた方がいいんでしょうかね。でもこういう好きのなり方をしちゃったので許してください。
 まぁつまるところ、僕にとってのこの作品は、初めて知る死の在り方だったり、愛の形であったり、型月世界への間口であったわけです。

 本を読むタイプのヲタクであれば、ご興味ある方は是非とも小説を読んで欲しいです。劇場版はあるんですが、細やかな設定とか感情とか、ふかーく味わえるのは間違いなく小説です。でも、だからといって劇場版が悪いわけでもないのです。だって僕も劇場版から入ったから。今をときめくUfotableだもの。映像化を断固反対していた虚淵玄を納得させた名作だもの。面白くないわけがない。ただし、R-15程度の描写はあるので。エロい方も、痛い方も。特に、痛い方の描写がね。一部設定というか第六章も結構描写変わってるんでね。何より劇場版のおかげで橙子さんのビジュアルが一新されたしね。もうバインバインよ。ま、これ以上は百聞は一見にしかずって事で。

 それでは、また機会があればいずれどこかでお会いできれば。
 駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

 

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