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学生生活における「カッコつけ」症候群について

DayOneのOn this Dayにエモい文章があった。
生き方が下手やな彼ら彼女ら、と思う大学生が周囲に多くいた時期にメモった言葉。今でも通用するので共有。刺さったらすまん。

パッドメセニーの言うように、「どんなバンドで演るときも、一番下手なプレイヤーでいろ」ってのが大切。
一番のヘタクソでいよう。そっちの方がCoolな連中に成れるぜ。一番下手な人間であろうとすると、結果的に自分を見くびらずに済む。

難しいことなんてしなくてええねん。シンプルでええねん。
外を見るのもいいが、見てくる程度なら母国語で学べること学び尽くしてから海外行きゃええねん。母国語で学べるのは幸せなことやねん。
起業なんかしなくたってええねん。どうしてもそうしなきゃならなくなったって時に取っておけばええねん。
人と同じでええねん。人と違うことするのは、そいつらが諦めて真っ当な道に戻っていった時でええねん。
ノリは軽く、しかし虎視眈々と淡々と着実に狙って人生を送ればええねん。

さて、学生生活をいまいち謳歌しきれない人たちには、ある共通の特徴があると私は考えています。題名の通り、みんながみんな「カッコつけ」であるということです。これは何も、気障な行動をする、とか、ファッションにこだわる、とかそういう意味ではありません。実際に行動に表すタイプの人は、私の言う意味での「カッコつけ」ではありません。

私が言う「カッコつけ」は、他人の視線を異常に気にする、ということです。もっと言えば、他人からどう見えるかということが気になるから行動しないというタイプの人です。他人からどう見えるかということは、ある程度は予測できます。たとえば、街中で大声を出していれば、「危ない人」と思われる程度には。しかし、日常のちょっとした行動で、他人の好感度がどう変化したかということは、正直なところ正確に把握することはできませんし、ましてやコントロールすることはできません。

そんな状況のなかで、他人からの評価をコントロールしようとしても、ほとんど無駄です。そして、無駄だということが分かっているから、行動しない、人前に出ない、何もしない、という考えになります。「カッコつけ」はしょうもない完全主義者でもあるわけです。

諦めましょう。他人がどう考えているかということはコントロールすることができないので、あなたがしたいように行動しても、気を使って行動しても、悪い評価をくだされる時には悪い評価をされるでしょうし、いい評価が得られるときにはいい評価が得られます。最低限の道徳やマナー以外はあなたを縛るものはありませんし、仮にあるとしたら、あなたのその馬鹿でかい自意識以外の何者でもないということになります。

自分自身を大きく変えるのは難しいですが、小さな行動を一つするのはそれほど難しくありません。自分がしたいと思ったこと、必要があると思ったこと、面白いと思ったことは、他人からどう見えるかを考える前にまず手をつけてみましょう。ダメだと思ったらやめればいいだけです。こうした行動力がないと、いつまで経ってもあなたは「カッコつけ」のままです。そして、そういう姿勢は何よりも格好悪いのです。

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