見出し画像

#呑みながら書きました セルフポートレート

11回#呑みながら書きました開催。
このお祭りな賑わいが衰えることなく、馴染みのある方から、はじめましての方のnoteをTwitterのシェアから気の向くまま読みにいくのも、気分に任せて書くことも楽しませていただいております。
すんごくいい企画だな~って、いいなぁって思ってます。

さて、私は今、セルフポートレートを撮っております。
写真を撮るのは好きなんだけど、撮られるのは苦手です。
世に多く出ている写真は、綺麗で美しく、商品のような写りのものが多く見られているように思います。
綺麗だもんね。素敵だし、写真ってこういう美しい人が撮られるものだよねって、もしくは綺麗に撮ってもらうものだよねってイメージが強い。

男性の濃い皺はしぶくて味になるのに、女性は生花のように潤いとはりがないと写真として残す価値がないと思う人が多いような気がします。
ある時期、所属していた写真部で、街中の人に声をかけて写真を撮るという課題を半年くらいやっていたんです。
だいたい断られるのだけど、将来写真をsごとにしたいと言うこと、課題でポートレートを撮らなければならないと言うと、力になれるならと協力してくださる方も多くいました。そんな中でご年配の方の断り文句は、「もっと若くて綺麗な子をとってあげて」や「おばさんだからごめんなさい」と、だいたい断られた。

写真部のメンバーも、女性の肌のレタッチはどの程度するのがいいのかと疑問を持っている人もいたし、ご年配の女性が撮影されるのを嫌う傾向があると言っている人もいた。
私自身、レタッチの技術もないし、それ以前の撮影の技術もない。勇気を出して声をかけても断られるならと、若くて写真に抵抗のなさそうな人に声をかけるようになった。
若くて写真に抵抗がない人が抜群にグッドな被写体かというとそうでもない。自分の決め顔が決まっている人は撮りにくかった。
逆に、どんなに若くても年を重ねていても、言葉が通じなくても、カメラの前でフラットだったり、プロの方は圧倒的にこちらを惹きこむ力を持っていた。
容姿はあまり関係ない。自分を自分として恥じていない人は魅力的だった。

年を重ねることが悪ではない。若くあることが美しさではない。
そんなことを熱く書き連ねて、友人と姉に送り付け撮影の許可を求めたのだけど、姉は全面拒否。「どんなにお金を積まれても、かわいい妹のお願いでも写真は苦手だから無理。ごめんよ」と、友人は全面協力してくれると言ってくれたのだが、予定が合わず動き出せない状況でした。

ぐーたらむにゅむにゅしていたのですが、あ、自分もいい年した女性やんけ、ほうれい線も白髪もあるやんけ、人に撮らせろゆうて自分は写真苦手なんでって、生ぬるいこと言ってんじゃねーよと、まじめにセルフポートレートやることにしたんです。

「ねーちゃん、セルフポートレート(自分を撮る)撮るから屋上貸して」
「いいよ。私を撮らないなら」

てことで、am11:00~pm5:00までひたすら自分を撮りました。
いつもカメラ越しに被写体を見て撮っていたから、もう一人自分が欲しかった。ピントを合わせるのに時間がかかったり、お昼の強い日差しに表情も化粧も硬く崩れていく。
鼻の穴目立つよね。ストレートネックやけん、二重顎やっぱりねって。ぶっさいくやなーって。
中2の課外授業の発表会で、真横から撮られた写真を見て、度肝を抜かれたことを思いだしたよ。
ほっぺがボコって浮き出ていて、こんな変な見た目の人間が存在していいのかと、ますます猫背になったんだよな。
右側より左の顔のラインの方がなめらかで、真横より若干後ろ側から見ると、頬の出っ張りもさほど気にならない。

画像1

約6時間。屋上にこもって撮れた収穫の一枚。
屋上から全く降りて来ないもんだから、死んでるんじゃないかと心配したよと、軽く伝えてくる姉が好きである。
心配しても、様子は見に来ない。放っておいて、好きにやらせてくれる。
帰宅しデータを現像して、化粧崩れの酷さを確認して、リベンジを誓うのであります。
Google→化粧崩れ防止
化粧水がなじむ前に乳液、クリームを塗っても化粧水は蒸発して保湿になっていない。
乳液、クリームがなじむ前に、ベースメークをすると化粧が崩れやすい。
ほーほー。今まで化粧水は、肌の上から蒸発させていたし、クリームがなじむ前に化粧していたよ。

てことで、もっかい。出勤前、早朝の公園で撮影。
ゴミ出しの奥様に、何やっとんの?と怪訝に見られ。犬のお散歩のご夫婦には見てはいけないものと、無いものと扱っていただき、日差しのない中,身体の芯まで冷え切ってからの出勤になりました。

画像2

やっぱりこの角度が落ち着きます。

その後も何回か撮って、本日最終。

画像3

画像4


四つ上の姉は美人です。
肌の色も青みがある透き通った白。
小学校二年生の私のクラスに、忘れ物を届けてくれた姉をみたイケメンボーイ伊藤君が、「お前の姉ちゃん綺麗だな。ぜんぜん似てないね」と言ってきた時から、美人のねーちゃん。全然似てない。イコールぶす。と変換して顔を隠すように下を向き、胸を縮こませてまいりました。
中学の友人にも同じセリフを言われ、お姉ちゃん美人だね。だけでいいだろって、ブス確定を自分で押しました。

2022年。写真を通して見る自分は、撮る気が失せるほどやっぱり不細工でした。
こんな形してたのかと360度見て知て、これが私なのだと認識したことで、自分の容姿に愛着がわきました。
自分を自分のまま恥じることがなかったら、深い呼吸で胸を張ってファインダー越しの私を引き付ける被写体になれたと思ったんです。

日差しを吸収して直ぐに黒くなる黄色い肌も、どぎつい目も、上向きの鼻の穴も、姉のようになれないけれど、今を生きる命として、木や花、産まれたての赤ん坊や母とも、美しさに変わりはないのだと思うんです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?