「逆コナンくん」状態が鬱病である

 ここ最近調子が良くない。他人と比較したり、普通と比較したりする思考回路が活性化し、無力感に苛まれている。良くなったかと思いきや、こういうふうに症状がぶり返すのは、この病気では常だが、やはり辛い。今までの治療はどこへ??と。果たして治るのか不安であるが、こういう「将来どうなっちゃうの」的な考えはどんどん気持ちを落とす悪因なので、直ぐに断ち切る。

 とりあえず「呼吸」を整える。私が実践しているのは「座禅」。楽な姿勢で息を限界まで吐き、思いっきり息を吸う。これを一定のペースで30分程。そうすると頭の中で渦巻いてた「ネガティブな色々」が意外とスッキリするのである。気持ちも幾分軽くなる。故に、今パソコンに向かっているわけだ。

 「座禅」を終えてから頭に浮かんだ事。それは、「愛されたい欲求がまだまだ強い」状態にあるんだなと感じている。心理学的には「愛情欲求」や「幼児的願望」という用語で説明される事象だ。

 ここで言う「愛されたい」というのは、本来は「親から」であるのだが、これが正常に機能しなかったため、心の愛情メーターがガス欠状態。

見た目は大人、中身は子供、といった「逆コナンくん」状態なのである。

 私の幼少期の記憶をたどると、母親に叱られたり、機嫌悪いという感情から八つ当たりされたり、常に母親の動向に精神を張り巡らせていたように思う。「愛されたなかったのか?」といえば、たぶん「愛されていた」のだろうと思うが、どうもネガティブな記憶ばかりが濃く残っていて、ポジティブな記憶はなかなか引き出せない。一方、祖父や祖母に愛された記憶は鮮明に残っており、今のところそちらの記憶を拠り所にプラスマイナス0の状態を意識的に創りだそうとしている。

 成人後、私は実家を飛び出し上京した。それは「母親」の監視下を一刻も早く離れたい、自分の思うがまま生きたい。といった切実な思いが動機にある。しかし、精神的には上記に書いたように「愛情」を求めている、という自己矛盾に陥っている。それを解消する方法は、昔の記憶を異なった角度から再評価する、愛情を受けたシーンを思い出してネガティブな感情比率を下げていく、などなど実践している最中で、ゆっくりではあるが効果は出てきているように思う。

 我が家はあまり本音での会話が昔から少ない。馬鹿話はあまりないし、なんとなく堅苦しい。それはたぶん母親という「監視員」におびえていたからだろうなと思う。今ではいくぶん家族の雰囲気は良くなってきた。道は長そうだが。

 話を戻すと、鬱病の方々は大なり小なり「愛情」を色々な場面で求めている。それが憎しみや怒り、悲しみ、または八つ当たり、など一種の衝動的な行為として表面化してしまうんだ。自傷行為もその1つ。死にたい=それだけ苦しい!誰か気づいて!愛して!という叫びの裏返しなのだ。

 私も日々そういう叫びと葛藤しながら、苦しみながら過ごしている。いつか「脱・逆コナンくん」を達成して、清々しい毎日を過ごしたいと思っている。

 

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