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人を撮るということ

この五月で写真をはじめて五年になりました。
人に合わせることが得意で、自分の意志を通すよりも、誰かの意志に流れる方が楽だと、時間を使っていた自分に嫌気が差し、没頭出来るものが欲しくてカメラを買ったのが五年前です。

いい写真を撮るなどとも思わず、むしろカメラを持って歩く事も恥ずかしく、ファインダーを覗く事が死ぬほど恥ずかしく、捻れた自意識の塊を隠すようにバッグに忍ばせて持ち運び、人気がない時間帯や場所、瞬間を選び、こそこそ撮り始めたのが五年前の五月です。

買ったカメラで初めて撮ったのは、オオキンケイギクという花です。
通勤の信号待ちで、ぼーっと眺めていたオオキンケイギク。陽の光をいっぱいに受け、のびのびとした姿に見惚れ、カメラを買ったら撮りに行こうと決めていました。
交差点の少し広くなった歩道にかがみ、ウエストポーチからカメラを取り出し、背後の車通りを感じながら、身を縮こませて、液晶画面にオオキンケイギクを見ながらシャッターを切る。
モードダイヤルやシーン設定をいじりながら、どこが何に作用するのか曖昧なまま、夢中になって撮っていました。
どうしてオオキンケイギクに惹かれたのか、何が美しいと思ったのか、それをどうしたら写せるのか、そんな事を探る様に感じている間、自分とカメラとオオキンケイギクの濃い世界で呼吸をしていました。



こそこそ撮っていた私が、場所と人との出会いをきっかけに、真剣に写真を撮りたいと思い、写真を通して掛けられた言葉や、感じて抱えたもののお陰で、真剣に人を撮りたいと思うようになりました。その全てをここに書き出すことはしませんが、写真を真剣に撮りたいと思って間もない頃に言われ、持ち続けてきた問の答えを、ここに書こうと思います。


「花ばかり撮っているけれど、本当に花が好きなの?人を撮ることから逃げているだけなんじゃない?」
何気なく言われたこの言葉に、ひっかかりを感じたものの、上手く返すことが出来ませんでした。
言われた通り、逃げているとも思ったのと同時に、そうではないという反発がありました。
この「そうではない」を言語化出来る程、写真を撮っていなかった為、この時のざらつきを残したまま写真を撮り続けて来て良かったと思っています。

あれから変わらず花を沢山撮り、人も撮って来て今、あの日の問に答える事が出来るようになりました。

花には人を癒す力があると思っています。
それは見た目の愛らしさや美しさだけではなく、目に見えなくても存在しているものが在るのだと思っていて、人も同じように、目には見えない力や美を宿していると思っています。
幡野さん、私は花が好きです。花や自然を撮るように、人を撮りたいです。
撮られることを意識した人ではなく、目の前に在る人と真正面から向かい合い、被写体が宿しているものを撮りたいです。

目の前の人が宿している美を引き出せる技術を身につけ、歳月を重ね、紡いできた物語や、未来への意志を収めるポートレートを撮れるようになっていきます。










人を撮る事から逃げずに、自分が撮りたいポートレートを撮ると決めてから、4名の方に被写体を引き受けて頂きました。
向かい合い、無意識と意思の塩梅を探る撮影です。
お互いに緊張や警戒をしていては、表層に近い部分のみの開示となります。宿したものを引き出すには、それぞれが身体の強張りをほどき、場に溶け込む様に、相手に意識を向け、自意識を不在にする必要があると考えています。
まだまだまだ、人が宿しているものを引き出す技術を身につけ、磨いていかねばなりません。
この技術は、私の生涯をかけて身につけ、磨いていくものになります。

写真は見えている物を二次元で表現するものだと言われる事もあります。
現代の写真は、そういうものなのかもしれません。
しかし人は、目の力だけで見ているのではなく、五感で感じるものも含め、蓄積された経験や記憶、知識と結びつけてものを見ていて、見えていないものも含めて見ているのだと思っています。
表情の微差に敏感に反応し、相手を読み取ろうとする力もある。
目に見えるビジュアルの力だけでなく、目に見えない魅力を引き出し収める。
人の可能性を信じた表現を追求していきます。

技術をつけ、磨いていくには人を沢山撮っていく必要があり、経費が必要だと感じています。
私が撮りたいと思う人に何処へでも会いに行き、自然光が入るスタジオ、又は柔らかな光の場所での撮影となり、交通費とスタジオ代としての資金を、クラウドファンディングで募りたいと思っています。
2024年9月までの約1年間で、15人以上の方を1~数回にわたり撮影をし、2024年12月に個展の開催。
私のポートレートの理念と共鳴する個人、企業と、人の美しさの概念を広める表現活動(商品やサービスを売る目的ではない広告、作品制作)をしていく事を考えています。

今後エンハンスメントとして美容の分野も進み、若く美しくあることが善とされる広告が勢いを増すことになると思います。
若く美しくある事はとても素敵なことで、その広告や活動を否定する意思はありません。
ただ、人の美しさは見た目の若さや容姿美、ファッションだけでは無く、人ひとりひとりが持って産まれ宿した輝き、生きてきた経験の蓄積に在るのだと、それを写真で表現し、人の美しさの概念を広める動きを見せていってもいいと思うのです。

目に意志、唇に美意識。
被写体が紡いできた人生、宿している陰影と光を引き出し収め、写真越しに見る者の五感を通して、制限なく、被写体が宿したものが広がり伝う写真を残していきます。

クラウドファンディングで資金を募ります。
応援して頂けましたら嬉しく思います。
よろしければ、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

https://readyfor.jp/projects/122874




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