僕の心の中。

僕は、自分が生きている数十年後が想像出来ない。
かと言って、今を全力で生きているわけでもない。
惰性も惰性で生きている。

21歳。大学2年生。
ビニールハウスで育った僕は、ハングリーさの欠片もない。
高校から私立だし、大学受験も安牌しか選んでない。
学費も家賃も生活費も親に払ってもらっている。
僕からすれば当たり前だ。
やる気が出ないという理由で、留年も休学もした。
なんとか真っ当そうな理由をつけて親を納得させたが、そんな理由など取ってつけたものだ。
テストに関して言うと、テストのための努力はしたことないのに、点数を取っている同級生にはちゃんと羨ましがる。そして次のテストは勿論努力しない。

プライドだけは一丁前にある。
失敗したくないし、情けない姿なんか絶対見せたくない。
他人と比べ、きょうだいと比べ、親と比べ、その都度悲観し、嘆き、「どうせ僕のことを蔑んでいるのだろう。」と被害妄想に走る。
日常茶飯事だ。

僕は、自分で言うのも何だが人に優しい。
ただ、「こうしたら良く見えるだろう。」の繰り返しなだけである。
他人に感謝したことも、他人を尊敬したことも、本当のところは一度もないのではないかと思う。
そもそもの記憶が無いからわからないのだが。

嫌なことからは逃げ、時間の経過をただ待ち、呆れるまで待つ。そして、無かったことにする。
これが僕のいつものやり方だ。
サークルから逃げたのもそうだ。
無理やりそれっぽい理由をつけて離れたが、本心はなんとなく嫌になったという、それ以上でもそれ以下でもない理由だった。
21年間、こんな生き方しかしてきてない。

いっそのこと死んでやろうかと思ったことは何度もある。
ただ自殺は自分が加害者になる。
それに、面倒くさい。
死ぬための勇気も無ければ、努力もしない。
骨の髄まで怠惰なのだ。

ここまで来ると、自分をクズと自覚し振る舞ったらいいのだろうが、それは僕のプライドが許さない。
良くは思われたい。
友達も欲しいし、彼女も欲しいし、セックスもしてみたい。
ただ、そのための努力をするつもりもないし、光を探す気力もない。
落ちてくるのを待ってはいるが、落ちてきたものに対して、受け止められる許容は僕には無い。


あぁ、世の中の甘いものだけほしい。
そうならないなら、通り魔にでも刺されないかな。
最後は被害者で死んでいきたい。
責任なんて取りたくない。