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時代遅れの刑法175条


まえがき

僕はポルノ解禁論者だ。
現在ではあまりポルノ解禁論や性の解放論を論じなくなったような気がする。
しかし、僕が過去に読んだ本や見たテレビ番組ではまじめに議論されていたのだ。
しかし、昭和から令和まで多少の変化はあったものの、いわゆるアダルトビデオ(以下AV)の表現の規制に関してはほとんど変わっていないのだから、現在でもその問題は議論されてもおかしくないはずだ。
また、インターネットが普及した現在ではAVのほかにアダルトサイトにおける規制も同様に考えられる。
AVやアダルトサイトの規制の主なものは局部を露骨に露出させることを禁じるもので、局部にモザイク処理などのぼかしを入れなければならないことだ。
これは刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)によって規定されている。



刑法175条


刑法175条の条文は以下の通りだ。

1. わいせつな文書、図画(とが)、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布(はんぷ)し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役もしくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科(へいか)する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
2. 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

なお、刑法175条は平成23年(2011年)に改正されたが、改正される前の条文は以下の通りだ。

わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。
販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

要するに、以前の条文に、電気送信(インターネットなど)によって電磁的記録(データなど)を頒布すること、公然と陳列すること、有償で頒布する目的で所持すること、また、それを保管することが付け加えられたわけだ。
昔はアナログだったので、映像を送信することはテレビ局ぐらいしかできなかったが、デジタルが普及した現在は誰でも簡単に映像や画像のデータを送信できるようになり、それらをインターネットで閲覧できるようになった。
また、昔はAVの記録媒体と言えばもっぱらビデオテープだったので、それ自体を所有するしかなかったが、現在ではSDカードやハードディスクなどにデータだけを記録して所持できるようになった。
だから、改正されたのはこういう時代の変化に合わせたものと考えられる。
しかし、ただ規制の対象をインターネットに広げただけで、この法律の本質自体何も変わっていない。

刑法175条の「わいせつ」とは「徒(いたずら)に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する」こととされている。
しかし、これが刑法のいわゆる上位法である憲法の「表現の自由」に抵触する恐れがあることが主に過去の裁判で争われてきたのだ。


過去の判例

過去に争われた裁判には次のようなものがある。

○1948年(昭和23年)  サンデー娯楽事件


「好色話の泉」・「其の夜我慾情す」・「変態女の秘戲」・「処女の門、十七の扉ひらかる」という記事を掲載した新聞『サンデー娯楽』のわいせつ性が問題となり、編集発行人が起訴された事件。
1951年(昭和26年)、被告人の上告が棄却され有罪が確定した。

○1951年(昭和26年)  チャタレー事件

イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、出版元の社長に対して刑法175条のわいせつ頒布等の罪が問われた事件。
出版者の社長に罰金25万円、翻訳者の作家に罰金10万円を処する有罪判決。
1957年(昭和32年)、最高裁が上告を棄却し有罪確定。

○1959年(昭和34年)  悪徳の栄え事件

性的描写が含まれるマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳した作家澁澤龍彦と、出版した現代思潮社社長が刑法175条のわいせつ物頒布等の罪に問われた事件。
出版社社長に罰金10万円、翻訳者の作家に罰金7万円の有罪判決。
1969年(昭和44年)、最高裁が上告を棄却し有罪確定。

○1965年(昭和40年)  黒い雪事件

映画『黒い雪』の映画監督武智鉄二と映画を配給した日活株式会社の配給部長が、刑法175条(わいせつ図画公然陳列罪)で起訴された事件。
一審で無罪判決が下されたが、検察側が控訴、しかし、二審で検察側が上告を断念し無罪確定。

○1972年(昭和47年)  四畳半襖の下張事件

作家野坂昭如が月間誌『面白半分』に掲載した永井荷風作の戯作『四畳半襖の下張』が刑法175条(わいせつ文書販売の罪)に抵触するとして、作家と同誌の社長が起訴された事件。
作家に罰金10万円、社長に罰金15万円の有罪判決が下され、被告人側が上告。
1980年(昭和55年)、最高裁が上告を棄却し有罪確定。

○1972年(昭和47年)  日活ロマンポルノ事件

日活ロマンポルノの成人映画『愛のぬくもり』『恋の狩人・ラブハンター』『OL日記・牝猫の匂い』『女高生芸者』の映画本部長、製作・配給責任者、監督の6人がわいせつ図画公然陳列罪、映画を審査した映画倫理委員会の審査員3人が同幇助(ほうじょ)罪で起訴された事件。
一審で無罪判決も検察側が控訴。
1980年(昭和55年)、二審での無罪判決に対して、検察側が最高裁への上告を断念し無罪確定。

○1976年(昭和51年)  愛のコリーダ事件

大島渚監督の映画『愛のコリーダ』の脚本と宣伝用写真等を掲載した書籍の一部がわいせつ文書図画に当たるとして、わいせつ物頒布罪で監督と出版社社長が起訴された事件。
被告人側は「刑法175条は憲法違反である」と主張。
一審二審とも「当該書籍はわいせつ物に当たらない」として無罪判決。

○1983年(昭和58年)  ビニール本事件

ポルノ写真誌(ビニール本)のわいせつ性が争われた事件。
1983年(昭和58年)、最高裁は一審・二審で有罪とされた被告人の上告を棄却し有罪確定。

○2002年(平成14年)  松文館事件

松文館から発行された成人向け漫画『蜜室』がわいせつ物にあたるとして、同社の社長、編集局長および著者である漫画家のビューティ・ヘアが逮捕された事件。
著者と編集局長については略式裁判により、それぞれ罰金50万円が確定。
一審でわいせつ図画頒布の初犯としては異例の懲役1年・執行猶予3年の判決が下されるも被告人側が控訴。
控訴審では一転、一審判決を破棄、罰金150万円の判決が下され、被告人側は上告。
2007年(平成19年)、最高裁で上告棄却が決定され、二審判決が確定。


わいせつの定義

刑法175条の「わいせつ」の定義については、過去の裁判でも様々な意見が出され、議論されてきたようだ。
いずれの裁判でも文芸作品であれ、映画であれ、写真集であれ、争われたポイントは性器が露骨に描写されている程度やそれと芸術性とのバランスの程度などのようだ。
僕の挙げた判例はネットで調べて掲載したものだが、古い例が多いかもしれない。
しかし、それは今よりも昔のほうが社会が性的表現に対して神経質で、露骨な表現に対して厳しかったという面も関係していると思う。
40代後半の僕の学生時代は、男女の裸や性行為が世の中に氾濫している度合いは、今とは比べものにならないほど差があったのだ。
ぼかしが入った成人向け雑誌(エロ本)は昔は本屋の片隅に売っていたが、今よりも買うのに羞恥心が伴った。
僕が無修正の「裏ビデオ」を初めて見たのは意外に早く小学校6年生の時だったが、たまたま親が暴力団関係者の友人がいたからだった。
無修正のビデオなどはそういう奴でないと持っていなかったのだ。
だから、昔は今と比べて刑法175条が規定する「わいせつ物」を見る機会は非常に少なかったと言える。
しかし、現在普及しているインターネットは世界と繋がっているのだ。
知ってのとおり欧米には日本の刑法175条のような法律はなく、無修正の写真・画像・動画を雑誌やインターネットに掲載したり、それらを掲載した商品を販売することに特に規制はない。
しかし、欧米では子供にそういうものを見せることに関しては日本と同様かそれ以上に厳しいのだ。
だから、例えば、そういう商品を販売している店には子供は入れないようになっている。
欧米ではキリスト教という宗教の影響からか表現の自由が日本より尊重される反面、ゾーニングやレイティングによって子供への悪影響を防いでいるようだ。
アメリカのテレビが女性の乳首をぼかしなしで放映するのを禁止しているのは、テレビは不特定多数の人が見るので、当然子供の目にも触れる恐れがあると考えられるためだ。
また、欧米は排泄・汚物・近親相姦についての表現の規制は日本より厳しい傾向があるような気がする。
中国のように国家が国民のインターネットの閲覧を制限しているわけではない我が国が、国内でAVや書籍やアダルトサイトにいくら規制をかけても、インターネットの世界ではボーダーレスなのだから、もはや性表現に関しての日本独自の解釈など世界に通用しないと考えたほうがいい。
もし政府が本気で規制をかけたいと考えているなら、それこそ中国のようにインターネットの閲覧やAVの制作・販売に厳しく制限をかければいい。
それができないのであれば、グローバリズムの観点からも欧米諸国と足並みを揃えるべきなのだ。
海外の人も日本のAVはインターネットでいくらでも見れる。
一応先進国である日本のAVを外国の人が見た時、日本はこれでも先進国なのかと思うだろう。
このように時代によって性表現の環境が大きく変わってきているのだから、わいせつの定義もそれに合わせて大きく変わっても不自然ではないのだ。


AVの審査の実情

過去にAVに関する規制の基準が見直されたのは、主にヘア(陰毛)・アナル(肛門)の露出が解禁されたことだ。
これは法律が変わったわけではなく、AVの審査を行う組織の審査基準が変わったに過ぎない。
かつて存在した日本ビデオ倫理協会(ビデ倫・NEVA)が同協会の審査を受けていないインディーズメーカーの台頭を許したことから、2006年に基準を見直したのだ。
ビデ倫は、2010年に日本コンテンツ審査センター(JCRC)に審査業務を委託し解散する。
ソフト・オン・デマンドなどのインディーズメーカーのAVはコンテンツ・ソフト協同組合(CSA)という組織が審査していたが、同組織も2010年に日本コンテンツ審査センターに審査業務を委託し、2015年に解散している。
つまり現在は日本コンテンツ審査センターという一般社団法人がAVの審査業務を行なっているわけだ。
ややこしいかもしれないが、もっと正確に言うと、日本コンテンツ審査センターは、2010年にビデ倫の加盟事業者により構成される日本映像倫理審査機構(日映審)とコンテンツ・ソフト協同組合(CSA)の内部組織であったメディア倫理委員会(メディ倫)の審査業務を統合して発足した。
ヘアやアナルの露出を解禁することを決定したのはこういう組織の判断なのだから、性表現に関するあらゆる規制を撤廃する権限もこういう組織が有しているように思うかもしれない。
しかし、過去の判例で示したように審査した側が裁判で責任を問われるケースもあるのだから、最終的に規制の度合いを決定するのは裁判所の権限のようだ。
だから、結局のところAVの表現の規制が撤廃される要件は法律自体が大幅に改正される以外にないようなのだ。
裁判で時代に即してわいせつの解釈を変えるにしても、今までの判例もあるし、裁判官の判断で性表現の規制が大幅に変更されるとは考えにくい。
裁判所が甘い判決を下せば検察側が控訴するに決まっているし、最終的な判断は最高裁に委ねられる。
だから、最高裁が判断の拠り所とする法律を変えることでしか性表現の大幅規制撤廃はあり得ない。


規制撤廃のメリットとデメリット

なぜ僕がこの問題を取り上げようと思ったかと言うと、決して日本のAVをすべて無修正で自由に見られるようになれば個人的にありがたいというゲスな発想だけではなく、ほかの誰もがまじめに議論したがらない問題であると同時に、僕だから取り上げられる問題のような気がして若干責任感のようなものを感じたからだ。
なぜなら僕は過去に店で違法DVDを販売した罪で有罪になった経験があるからだ。
さらに、規制撤廃によるデメリットよりメリットのほうがはるかに大きいと考えられるから、もし実現すれば社会にとって利益になると考えたためだ。
AVの規制を撤廃することで考えられるメリットは大きなものとして2つある。

1. 日本の税収を増やすことができる

2. 暴力団の資金源の一つを断つことができる

日本の無修正のAVは日本国内で販売できないことになっているから、インターネットで見られる日本の無修正のAVはすべて海外の会社が配信しているわけだ。
しかし、日本人の無修正AVを制作・販売しているメーカーやそういうAVならびに素人の無修正の投稿動画などをインターネットで配信している会社は法の網をかいくぐるために会社の登記を外国にしているだけで、外国のその会社はほとんど経営実体のないペーパーカンパニーのようになっているのが実情のようなのだ。
実際の実務はほとんど日本国内でやっているように思われる。
しかし、あくまで外国の会社である以上、税金はその国に納めなければならない。
客観的に見て日本のアダルト産業の規模は欧米のそれとは引けを取らないぐらい発達していると思うので、そういう会社の税金が日本に納められず、外国に納められてしまうのは国民の一人として非常に残念だ。
また、規制を撤廃することでそういう会社が抱える後ろめたさを拭い去ることができる。
そういう意味で刑法175条は「他国を利して自国を害する」悪法以外の何ものでもないのだ。
また、無修正のAVの販売が国内で禁じられていることに乗じて、暴力団が「裏DVD」の販売に関与しているという実態もある。
裏DVDが売れ続けるのは、コピーなので比較的安い価格で販売できることとダウンロードよりDVDのほうが良いというDVDファンが根強くいるためだ。
そういう違法販売者と警察とのいたちごっこがいまだに続いており、過去の僕のようにほとんど罪の意識のない無駄な逮捕者を出しているのだ。
僕は取り調べの時に刑事にこう言った。
「僕は何も悪いことをしたっていう自覚はないですよ。無修正の動画なんて世の中に溢れているし、社会の風紀を乱すとか言われても……」
しかし、刑事はこう言ったのだ。
「確かに君の言う通りかもしれない。でも、君がやったことの一番悪いことは暴力団の資金稼ぎに協力したということなんだよ」
しかし、そう言われても僕はその仕事はスポーツ新聞の求人欄にほかの仕事より多少給料が良かったという理由で応募したに過ぎない。
僕がやらなくてもほかの誰かがやる。
むしろ僕は暴力団に利用された被害者だという意識のほうが強かったのだ。
とにかく無修正のAVを公の店舗で堂々と販売できるようになれば、裏DVDの存在価値がなくなるのだから、そういう店もなくなるのだ。
暴力団の資金源を一つ減らせるだけでなく、警察の公務の負担も減るのだ。
AVの規制撤廃によるデメリットだが、僕の個人的見解ではほとんど考えられない。
前にも言ったように日本人の無修正の動画は国内でもインターネットで見られる。
国内で見られる日本人の無修正の動画の割合と修正済みの動画の割合がどれくらいかはわからないが、仮にその何割かの無修正の動画が全部になったところで、それほど社会に悪影響を与えるとは考えにくい。


日本の奇妙な実態

刑法175条で争われた主な争点は、「わいせつ」の定義だが、判例は一貫して「わいせつ三要件」を採用している。
わいせつ三要件とは以下の通りだ。

1. 徒に性欲を刺激・興奮させること

2. 普通人の正常な性的羞恥心を害すること

3. 善良な性的道義観念に反すること

この3つの要件が揃ってはじめて罪が認められるわけで、一つでも欠けていれば認められないということだ。
なお、わいせつの定義の解釈が時代によって変化することは裁判所も「性一般に関する社会通念が時と所とによって同一でなく、同一の社会においても変遷がある」と言っているように認めているのだ。
もう一つの論点は、性表現を解放することは保護法益に反するというものだ。
この保護法益の法益というのは法律用語で、法令がある特定の行為を規制することによって保護、実現しようとしている利益のことだ。
わかりやすく言うと、例えば、刑法175条で性表現を規制することで社会にどんな利益があるかということだ。

刑法175条の保護法益には次のようなものがある。

1. 性道徳・性秩序の維持

2. 社会環境としての性風俗の清潔な維持

3. 国民の性感情の保護

4. 商業主義の否定

5. 見たくない者の権利ないし表現からの自由

6. 青少年の保護

7. 女性差別の撤廃

8. 性犯罪の誘発防止

9. 法の統一性(法解釈の変遷)

だから、規制撤廃に反対する立場の人間の主張の根拠として、わいせつの定義とこの保護法益が考えられる訳だ。
しかし、規制を撤廃することが本当に保護法益に反することになるのだろうか。
日本の法律や取り締まりの実態には本当に必要なのだろうかと首を傾げたくなるものも多いからだ。
例えば、たまにニュースでインターネットで局部をライブ配信で露出したという罪で逮捕される男女を目にする。
その中には自分個人で配信した者もいれば、ギャラを支払って配信させた者もいる。
しかし、それらの人は刑法175条で逮捕されているわけではなく、刑法174条の公然わいせつという罪で逮捕されているのだ。
日本の会社が運営するサイトで無修正の局部を晒した場合、当然、刑法175条のわいせつ物頒布罪やわいせつ図画公然陳列罪が適用される。
だから、日本の会社が運営しているサイトではそういう行為を禁止しているのが普通であり、もし行った場合、アカウントが停止されるなどの措置が取られる。
しかし、海外の会社が運営しているサイトであれば、日本の法律の管轄外だから、当然日本の法律が適用されることはない。
しかし、日本の警察はわざわざそういう行為に対して公然わいせつ罪を適用して取り締まっているのだ。
このような取り締まりをしている警察は日本以外に考えられないと思う。
もちろん外国にも公然わいせつ罪はあるが、それは主に公共の場所で適用されるものであって、インターネットにまでそれを持ち込む国は日本だけではないのか。
取り締まる警官に罪はないのだから、その上の警察庁の官僚の責任だろう。
もっと言えば、そのまた上の政治家の責任だ。
そして、裁判官も法に則って判決を下している以上、法を整備する政治家の責任だ。
だから、日本が諸外国から時代遅れで奇妙な国とバカにされる原因はもっぱら無責任で怠慢な政治家にあると言える。
日本のもっとも酷い売国奴は他ならぬ日本の政治家なのだ。
「こんな日本に誰がした」とよく言うが、その原因は我々の選んだ政治家が無能な人間ばかりで、政治がまともに機能していないからだ。


2023.7.12加筆修正











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