「花鳥風月」を求めるココロ
うつ病になって失ったものはたくさんあると思っていた。仕事、収入、人間関係、地位、夢、希望。当時はその喪失感の大きさに我を失い、日々死にたい死にたいという言葉を念じていた。生きている心地がしなかった。しかし、最近はそうでもない。というか、頻度が減ってきている。
たぶん、客観的に「失ったもの」に対しての評価が出来てきている証拠だと考えている。
「それは本当に失いたくなかったものなのか?」
「むしろ生きていく上で贅肉だったのではないか?」
答えは「YES」だ。何もかもが自分が欲しているモノではなかった。
正確には「他人からよく見られたいが故に求めていたもので、自分が心から欲していたモノではなかった」
という事が分かってきた。うつ病になると、人に会わなくなる。そして、自分の内面との格闘の日々が始まるわけだ。外を気にして構築してきた自分と本来の自分が向き合い、心を深化させていく。
「あなたが本当に望むものは何?」
と、問いかけてくる。その問に対して感じるままに行動する。
今は春。自分が求めているものは「花鳥風月」であった。満開の桜を見て、さえずる鳥の声に耳を澄まし、舞い散る花びらに風を感じ、月を見て静寂を知る。
そんな時間が心地よい。何かに急き立てるわけでもなく、自分の意志で自分の人生(時間)を生きる。これがなにより大切で重要なことではないかと思う。
「自然に身を委ねるんだ」
あの頃「失った」と思っていたモノ達は、本来はしがみつくべきモノでは無かったのだろうと思う。うつ病がそれを教えてくれた。「あなたが本当に欲しているものは他にある」と。
うつ病は辛い。今でも逃げ出したい時がある。しかし、反面感謝もしている。これまでの人生を振り返り、新たに自分らしい人生を構築できるチャンスを与えてくれた。
道はまだ長い。いつ完治するかなんて分からない。それでも、私は生きていく。そんな自分を褒めてやろうと思う。
自分らしい人生を。
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