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いとしの儚を生で観てこの世に悔いが無くなった話

11/27  みきくらのかい 第八回公演リーディング
『いとしの儚』 @大阪 サンスクエア堺

大変ありがたいことに、昼夜の両公演を観させていただきました。

はじめに

公演が終わってからずっと、三木さん演じる儚が歌っていた「人の夢、はかな」が頭の中を流れている。

物凄いものを観た。
たった2人きりの朗読劇、1冊の台本と少しの小道具、たったそれだけで「いとしの儚」という物語にもの凄く引き込まれて、今でも余韻がずっと続くくらい、本当に本当に素敵な公演でした。


今までずっとずっと再演を願っていたものを生で観られた奇跡を自分が忘れないために、一生懸命感想文を書いていきます。

もはや感想文というか、自分の見たものや感情を自分が忘れないための備忘録。
その日の流れや、見たもの思ったことその他クソデカ感情を全部そのまま書いているのでマジでめちゃくちゃ長いです(先に言っておくと1万5千字超ある)


《注意》
・物語の内容にかなり触れます。ネタバレしかない
・語彙力も考察力も低いので、解釈違い甚だしかったら本当にすみません。完全なる自己満なのでご容赦ください
・江口拓也のオタクが書いているので江口拓也に対する言及がかなり多いです。
・敬称略とさん付けが入り混じっています。江口拓也をフルネーム敬称略呼びするのは癖です。気になったらごめん
・前振りがめちゃくちゃ長いので本題の朗読劇への感想まですっ飛ばして結構です

「いとしの儚」の再演について(前振り)

わたしがこのみきくらのかいの「いとしの儚」という公演のことを知ったのは、もうその初演が終わったずっと後のことだった。

江口拓也の存在を知ってまだ間もない頃で、過去に江口拓也が三木さんと一緒にやった朗読劇で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら役を演じたというお噂だけ知っていた。
それを特別に配信すると知った時は、当時まだ江口拓也のビジュアルが大変好みでハマっていた浅はかなわたしは「好きな男が泣いてるところゼッテーみたい、配信してくれるの助かりすぎる〜〜〜〜〜〜〜〜!」と飛びついた。マジで浅い。

そんな軽い気持ちで配信をみた結果、とんでもない衝撃を受けることになった。

初めのうちは「鈴次郎」というわたしの癖(へき)を寄せ集めて煮詰めたようなキャラクターを、わたしの好きな人が演じているということに浮かれていたけど、次第に物語の内容に引き込まれすぎて、いつの間にかそこに映っている2人を完全に「鈴次郎」と「儚」として観ていた。終わる頃には涙で画面が見えないほどだった。

観終わった後も余韻がずっと抜けなくて、あまりにも巨大な感情を抱えて居ても立っても居られなくなり、つらつらと感想文を認めて友達に送りつけた。そんな当時の感想文のタイトルがこれ

浅いな〜

とにかくこの時、生まれて初めて朗読劇というものをみて、物凄い衝撃をうけた。
基本的にたった2人きりでの朗読劇、少しの動きとあとはもう声だけの演技でこんなにも世界に引き込まれるとは思っていなかった。心が震えた。

そして、涙を流しながら全身全霊で鈴次郎を演じる江口拓也をみて、その迫真の演技に物凄く圧倒され、この人はお芝居の人なんだということを思い知らされた。今思えばここから彼の演技に、ひいては朗読劇というものの魅力に猛烈に惹かれるようになっていったように思う。

とにかくこの素晴らしい公演をもう生で観られないことが本当に本当に悔しくなって、期間中何度も配信を買っては繰り返し観ていた。大急ぎでパンフレットも買った。
いつか、万が一、また再演することがもしあれば、その時は是非とも観に行きたい…………………とずっと願って生きてきた矢先である



立ち上がった。

エ?ガチ?神様ってもしかして、いる?

いとしの儚の再演が、まさか本当にあるとは思ってもいなかったから、本当に本当に嬉しくて震えた。
再演が決まった時点で既に感無量で泣きそうだった。

と同時に両公演の会場キャパを調べて崩れ落ちた。すっっくなくない?!?!?!?!?!?!
これのチケットが取れなかったら心が終わることが目に見えているので、来たるチケット戦争に命を握られる恐怖に怯えながら数日過ごした。

申し込みの時点で動悸と吐き気が治らず、そして神に祈りながら迎えた当落の日、仕事の休憩時間に震えながら当落メールを開封する。

1つ目、東京昼公演、落選(アッ死ぬ)
2つ目、東京夜公演、落選(終わった)
3つ目、大阪昼公演、当選(?!?!?!?!?!?!?!?!?!?)

会社の休憩室で思わず腰が抜けた。
手が震えてきて、流石にちょっと泣いた。

ちなみに4つ目の大阪夜公演は落選だったけど、1つだけでも行けることが本当に本当に嬉しかった。
(その後の一般受付でなぜか未だかつてないくらいスムーズに夜公演のチケットも取れ、ありがたいことに昼夜両方行けることになった。神に感謝)


あのいとしの儚を生で観られるということが本当に本当に嬉しくて、楽しみで、
でも同時に、配信でさえあんなにも感情がめちゃくちゃになったのに、あれを生で、しかも日に2回も観て無事でいられる気がしない恐怖と、初めて観た時の衝撃が大きすぎて、それを超えられるほどのものをわたしが受け取れるかどうかへの一抹の不安、行ってしまうと終わってしまうので逆に行きたくない気持ちなど色んな感情でぐちゃぐちゃになりながら当日を迎えた。


朗読劇当日

開始まで

当日、余程緊張していたのかなぜか5時ごろに目が覚める。もう少し寝れるし、寝不足で集中できないのは嫌だったので気合いで二度寝。その後無事起床

午前の部はお昼をまたぐので、途中でお腹が鳴りそうになるのは嫌だなあと思いちゃんと朝ごはんを食べるつもりだったのに、朝の時点で既に緊張で吐きそうで、無理やりスープとゼリー飲料を流し込んでホテルを飛び出した。

会場近くまでついてからはもう恐ろしさの方が大きくて、友達にずっと「行きたくない、こわい、帰りたい」とLINEを送りつけながら完全に死地へ赴く兵士の気持ちで会場に向かった。足取りが重すぎる。

会場につき、受付を済ませてグッズの列に並んでいる間、ロビーでみきくらのかいの過去の公演のダイジェスト映像がずっと流れていて、初演のときの「いとしの儚」と、特別公演の「曲がり角の悲劇」の江口拓也が悲痛に叫んでいるシーンがかなりの頻度で永遠に流れてきて情緒が終わった。

あまりの緊張でトイレが激近で、朝からすでに何度目かわからないけど始まる前にトイレ行っとこ、、と思い並びに行く途中にホール内の様子が見えて、あまりのキャパの狭さに震え上がる。どう足掻いても近い。確定死じゃん…

午前の部は前のブロックの1番後ろの席だったけど、座ってみると驚くほど近い。いやまあ冷静に考えて6列目とかだから遠いわけなくない?????舞台上のお2人が座るであろう椅子のあまりの近さに大焦りした。
こんな距離で今からいとしの儚を観るということがここまで来てもうまく飲み込めず、手を握り締めながら舞台上の椅子を見つめていた。



朗読劇への感想(ようやく本題)

暗くなり、三木さんが現れ、舞台の真ん中に腰掛けて話し出す。
元々三木さんのお声が大好きで、事あるごとに三木さんのお声がするキャラクターに惹かれてきた人間なので、初めて生で観る三木さんのお芝居はもう感無量で、一瞬で惹きつけられた。

青鬼として、静かに語り始めるのは博打のお話。
「聞きてえか?」と言って、過去にツキの神様にえらく好かれた博打打ちがいた話をゆっくり、静かに話す三木さんの迫力に釘付けになった。

すると、後ろの方から人が歩いてくる音がして、振り返ると、ゆらりゆらりと客席の通路を歩く江口拓也がいて、息を呑んだ。

長い羽織を引き摺って、ペタンペタンと草履を鳴らしながら、力なく、虚な表情で、首を垂れて歩く姿は既に鈴次郎で、何だか不気味で、目が離せなかった。
江口拓也の姿を見てゾッとしたのは初めての経験だった。

江口拓也が舞台に上がり、2人が向かい合ってそれぞれ中央にあるガラスの鉢にサイコロを投げ入れ、「いざ、勝負」と言っていよいよ物語が始まる。


全体を通してみると、初演のときと配役が変わっているところ(例えばオカマの三木松が江口拓也になっていた)があったり、演出が少し違っていたり、場面も少し追加されていた気もする、とにかく初演の時とは違うアレンジがされている部分が結構あった。

あとこれはわたしの印象だけど、江口拓也は初演の時より話しながらの身振りが少なかったような気がする。
その分、声の演技の迫力というか、説得力というか、それだけで十分な何かがあった。
特に鈴次郎とお鐘や三木松の女性的な声、それから地の文の声との切り替えが本当に凄くて、彼の演じ分けの技術に魅了された。

それと、鈴次郎の演じ方も初演と比べると変わっている気がした。
初演の時の鈴次郎の方が若い印象があって、若さ故のどうしようもなさ、やるせなさみたいなものを感じたんだけど(もうあんまり覚えていないが)、
江口拓也自身があれから数年歳をとっているからもあるのかな、今回の鈴次郎はよりドスの効いた低い声で、迫力があって、鈴次郎の粗暴さや、何というかもう本当にどうしようもない、こんな生き方しか知らない人間だということが物凄く顕著に表れた、人格が完全に出来上がった大人の男になっていた。

三木さんの演技はもう本当に鮮やかで、江口拓也より倍くらいの登場人物、それも年齢も性別も様々な人を完璧に演じ分けていて圧倒された。
特に女性を演じる時、スッと脚を閉じたり、所作まで綺麗でハッとした。同じ人が演じているとは思えないほど、そこにはたくさんの人物が間違いなく存在していた。

三木さんの演じる儚が本当に本当に可愛らしくて、
まだ初めの、鈴次郎に育てられ、乱暴な鈴次郎の言動を真似する純粋で無邪気な儚も、お寺に預けられて教養を身につけ、立派な女性に成長した儚、それでいてやっぱり純粋で、一途に鈴次郎のことを想う儚、全てがあまりにも自然で、ひたすらに儚だった。


冒頭の賭場のシーン、テンポ良く、ころころと人物が変わる2人の演技に、照明や、音の演出がピタッと合わさり、あっという間に舞台上は賭場の空間になった。

ツキの神様に愛された鈴次郎の賭け事に対する圧倒的な強さ、負けを知らないことから表れる自信満々で高慢な態度、それを江口拓也は完璧に表現していて、余裕たっぷりに「半。」と言い放つ鈴次郎はたまらなく魅力的だった。

赤鬼の鬼シゲとの勝負にも当然の如く勝利して、お金の代わりに儚をもらうことになった鈴次郎
まだ中身が赤ん坊の儚が泣き出すのに対し、鈴次郎が「うるせえ、泣くんじゃねえ、ぶっ殺すぞ!」と言いつつも捨て置けなかったのは、幼い時に母親に抱いてもらえなかった自分と重なったからなのか、
どうしても捨てていくことは出来なかったのが、鈴次郎の本当は優しい部分でもあり、自分が本当はそうしてもらいたかったという悲しい部分だと思う。
「よしよし、泣くな、良い子だから、なあ、儚、」と話しかける鈴次郎の不器用な優しさに胸が締め付けられた。

そのあとの赤ん坊の儚の世話をするシーン、初演の時には無かった気がするんだけど、お粥を食べさせて「うめえか?」と聞く鈴次郎が凄く良かった。彼の中にある温かい部分が垣間見えた。

少し成長して、鈴次郎の真似をして乱暴な話し方をする儚が、鈴次郎にあれは何だ?名前は?あの鳥は?と無邪気にきいているところ、
鈴次郎が何もかもクソったれだと教えると、それを素直に受け取り「名前には大概クソがつくんだな!クソったれー!」と無邪気に叫ぶ儚に対し、笑いながら「この馬鹿」と言う2人のやりとりが本当に本当にたまらなく愛おしかった。鈴次郎が、儚を悪く思っていないことが目に見えて分かった。

2人でくすぐり合ってじゃれあっている場面では、このまま100日経てばいいのに………………と思わずにはいられなかった。


自分が人間ではないことを知り、人間になりたいと泣き出す儚に「この世にはどうしようもないことがあるんだ、諦めろ」と言い放つ鈴次郎が本当に悲しくて、彼の生い立ちとか、これまでの人生とか、彼自身が色々なことを諦めて生きてきたこと、そのやるせなさが痛いほど感じられた。

儚をお寺に預けるかどうかを博打で決めることになり、妙海との勝負で鈴次郎は賽子姫の鳴らす鈴の音が聞こえなくなったことに気がつく。
負けて呆然とし、やがて狂ったように笑い出す鈴次郎と、それを自分をお寺に預けるためにわざと負けた鈴次郎の優しさだと解釈して喜ぶ儚の対比が本当に悲しかった。

この時の儚はまだ幼くて、鈴次郎がなぜ笑っているのか分からず純粋に喜ぶけど、儚と一緒にいるうちに鈴次郎はいつの間にか鈴の音が聞こえなくなっていて、博打打ちとしての人生が狂っていく。2人が決定的にすれ違う瞬間で辛かった。
この時の目を見開いて狂ったように笑う江口拓也の演技があまりにも鬼気迫っていて、もの凄く圧倒された。痛々しくて、見ていられなかった。


その後も鈴の音が聞こえず、負け続けお金もなくなり、荒んでいく鈴次郎
この時すごく印象的だったのが、江口拓也は途中何度か水を飲んでいたんだけど、毎回音を立てないようにグラスをそっと机に置いていたのが、唯一、三木さんが「それからしばらく鈴次郎は何もしないで呑んだくれた」と言うタイミングで水を飲む時は、まるでお酒を飲むようにグラスを煽り、あえて音を立てて机に置いていたこと。
水を飲む動作でさえ演技に取り込んでしまうことに鳥肌が立った。午前の部も午後の部も共通してそうしていたのですごく良く覚えている。


その後、お寺で教養を身につけてすっかり人間らしくなった儚と再会する。
この時に三木さん演じる儚が歌った「人の夢、はかな」の歌が、あれからずっと頭の中を流れている。三木さんの、儚の、優しくて、温かくて、切ない歌声が今も忘れられない。

自分の今の有様とあまりにも違う儚に苛立ち、怒りをぶつける鈴次郎
生で聞く江口拓也の怒鳴り声、「逃げられるもんなら、逃げてみろ」と静かに儚へ凄む言い方の迫力が物凄くて、恐ろしくて、息を呑んだ。

儚の着物や太鼓、大切な本までも売り飛ばして鈴次郎は賭場へと行く。
そこしか行き場を知らないこと、そうすることでしか鈴次郎が生きていけないことが悲しかった。

賭場へ行くもイカサマをし、それがバレて打ちのめされる場面、2人の声だけの演技なのにまるで本当に対峙しているようで、鈴次郎を痛めつけるゾロ政も、腹を蹴られて苦しむ鈴次郎も、どちらの姿も鮮明に目に浮かんだ。

ゾロ政がすっかり鈴次郎を見限って去ろうとするのを鈴次郎が「逃げるのか」と言って引き留める。持ってもいない百両を賭けて勝負をふっかけるところ、本当に本当にそんなことしなければいいのに、する必要が無いのに、引き下がればいいのに、どうして、、、と本当に絶望するんだけど、人に見下されること、笑われることが心底嫌いな鈴次郎が、賭け事だけが全てだった鈴次郎が、ここで見下されたままあっさり引き下がるなんて土台無理な話で、彼のプライドが絶対に許さないのも痛いほどよく分かって、やるせなくて、鈴次郎のその虚勢が辛くて、悲しかった。

なんかもう全文末に悲しかったってつけてしまうくらいずっとずっと悲しくてしんどい


儚と2人きりになり、手当てをされつつ儚に本を売り飛ばしたことを謝る鈴次郎の不器用さが痛かった。
鈴次郎も本当はこんな生き方をしたいはずではない、別の生き方があるはずだ、と話す儚が、それでもひねくれてそんな生き方できるわけがないと言う鈴次郎をくすぐりだし、それに対して鈴次郎もくすぐり返し、まだ儚の中身が幼かった時みたいにじゃれあう2人の様子が愛おしくて、切なくて、胸が締め付けられた。

普通の暮らしをしよう、一緒に所帯を持とうと提案し、夢を持つことを語る儚
本当に本当にそうしてほしくて、頼むから儚、鈴次郎を幸せにしてくれと、もうすっかり物語に引き込まれているわたしは心底そう願った。鈴次郎、その話、受け入れろ、なあ、2人で静かに暮らせばいいじゃんよ、幸せになってくれよ、なあ、頼むよ……………

なのに物語は残酷で、鈴次郎の腹からサイコロが吐き出される。なんでだよ…………
それを見た鈴次郎が、普通の暮らしなんて今更できない、こういう生き方しか知らない、信じられるのは自分と賽の目だけだ、今まで自分を心底助けてくれたのは博打だけだと叫ぶ。
その時再び鈴の音が聞こえて、取り憑かれたようにサイコロを振り喜ぶ鈴次郎の姿が本当に本当に痛々しかった。


百両のお金を手に入れるために妙海のもとへ行くも断られ、妙海を短刀で刺し殺してしまう場面はもう息をするのも忘れるくらいの緊張感で、目が離せなかった。妙海を刺し殺した瞬間の江口拓也の表情や、短刀を待つ手が震えているように見え、凄まじくて、真に迫る演技だった。

そこに現れた儚に、最初は「これが俺の本性だ、笑えよ、笑え!」と叫ぶ鈴次郎が、そのうち泣き崩れ、「勘弁してくれ、見捨てないてくれ、」と縋る。
江口拓也も三木さんも泣きながら、感情を溢れさせていた。江口拓也の頬が涙で濡れて光るのがはっきりと見えて息ができなくなった。

絞り出すような声で、涙で言葉を詰まらせながら、自分の生い立ちについて語り、初めて自分の弱い部分を見せる鈴次郎と、それを泣きながら聞く儚。それを全身全霊で演じる江口拓也と三木さん。
圧巻だった。震えた。
もはや演技とは思えず、2人の存在はあまりにも「鈴次郎」と「儚」そのものだった。

「勘弁してくれ、そばにいてくれ、1人にしないでくれ、お願いだ……」と泣きながら懇願する鈴次郎はまるで子供のようで、その声があまりに悲痛で、今も耳に残っている。
「目の前にいる親が抱いてくれねえ、それがどうにも割り切れねえ……」と泣きながら語る鈴次郎の寂しさが痛いほどに伝わってきた。

自分が人間ではないことを知って、人間になりたいと儚が泣いた時に、「しょうがねえだろ、そんな風に生まれてきちまったんだから、定めと思って諦めろ。この世にはどうにもならないことがあるんだ」と言った言葉は、鈴次郎が自分にずっと言い聞かせてきた言葉でもあった。
本当は、愛されたかった。抱いてもらいたかった。
それをどうにか押し殺して、諦めて、独りきりで生きてきたから、こんなにも強くて、弱くて、寂しくて、臆病でどうしようもない人間になってしまった。
あまりにも悲しい。


これが最後だ、必ず迎えに行くから、二人で暮らそうと約束し、儚を置いて1人で賭場に現れる鈴次郎
鈴の音が聞こえるようになり、間違いなく勝てるはずだったのに、聞こえてきたのは全く別の音で。
縦笛や、吹き戻しのおもちゃを吹いては愉快そうに笑う賽子姫の残酷さに心底絶望した。
吹き戻しのおもちゃを吹いたあとの三木さんの表情がめちゃくちゃかわいかったと同時に、無邪気で容赦のない賽子姫そのもので恐ろしかった。

鈴次郎が今どんな思いでここにいて、どれだけのものを賭けているかなんてお構いなしで、博打のためだけに生きられなくなると徹底的に見放す賽子姫があまりにも残酷で

きっと腹からサイコロが出てきて、「今までに俺を心底助けてくれたのはサイコロだけだ」と言い放った時に聞こえたのは鈴の音は、本当の鈴の音だったと思う。あの瞬間、鈴次郎は間違いなく博打のことだけを信じていたし、そんな鈴次郎の元へ賽子姫はまた戻ってこようとしていたように思う。

だけど儚に縋りついて泣き、これで最後にすると誓って、儚と生きていくためにあの博打の場に現れた鈴次郎はもう博打のためだけには生きられなくて、そんな鈴次郎に賽子姫はきっと心底がっかりしたんだろうな、容赦なく無慈悲に鈴次郎を追い詰める賽子姫が本当に恐ろしかった。

あっという間に二敗して、笑われて、詰られて、
もう一勝負しろと言うも賭ける金はもう無くて、儚を賭けてしまう鈴次郎。
ここで引き下がれなかったのは儚とこれから暮らしていくために一文無しというわけにはいかなくて、儚と生きるためで、このまま終われるわけがなくて、でもその大切な儚を賭けてしまっていて、
こうするしかない、こういう生き方しかできない鈴次郎が本当に本当に悲しくて、悔しい。
鈴次郎は神様に助けてくれと祈ったけど、その神様はもう鈴次郎には微笑んでくれなくて、救いが無い。救いが無いよ。きつすぎる

迷って、もう何も信じられるものが無くなって、ここにきて丁に張ってしまう鈴次郎に、思わず飛び出した青鬼が言った「ここは半だ!割り切れない、半端の半だ、それがお前の生き様じゃないか」の台詞がすごく印象に残っている。


鈴次郎が負け、もうここには来ないことを知らされた儚が、それでも人間になる夢を諦めないと強く語る時、江口拓也がゆらりと立ち上がって、舞台のうしろに並んだ彼岸花の間を虚ろな表情で力なく歩いていく。
その姿は紛れもなく、お金も、博打の才も、大切な儚も、夢も、何もかもを失った鈴次郎そのものだった。彷徨うようにふらふらと歩く姿はあまりにも危うくて、今にも消えてしまいそうだった。
力強く前をむこうとする儚と、全てを失った鈴次郎。その対比と、江口拓也が通った後にゆらゆら揺れる彼岸花がとても印象的だった。


その後は一気に場面が変わり、ひと月後へ
役の切り替わりと共に、感情も切り替えないといけないわけで、ここは特にその前までの話の展開からガラッと雰囲気が変わるので、あっという間に全く違う役へと切り替わる2人の演技に驚かされた。わたしの方が全然感情が追いつかなかった。

米造と助兵衛の配役は初演と逆だった気がする。「テクもすごい」と話す江口拓也が、これまであんなにも鈴次郎を悲痛に演じてきたとは思えないくらい普通に気持ち悪くて(誉め言葉)、心底感心した。


江口拓也の演じる馬鹿な殿様は、初演の時にも増して憎らしかった。
あと1日だけ待ってほしいと懇願する儚を全くの容赦なく連れていく、無慈悲で、傲慢で、本当に馬鹿な殿様だった。

連れて行かれた儚をどうしても助けたいと懇願する鈴次郎に「そんなに大事な女なら、どうして売り飛ばしたりするんだ、お前が地獄に落としたんだろ」と言う鬼シゲの言い分はもうまさしくその通りで、
今の状況の全てが鈴次郎のせいで、彼の身から出た錆で、それはきっと鈴次郎も痛いほど分かっているはずで、それでもどうしても儚を助けてほしいと切実に鬼に縋る鈴次郎の声があまりにも悲痛だった。


鬼シゲに助けられた儚が、もうすぐ鬼になってこの世から消えてしまう鈴次郎と再会してからの最後の場面の2人の演技は、もうとにかく圧巻としか言いようがなかった。
江口拓也は涙で言葉を詰まらせながらも静かに夢を語る「鈴次郎」そのもので、三木さんは鈴次郎と別れたくない、離れたくないと泣き縋る「儚」そのもので、
感情を溢れさせ、涙を流しながら言葉を交わす2人から目が離せなかった。

これまでの人生や、儚と一緒にいられた間に同じ夢を見られなかったことへの大きな後悔、それでもようやく自分も夢を持てたことを泣きながら、愛おしそうに語る鈴次郎の「あれからずっと考えたのはオメェのことだけだ、オメェの顔、オメェの言葉……」と話すその涙声に本当に胸が締め付けられた。
「本当だな、人の夢は、儚ぇな……」と涙ながらに言った江口拓也の声が頭から離れない。

愛情を知らずに生きてきた鈴次郎は生まれて初めて愛をくれた儚のために人間でいることを捨てた。
鬼によって作られた儚は自分を育て、温めてくれた鈴次郎のために人間になりたいと願った。
2人ともお互いのことを想いあっているのに、ようやく同じ夢を見られたのに、その夢を叶えることはもうできなくて、何もかもが手遅れで。
こんなにもやるせないことがあるか。もうどうにもならないことがあまりにも辛くて、悲しくて
本当に儚い。

「もう会えないの?」「ああ、会えない」
「何とかならないの?」「もう、ならない」
江口拓也と三木さんの震えた声が今でも鮮明に思い出せる。2人から発せられる言葉の全てが、鈴次郎と儚の本物の感情を伴って伝ってくる。
嫌だと泣き縋る儚の姿も、辛くなる、離れ難くなるからとどうにか引き離そうとする鈴次郎の姿も目に浮かぶ。
もうすぐ夢だった人間になろうとする儚の温度に触れ、「お前が温かくなったんだ。人間になった証拠だ」と言う鈴次郎に涙が止まらなかった。

あと少しで人間になれるのに、儚は今ここで抱いてと懇願する。
儚の夢は、最早人間になることではなかった。初めはそうだっただろうけど、鈴次郎と過ごす間に、いつの間にか、儚の本当の夢はこの世で一番大好きな、愛した鈴次郎に抱かれることだった。人間になれたとしても、鈴次郎がこの世にいないのであれば、それに意味などなかった。

「何のために今まで、そんなことしたら、水になっちまうんだぞ」と言う鈴次郎の声が、青鬼と重なる。鈴次郎が人ではなくなっていくその演出に震えた。
ああ、あの青鬼は、この物語を語っていたのは、鬼になってしまった鈴次郎だったんだと気がつく。途端に、これまでの青鬼の言葉が重く重くのしかかってきた。

「早く抱いて水にしちまやよかったんだ」と言ったのも、「割り切れない、半端の半だ」と言ったのも、全部鈴次郎自身の後悔だった。
彼は鬼になってから、いったいどれほど悔やんで生きてきたんだろうか。計り知れない。

鈴次郎に抱かれ、花になる儚。
その結末は、あまりにも悲しくて、切なくて、愛おしくて、綺麗で温かかった。

涙を流したまま、最後の台詞を静かに言い終えるまでの2人の姿が、声が、今でも目に、耳に、焼き付いている。
言葉にできないほどの余韻に包まれたまま、暗くなった会場が明るくなり、物語を終えた江口拓也と三木さんの表情を見て、それまでギリギリで堪えていた感情が涙と一緒に一気に溢れ出した。
鈴次郎と儚の壮絶な人生を見事に演じ切った2人は、全てを出し切ったような、何かが抜け落ちたような、穏やかな表情をしていた。


こんなにも凄いお芝居を見たことがない。
全身全霊で役を演じて、その人そのものとして存在し、感情を溢れさせる瞬間を目の当たりにして心底心が震えた。真に迫った、圧巻の演技だった。

始まる前、配信で見た時以上のものを受け取れるか、なんて思っていたことは完全に杞憂だった。
2人のお芝居に終始圧倒され、目が離せなくて、もう言葉にならないくらい、これ以上ないほど胸がいっぱいになった。
2人から溢れ出るものを全て一つ残らず受け取りたくてとにかく必死だった。

午前の公演が終わり、会場を出た後もずっと余韻が抜けなくて、物語を反芻しては頭を抱えた。感情の整理が全く追いつかなかった。
朝から液状のものしか食べれていないのでお腹は空いているはずなのに、どう形容すればいいか分からない、まさしくクソデカ感情で胸がとにかくいっぱいで、お昼ご飯を食べる気になれなかった。
未だかつてないくらい神妙な面持ちでパスタに向かっていた。

お昼ご飯のパスタ〜クソデカ感情を添えて〜


午後の公演までのインターバルがたったの2時間しかなかったの本当に正気じゃない。2日くれ

鈴次郎と儚に想いを馳せながら、込み上げてくる感情をパスタと一緒に必死に飲み込んで、再び会場へと向かった。
またあの壮絶な物語と、2人の迫真の演技に向き合うことになるのかと思うと、いっそ恐ろしくて、足取りがひどく重かった。


午後の公演は後ろのブロックの席で、舞台全体がよく見渡せた。
午前の時よりも更に近くを、鈴次郎そのまんまの江口拓也がゆらゆらと通って行った。扉が開いた瞬間から江口拓也は鈴次郎だった。
虚な表情がはっきりと見え、午前よりも更に息を呑んだ。

2人の演技に合わせて変わっていく照明の光や、音、
江口拓也の影が三木さん側に、三木さんの影が江口拓也側に大きく写っていることとか、真ん中のガラスの鉢に光が反射してキラキラ光っていることとか、全てが合わさって、「いとしの儚」の世界が舞台上に広がっていくのをより一層感じられ、その光景をはっきりと思い描くことができた。

物語の展開と共に、わたしは再び「いとしの儚」の世界にどっぷり浸かり、2人の熱演にまたしても圧倒された。
さっき一度観たとかは全く関係なく、むしろ一度あの結末までを観たからこそ、鈴次郎と儚のじゃれ合う姿はより尊く愛おしく感じたし、どうにもならない鈴次郎の運命に更に絶望した。
物語を語る青鬼の言葉は、鈴次郎自身の後悔を伴ってより一層重たく重たく伝わってきた。


大千秋楽のカーテンコールで、最後江口拓也と三木さんが向かい合って握手をして、抱き合う姿は本当に胸にくるものがあった。この日1番の大きな拍手が鳴り止まなかった。
お互いを想い合い、最後に抱き合った鈴次郎と儚にも重なって、更に涙が溢れた。
あの光景は、一生忘れられないと思う。

最後に

この物語が本当に好きだ。

わたしは元々、すごくチープな言い方をしてしまうとメリーバッドエンドが好きで、この「いとしの儚」の結末がすごくすごく心に刺さった。
一見報われない、救いの無いひたすらに悲しくて遣る瀬無い結末のようにも思えるけれど、最終的に儚はずっと夢に思い描いていた優しい鈴次郎に抱かれる夢を叶え、鈴次郎は最後に夢を持ち、この上ない愛をもらった。あれが2人の本懐だったと思う。
悲しくて、切なくて、愛おしい。

最後の一瞬でも、2人が人間と人間として抱き合えた瞬間があったなら、と祈るばかりである。


こんなにも素晴らしい作品を、こんなにも素晴らしい演技を、こうして生で観ることができたわたしは本当に本当に幸運だったと思う。
2人の全身全霊の演技を、同じ空間で観て、聞いて、肌で感じて、確かに心が震えた。こんな経験はきっとそうそうできるものでは無いだろう。

映画やドラマ、本を読んだり、今まで色んな媒体の様々な作品を観てきたけど、何というか、この「いとしの儚」だけは、何か一線を画すような、わたしにとって大切な、特別な作品になった。
きっとこの先一生心に残り続けると思う。

本当に本当に何度でも観たい作品なので、なんとか映像として残ってくれたら嬉しい気持ちと、あの日限りの、あの場限りのものを縁あってこの目で観られた幸運を、あの時の感情を、わたしだけのものにしてしまいたいという欲張りな気持ちが両方ある。

だけどやっぱり何度でも観たい気持ちが大きいので、円盤化、もしくは何年先になってもいいから、また再再演があることを願っています。
また、鈴次郎と儚に会いたい。


最後に、全身全霊で鈴次郎と儚を演じ、こんなにも素晴らしいものを観せてくれた三木さんと江口さん、それからこの作品に関わった全ての方に感謝と敬意を込めて
本当に本当にありがとうございました。


この作品に出会える人生で良かった。
この世にもう悔いはありません(雑なタイトル回収)



江口拓也のオタクとしてのクソデカ感情(超蛇足)


ここからはただひたすらぶっ刺さったポイントや、江口拓也に対するクソデカ巨大感情をつらつらと書いていきます。マジで蛇足

一気に知能レベルが下がるしすっごい浅いので本当に読まなくていいです。オタクが騒いでるだけ

いやあのさ、まず言わせて欲しいんだけど、好きな男が、あんなにも感情を溢れさせて涙でぐちゃぐちゃになる姿を目の当たりにして、感情が大丈夫なわけなくない??????????????????


普段の姿とあまりにも違う、鈴次郎そのものとして存在し涙を流す江口拓也が本当に痛々しくて、苦しくて、胸が締め付けられて、見ていられなかった(と言いつつ一瞬たりとも見逃したくなくてこの上ないくらい凝視してた。コンタクトの度数もあげた)
本当に感情がぐちゃぐちゃになった。


開演前午前の部の席に座った時点で、あまりの近さに死ぬほど動揺していたんだけど、舞台上向かって右側の席のド直線上で、どうしても前に座る人の頭で隠れてしまうことに気がつく。向かって左側の席は少し角度がつくので、かなり良く見える。

ここで初演の時の2人の座った位置を思い返してみると、

あれ、江口拓也、右側に座ってなかった…………?


詰んだ。開演10分前にそのことに気がついて、愕然として、いやでも同じ空間で生でこの公演を観られるだけで十分だろ、、、と自分を宥めつつも、でもやっぱり見えないのは悲しい、どうかどうか、江口拓也、左側の席であれ……………と神に祈った。一世一代の大博打である

公演が始まり、三木さんが現れて、真ん中に腰掛けて話しだす。まだどちらに座るか分からない。
後ろから江口拓也が歩いてくる。あまりにも鈴次郎な江口拓也に先述した通り息を呑んで釘付けになると同時に、江口拓也がこんなにも近くを通っていくことに心臓が悲鳴をあげる。死ぬ。

「いざ、勝負」と言ってガラスの鉢をひっくり返した後、江口拓也が座ったのは


左 側 の 席


大勝利である。
神様仏様イエス様お父様お母様に賽子姫も本当にありがとう…………わたしにも鈴の音聞こえた
前の人の頭を避けながら一生懸命見なければいけないのではないかという緊張から解き放たれ、そこからはもうひたすら江口拓也の演技を見つめていた。

午後の部は午後の部で、わたしの席の2席横の通路を江口拓也がゆらゆらと通って行き、あまりの近さに本当に死ぬかと思った。
人生イチ接近した瞬間で、江口拓也の存在と、彼の背の高さを今までで1番リアルに感じた。デッッッッカ
なのに顔ちっっっっっっっさ

マジで江口拓也、お顔が小さすぎて余裕で20頭身あった(ガチ)

オタクは基本的に心が複数個ある生き物なので、さっきまで書いていたように純粋に物語に引き込まれて、圧倒されて心が震えるのと全く同時に、全然こんな浅いことも考えててウケるよね。本当に心が大忙しだった。


午前の部では江口拓也の演じる姿が、表情から視線の動きまで、とにかく本当に良く良く見えた。
今回も裸眼で臨んでいたのか、台本を目の前まで持っていき、鬼気迫る表情で鈴次郎を演じる姿にとにかく釘付けだった。

ていうかそもそも論としてこの「鈴次郎」という人物が、前振りでも触れた通りわたしの癖(へき)を寄せ集めて煮詰めたようなキャラクターで、
博打打ち、しかも神に愛されていてめちゃくちゃに強い、乱暴な言動、「ぶっ殺してやる」とかめちゃくちゃ言う、親を殺し、愛を知らず生きてきて、人を信じていない、強くて、弱くて、寂しい人

シンプルに好(ハオ)すぎる。

さらにそんな男が、純粋なものに触れ、愛を知り、絆されていくような物語が大変好みなので、この「いとしの儚」という物語も、「鈴次郎」という男も、とにかくわたしの大好きなものだった。

それを、この世で1番好きな人が、演じるなんて、こんな、こんなにも、幸福なことが、あっていいのだろうか……………………………
これは初演の配信を見た時からずっと思ってる。性癖のビッグバンである。

江口拓也の口から飛び出す「ぶっ殺してやる」「やかましい」という怒鳴り声が、全て心臓に突き刺さった。
普段絶対こういう言葉を使わない人だからこそ、全く聞き慣れない、怒りや憎しみの感情が恐ろしいほどに込められた江口拓也の怒鳴り声の迫力に、ひたすら圧倒されつつ、静かに興奮した。
好きな男の口からこんなにも物騒で乱暴な言葉が出てくるの、正直たまんなくない?
乱暴に「抱く」だの「抱いちまう」だのめちゃくちゃ言うのを聞いて、正気でいられるわけがなかった。気持ち悪いね、オタク


あと個人的にグッッッッときたところは、

・冒頭の賭場のシーンで余裕たっぷりに言う「半」
・まだ赤ん坊の儚が泣くのを「よしよし、泣くな、良い子だからよォ、なぁ、儚」とあやすところ
・鈴次郎の真似をして「クソったれー!」と嬉しそうに叫ぶ儚に対して言う「(笑いながら)バァカ」の言い方
・怒鳴りつけられ泣いてしまう儚に「怒ってねえよ、なあ、ハカちゃん…」と言うところ
・「ぶっ殺してやる」全部
・ゾロ政に打ちのめされた後の「待ちやがれ、一つ目、逃げるのか」と凄む声
・儚にくすぐられた時の「傷が痛えんだ!本当に、痛えよ、やめろ…」の掠れた声
・泣いてるところ 全部
・全部

あと地の文を読む時の声が本当に良いのと、お鐘の時の声がすごく色っぽくて魅力的だった。


鈴次郎が涙ながらに儚に縋る場面では、江口拓也の頬に涙の線が光っているのがはっきりと見えて鳥肌が立った。
場面が切り替わるタイミングでタオルで涙を拭いていたんだけど、顎の方までぬぐっていて、それほどの感情が彼から溢れていることに心底衝撃を受けた。
午後の部ではタオルを使わずに腕でぐいっと涙をぬぐっていて、その仕草がものすごく鈴次郎そのままに見えた。

鈴次郎を通して感情を溢れさせる江口拓也の姿が、声が、今でもずっと記憶に残っていて、何度も反芻しては、あの時の感情を鮮明に思い出して泣きそうになる。実際この感想文書きながら泣いてる。

カーテンコールの時の、まだ涙の跡が残ったままの江口拓也が、全てを出し切った空っぽの、でも穏やかで柔らかい表情をしていたのが忘れられない。


江口拓也のあんなにも真に迫る演技を、あんなにも感情を溢れさせる姿を、全力で役に向き合うあの熱量を、間近で、この目で、この耳で、体感することができて本当に本当に良かった。一生分の運を使い果たしたような気すらする。

本当に本当に念願だったいとしの儚を生で観られたことが今でも信じられないくらい本当にありがたくて、幸せで、こんなにも報われてしまってもいいのかと思ってしまう。ガチでこの世に未練無くなったかもしれない。生きるけど

この記憶は、この感情は、一生忘れたくないな。
心からそう願う。


なんとかして綺麗に終わらせようとしたけど着地点を完全に見失ったので終わります。
ここまで読んでくれた人がいたら、マジで本当にありがとうございました………………………


12/7 追記



再び立ち上がった

あまりにも願いが叶いすぎててマジでこわい
本当に本当に本当に本当に本当にありがとうございます………………………いとしの儚が形に残るのが本当にうれしい………………………………

全人類とハグしたいね


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