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2022年12月の話 鉛の体

2022年12月21日にコロナに罹患した私。
療養期間は28日まででした。

毎日、My  HERーSYSに体温やら体調の報告をしていましたが体温もそれほど高くなく、ほぼ平熱。SpO2も99を切ることもなく。
鼻水や咳、少し後鼻漏かなという感じでした。熱の割には体は熱いなと毎日感じていました。体感では38℃以上出ているような。感染判定していただいた耳鼻科の先生から処方された薬を服用していたので、症状も少しずつ改善していきました。ただ、不思議だったのは普段胃下垂で少食の私がやたら食欲が湧いていてお腹が空いて仕方がなかったので、食べたいものを隔離部屋からLINEで
家族に伝えて買ってきてもらっていました。
普段の1.5倍は食べていたと思います。
普段胃腸が弱い自分なのでこんなにお腹が空くのは
おかしいなと思っていました。

私の療養期間の体温

29日から仕事復帰するということで、年末29、30日と仕事に出ればあとは年越しだなと思っていました。

仕事復帰する前日、28日の昼間、体が鈍っているので少し歩こうと思って家の周りを歩きました。異変が起こったのはそこから。それまで元気だったのに、普段歩くスピードで歩いていたら、やたら息が切れたのです。
息を吸っても吸っても苦しくて。うまく吸えないというか、なんというか。
動悸もすごくて心臓の音がバクバクと。

「やはり1週間も隔離されていて、寝るか、寝過ぎて体が痛くてストレッチしかしていなかったからかな」と思っていました。あまり無理してもいけないなと思い、1.5km位歩いて歩くのはやめました。
(私は昔から歩くのが好きなので10kmくらいはなんて事なかった人です。)

午後は娘の担任の先生が家まで宿題を持ってきてくれました。
私がコロナに罹患したがために彼女は濃厚接触者となり、終業式に出られないまま、宿題ももらえないまま冬休みを迎えていたので。

先生と距離をとって、お互いマスクをして少しお話を玄関先でしたものの、私は昼間の運動後からだいぶ時間が経っているのに、なぜか息が切れてうまく声が出せなくて。「なんでこんなにずっと息が苦しいのだろう」と話しながらそのことで頭がいっぱいで心ここにあらずでした。

体感としては100m走を10本休みなく一気に走ったような感覚。
嫌な感覚だけが残って。その日はかなり早く眠りました。

12月29日の朝、目が覚めたものの、体の違和感に気づきました。

体が重すぎる。。。と感じる。
何か上から乗っているのか。象2頭位背負ってみたみたいな。
それか自分の体が重くなったのか。いや、むしろ痩せてっている。
布団から起き上がれない。ものすごくしんどくて頭もぼーっとする。
テレビで後遺症の話が出ていたことがあるけど、
鉛のような体ってこういうことでは?

熱を測ってみよう。ずっと平熱だったはずなのに、37.5度?
薬をもらって咳や鼻水も昨日まで落ち着いていたのに、またゼーゼーと息苦しい。咳がとめどなく出て止まらない。副鼻腔炎も再悪化している。頭痛もひどい。体温の割に体の細胞1個1個が燃えるように熱い感覚。

トイレに行きたいのに、体を起こすことが非常に難しい。力がうまく入らない。
ものすごくヨイショが要る。
なかなか立ち上がれなくて、なんとかはいはいでトイレまで行って。

そんな感じでした。

私は身長164cmで罹患前の体重が49kgあったのに、
お腹が空く度に食べて食べてとしていた割に12月30日には46kgまで
体重が減っていました。食べていたのに10日程で3kg痩せてしまうとは?
とてつもなく体力が落ちたまま、大晦日へ。

29日からはひたすら眠くて、体がしんどくてという感覚のまま、
眠るばかりでした。そしてそのまま1月を迎えることになりました。

作文は嫌いだけど、自分の記録として2023年1月編に続きます。

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