カップケーキと、猫が海に落ちた夢
3つの夢について夢分析のセッションを受けました。感じたことをまとめてみます。
夢1 3/8
体育館。明るく、壁は木で塗装されている。避難所みたいにも思える。 マックユーザーしか入れない。最初に見た男の人はお菓子(カップケーキ)になる。そのあと一人でやってきた男の人がいて、「親子じゃないとだめ」と出直してもらう。次の朝、父子は木の板になっている。長い板と短い板が丸い缶に入っている。占星術のサインと度数が書いてある。その人のデータだろうか、と思う。魚座の記号が見える。
「男性の母性性についての夢だ」と聞き、納得。
びっくりしたのは「口唇期」といわれ、カップケーキが「おっぱい」といわれたことでした。こういうとき、今井先生天才!と思います。ケーキは上にドライチェリーのゼリーが乗っていて、それは落とせない要素でした。父親と子どもが毛布にくるまっているのも雛を孵すかのようです。
「でも食べてしまっているんや」
そう、私の口内にはカップケーキの味が残っていたのでした。「マックユーザー」はたぶん、自分の連想では、選んでいるし、男の人を試していると思います。そのこととカップケーキを食べてしまったのは関係があるでしょう。
「ご主人は母性が強いな」といわれ、この連休考えていたことを話しました。
コロナ発生後、家族に大きな変化がありました。夫が自宅勤務になって、長男が就職しました。今私たち夫婦の生活は、長男中心に回っています。
長男に朝食を作るのは以前は私でしたが、今は二人で分担しています。帰りが遅いときが多く、二人で待っています。夫は、長男の起床時間をカレンダーにメモします。帰宅時間も把握しています。ステージパパ、とからかうこともあります。
朝も、長男と夫の休日は合わないので、夫が休みのときくらい私に任せればいいのに、と思うのですが、夫は起きてきます。(まあ、夫の名誉のためにいうと私が寝過ごしたりする)かといって、全部自分でやるのも本意ではないらしく、私が「じゃあよろしく」といって寝てしまうとしたら何を言われるかわかりません。
なんだか効率が悪いなあ、と考えてしまう今です。
そして、私自身も夫に長男と同じように扱われているなと思います。ずっと以前からそうでした。うっとうしくもありますが、結局のところはとても頼りにしてしまっています。
夢は、この続きの現実も映し出していました。
夢2 3/10
スキー教室に行くバスに乗る。実家に着く。空き家になっていて、近所の人に会う、が、様子がおかしい。あとで家の裏側の窓からのぞくと隣近所のおばさんたちが入って料理をしている。勝手にこんなことをして、と憤慨する。
私は自宅近くに仕事場を持っています。7年前からですが、最初は予定のあるときだけいる場所で、仕事が終わるとすぐ帰っていました。しかし今は、ニ食を買い込んで朝から夜までいることもあります。第2の家なのです。空き家は、自宅で、おばさんたちは私の家族です。このセッションの前の日は次男が中心になって夫が釣ったアジを解凍してアジフライを作っていました(次男は週の半分くらい夕食を作ってくれます)。夢では、憤慨しつつもにぎやかなのがうれしい気持ちもありました。
先生は「男は年取ったらおばさんになったらいい。女はおじさんになったらいい。役割を交代するんです」と話していました。
夢3 3/15 5:10~15AM
海沿い。海水浴できる旅館のようなところに滞在している。逗子、三浦か城ケ島のような雰囲気。部屋の外にはコンクリートの広い土間のようなところがあり、洗濯機が置いてあり、野菜か何かを売る店が出ている。
飼っている猫が橋を越えて旅館の脇の断崖絶壁にいってしまい、それを右腕で抱いて、なんとか安全な入口に戻そうとするのだが、言葉をかけたり一生懸命するのだが、猫は下の海に落ちてしまう。
*
同じことをもう一度、男の子で体験したことになっている。
男の子は次男のように思うが、その旅館に泊まっている知らない子ということでもある。緑の半袖。猫と同じで一生懸命安全なところへ戻れというのだが、聞かず落ちてしまう。落ちていくときは青い服になっている。
場面変わって、夫と長男と旅館の部屋にいる。細長く狭いがきれいな和室。次男もいたかもしれないが印象が薄かった。
猫を弔っている。紫の布をかけた祭壇。真ん中に大きなロウソク。ほかに仏像?かロウソクが飾ってある。押入れの戸袋の位置に神棚のようなものがある。厳かで静かな雰囲気。長男が「猫の像を彫りたいがまだ早すぎる」という。私は猫が落ちたときの一部始終を話し、泣く。
この夢で感じたのは私の中の猫的、次男的な存在とのかかわりかたが終わりを告げるのだということです。私は猫(子ども)の手を離すのです。
この夢を見た次の日、講座がありました。その中で「子どもは4歳くらいで反抗する」という話を聞きました。そこでこの夢が浮かんできました。次男は緑のTシャツを着ていましたが、4歳ごろ持っていたな、と思い出しました。4,5歳の夏、登園拒否をして、何日か保育園の前で泣いたな。私はそんな次男がかわいくてしかたなかった。長男の子育ては大変だったけれど、次男のときはとても楽で楽しくて、解放された思いがしたな。そう、どんなにかわいかったか久しぶりに感情を思い出したのでした。
夢は私の場合予知夢が多く、近未来のできごとが表れてくると思っています。しかし先生によればリビドー(心的エネルギー)が先に動き、人は夢でそれを知らされ、それが行動やできごととして顕在化してくるのだそうです。
1の夢に出てきた「魚座2〇度」(23度ぐらいだったような)と書かれた板もここでつながってきました。魚座はサイクルの終わりです。そして私の中では魚座は、蟹座とは違った意味で母そのものです。カップケーキは食べてしまいましたし、海も呑み込むものです。そしてまた海の中から命は生まれます。
これらの夢には私の「母性」や、投影しあっている夫と私の姿が浮き彫りになったと思いました。その奥には私の母や親族の影響があるかな、深そうだな、と思いました。
先生は「海に落ちたからそれなりの痛みはあるだろうが、(変わっていくのでは)」と言われます。
それに対して、期待と「現実としてはあらわれてこないのではないか」という不安がわき、素直にうなずけないものがありました。
しかし、息子たちや夫に影響を与えているだろう自分の母的なものと向き合っていくのか、そうだとしたら一歩進んだな、という見通しのようなものが生まれました。(言葉で書くと軽く、わかりやすいですね。しかし実はまったくちがってて、そのニュアンスは表現したいけどむずかしいです。)
おとむらいできて、よかった。
桜の花がほころびかけた、春分の日の午前。小さくて大きな兆しを感じるセッションでした。
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