贖罪の話

一度だけ、一度だけ本当に人を殺そうとしたことがある。その時に驚いたのが「親に迷惑がかかる」という事実は全く足枷にならない。という事だったんだよね。その時まで(親に迷惑がかかる、と思えば私は絶対に殺人というか、犯罪行為は出来ないだろう)と信じていたから本当に驚いてしまいました。

自分なんて他人と同じぐらい信じられない存在なんだという事もその時にあっさり知れました。

なのに不思議と「姉の子供」という存在が大きく迫ってきたんだよ。「姉の子供」「1歳」「賢そうな男の子」「あの子は、賢くて優しい」「いつか、この理解できなくていいことを理解しようとするだろう」「わからなくていいのに」「だからだめだ」と思ったんだよね。不思議だね。

あの子がいなかったとして、犯罪者になって、親も姉も妹も人生がめちゃくちゃになってたとして、それでも私はどこかで開き直ったような気持ちでさほど後悔もなく刑期をつとめたと思う。私の性格にはそういう怖さがある。

姉の子供はその後成長し偏差値の高い大学に入り、私は彼に会うたびに服を買ってあげて本を買ってあげてお金を少し渡す。「お金はいらないよ」と言われるが(あなたのおかげで今私が稼いでいるお金だよ)というある種の贖罪である。でもずっと、(あの時、人を殺さなくて本当によかった)とまでは思っていなかった。それはそれ、これはこれだ。私の性格にはそういう怖さがある。

彼は先日、彼からしたらかなり遠い関係であろう親戚の告別式に来た。「無理に来なくてもよかったのに」と言われて「うん。でも、おじいちゃんの骨を一緒に拾った人だから」と言った。「エッ?」「おじいちゃんの骨を僕と拾った人だよ。覚えてるよ。だから来ました。」骨を二人一組で拾う作業の時、たしかにそうだったような記憶があるようなないような、ていうか当時この子は3歳とかだろ。覚えてるのか。覚えていたとして、「だから来ました。」というのはなんなんだ。

(あの時、人を殺さなくて本当によかった)
と思った。

私はこの先も、人を殺さないと思う。

一人の部屋に帰ってきて、めちゃくちゃに泣いた。

生まれ変わったかのような清々しさで、
今なら空も飛べるかも

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