見出し画像

原点回帰③

pre-春カレ2024

これはまだ私の前髪があった頃の話。そしてまだリゾートサングラスを使っていた頃の話。

ダチョウに①が中途半端な感じで終わってると言われたので、もう既に時系列がぐちゃぐちゃな上に原点回帰じゃない気がするけどもうちょい①の続きを書いてみることにする。

そういえばこのnote始めたの医歯薬以降だから、春カレについて、去年の春カレも含めて書こう。

大学5年の春カレは10000mと5000mに出た。結果として、10000mは優勝、5000mは4位でやっと、17分台を出せた。4年の冬の日体は文字通りずっこけたからなあ笑。5000mは正直イマイチだった。10000mで脚も気持ちも使い切っちゃったんだよね、気持ちも燃え尽きたまま足も動かないままスタートしてしまった、まあこれはもう仕方ない。

さて本題の10000mに戻ろう。10000mは大学で一回くらい走っておこう、ってノリだった。別に全カレを狙えるだなんて全く思ってなかった。レースを進める中で、あれ、今日もしかしたら勝てるかもしれない、って思った。優勝したい、って気持ちしかなかった。レース展開も相まって、運よく勝つことができた。これが実力だなんて口が裂けても言えない。正々堂々勝負して勝ったとは思うけれど、ラスト400mしか勝負してない、ほんっとうにしょうもないレースだった。0.07秒差での勝利だった。みてる人たちは楽しかっただろうな。終わってからもなんの実感も湧かなかった。その日は全カレ常連のすぐるニキと晩御飯食べに行って、レース反省して、いっぱい褒めてもらったから、ちょっとだけ実感が湧いた。あぁそっか、全カレ行けるのか。でも、すぐるニキみたいにB標切ってないし、タイム的にも自分は全カレなんていける器じゃないと思っていたから、当時の走力では出たくないと言うのが本音だった。1500mとかならまだいいけど、10000mなんて走ってみたら何周周回差つくんだろ恐ろしい。

全カレへの憧れがなかったとは言えないけれど、憧れが強い故に出たいと思えなかったんだと思う。でも、周りはおめでとうムードだし、もう後には引けなかった。実はあんまり出たくない、なんて口が裂けても言えなかった。色んなところで色んな人に相談して無理やり自分を奮い立たせた。むりいいいい、って言って人前で泣いたこともあったっけ。せっかく気持ちの整理がついて走れそうになってきても7月に疲労骨折するし、西医体もチキったレースしちゃうし、そんな自分がめっちゃ悔しかったし、でも頑張りたかったし、ギリッギリ10000走れるかな、と言うところまで持っていくので精一杯だった。

不安すぎて免疫落ちてたのかな。全カレ前にコロナになった。コロナになる前ちょっと人混みに出かけちゃったんだよね。あーあ、やっちまったぁ、リスク管理甘かったなぁ、情けねぇ、って思った。逆に、情けなさとやっちまった感以外何も感じなかった。正直ちょっとホッとしてる自分もいた。ベッドでゴロゴロしながらレースの中継を見ても何も感じなかった。800で知り合い2人が同じ組で走ってて、あー、みはるちゃんもいけおちゃんもかっこいいなぁ、って思っただけだった。走りたいとか一切思わなかった。自分はここにいるので正解だなーとか思いながら寝込んでいた。

一応報告せんなんよなと思って週末LINEに連絡したら、色んな人が心配していろんなメッセージを送ってくれた。さぞ私が悲しんでいるだろうと思ってか、私を励ますものばかりだった。すごく嬉しかった。こんなにみんな心配してくれるんだ。コロナになって良かったかもってちょっとだけ思った。最低だな笑。むしろ逆に申し訳なかった。全然走る覚悟もなかったし、走れなくてラッキーだとかみんなに心配してもらえて嬉しいかもとか思ってました、不謹慎でほんとごめん。

でもね、先輩が、「これで、来年もやめられなくなったね。笑」って言ってくれたんだ。あ、来年ちゃんと全カレ目指そ、って思った。行けるかわかんないけど、ちゃんと目指したいって思った。

C標で勝っても意味がないなら、B標目指そう。ちゃんとはやくなろって。結局B標全然届かなかったし、C標も叶わなかったけれど、4月っくらいからすごくピリついて、本気で闘いに行って、本気で狙いに行ったあの2日間は本当に楽しかったなぁ。辛かったけど、怖かったけど、もう何にも変えられないくらい楽しかった。今年の春カレについては外科の卒試勉強が落ち着いたら書こうかな。

今日は実は書き溜めてあったこの文章ちょっと修正して上げてみただけの日。