脳内おしゃべりを鎮める

先日、1年ぶりくらいにブログを書いて、とても心がスッキリすることがわかったので定期的に書いてみようと思う。先のブログは30分位で脳内に浮かんだ言葉をズラズラと並べたものだったのだが、数名の友人や知人からあれこれリアクションがあり、大変恐縮している。

その後、調子に乗ってあれこれ書こうとしても、まったくかけなかった。不思議なもので、頭にイメージが湧き上がってこないと、どうもタイピングが進まない質らしい。

今日は金曜日。2週間ぶりのカウンセリングだ。どうやら明日から3連休らしい。だからといってテンションがあがるわけでも予定を入れるわけでもなく、代わり映えのない連休となりそうだ。

昨夜から朝にかけて、大変不愉快な夢を見た。一つは大嫌いな虫が蠢いている夢、一つは父親がいつも通り「ルールを守れ」とか「これはこういうもんだ」などを私に向かって喋っている夢。

結果、いつも以上に鈍重な目覚めとなった。天気が良かったことは、せめてもの救いだ。

そんなスタートを切った今日は、なかなか難儀な一日となった。お昼くらいから抑うつ状態が強くなり、頭がぼーっとして、脳内へのあらゆる情報入力をシャットアウトした感覚。この状態、とても眠気を誘う。脳が「俺は疲れてるんだよ」と言わんばかりに、睡魔を送り込んでくる。

まずい、視点が定まらなくなってきたぞ…。なんて具合に陥る。

しかし、本日は来客デー。普段、営業電話が来てもお断りするのだが、今回は自分の興味分野でもあったので、来社してもらうことにしていたのだ。

商談の内容は別にして、程よく抑うつ状態であるときのほうが、質問や返答が明瞭かつ的確であることがわかった。以前からなんとなく気がついていた傾向であるが、なかなか謎である。脳内メモリの可動領域が抑うつ状態になると「限定」されてしまうため、極力「無駄」を排除しようとする意識が働くのだろうか。

全く、よくわからない。この状態のままのほうが余計なことを考えずに済むということであるならば、そのほうが良いのでは、なんて考えた。私自身の不快感や抑うつ感は消えることは無くとも、生産性は高まるような気がしている。

たぶん、その考えは見当違いなのだが。

ここまで書いても、中身のない文章で一体全体なんなんだ。という感じだが、普段全く心持ちをアウトプットすることがないので、脳内は常に忙しい。

話す機会があり、安心できる相手となれば、ベラベラ喋るわけだが、そんな機会も気力も相手も今はないので、こういうツールで代替しているのだと思う。たぶん、人に対して心を開くことへの恐怖心・不信感が深く突き刺さってしまったからだろう。自ら人と距離を縮めるのは、怖いし、どうしたら良いのか忘れてしまったのだ。

余談だが、新卒で入った会社の社長に「お前は社長を差し置いて喋り過ぎなんだ、社長より喋るやつがどこにいるんだ」と叱られたことが懐かしい。今ではすっかりその面影はなくなってしまったようだ。大変、残念である。

そして、それをブログで代替し、少し脳内のおしゃべりを鎮め、さてカウンセリングへ向かおう。

今日はどんなカウンセリングになるのだろうか。不安と少しの期待で心と頭がいっぱいである。

皆様、よい週末を。

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