[感想]光る君へ

大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。

NHK公式サイト(https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/

注:2024年8月4日時点での大河ドラマ「光る君へ」の重大なネタバレを含みます

NHK大河ドラマの「光る君へ」を毎週楽しみにしている。第一話を見始めたときは、まひろ(のちの紫式部)と三郎(のちの藤原道長)の甘酸っぱい恋物語が展開されるのだな…とばかり思っていたが、ラストにまひろの母ちはやが殺されるという衝撃の展開が待っていた。しかもまひろの母を殺害したのは道長の兄である藤原道兼であり、今後のまひろと道長の関係に暗い影を暗示する幕開けだった。

下級貴族の娘として生まれたまひろは物語の序盤、都の街角で和歌の代筆をしている。下級とは言え貴族の娘が庶民相手にそのような仕事をすることはないだろうと思われるし、要はそういうプロットなのだが、他人になりきってその人生に思いを巡らせることに喜びを感じる創作好きな少女として描かれている。そして、多くの人との出会いと別れが彼女の人生に彩りを与えていく。人々にとっては「おかしきことこそめでたけれ」であることを教えてくれた直秀は、道長のとりなしを勘違いした検非違使によって散楽の仲間ともども無念の死を遂げる。直秀の死はまひろだけでなく道長にも深い後悔を残している。以降、まひろと道長の間には、直秀のような死に方をする人がいなくなるよう世をただす、という大志ができる。

源氏物語の執筆を道長が支援したという説がある。その説が頭にあったから、「これは作家と編集者(兼スポンサー)でバディものになるに違いない」と勝手に思い込んでいた。新進気鋭の作家であるまひろとその創作をサポートする道長のバディもの時々ロマンス、これはおおいに結構などと思い周りにも吹聴していた。しかし話がどんどん進み30話(「つながる言の葉」)を数えるに至ってもそんな雰囲気にはならないし、そもそもまひろが源氏物語をまだ書き始めない*。残念ながらバディものの線はあまり期待しない方が良い気がする。

本作で素晴らしいと感じるのは、源氏物語執筆に至る流れを丁寧に書こうとしている点だ。巷で言われるようにきっかけは夫である宣孝の死の悲しみを忘れるためとなっているが、本作ではもっとまひろの体験を重層的に織重ねた描写がされている。宣孝が存命だった頃に幼い賢子と親子三人で見た月、父の死を理解できない賢子を抱きしめて悲しみに暮れるまひろ、普段は物語を読み聞かせてもつまらなそうにしている賢子、そんな賢子がかぐや姫を読み聞かせると大人しく、続きは?とまひろに聞く。その流れでまひろは筆を執り、「うまく書けるかは分からないけれど…」と物語の執筆を始める**。さらに、ここに至るまひろの行動の根底には、藤原野道綱母の「書くことで、己の悲しみを救った」(15話「おごれる者たち」)という言葉がある。宣孝が亡くなって以降の流れだけでも自然ではあるが、そこに藤原野道綱母とのエピソードを意識させることで、まひろという女性の人生で物語の執筆を始めるのは必然だったと思わせる説得力が生まれている***。

藤原道綱母とまひろの交流を示す史料は無いようだ。しかし、登場人物達の歴史上の足取りを確実に追いながら、あったかもしれないエピソードでまひろの周りの人々を肉付けする。平安時代に一人の女性が生きた証として源氏物語が生まれるように、丁寧にシナリオが作られているように思う。twitterでは主に時代考証面で不満を述べる意見もある****ようだが、題材、作劇、役者たちの演技、どれをとってもエンターテインメントとして一級のものになっていると思う。

(補記)
幼少期のまひろ役の落井実結子さんは、前々作の鎌倉殿の13人では源頼朝の娘である大姫を演じていたが、大姫は源氏物語を愛好するあまり周りに対して自分のことを葵と呼ばせようとする少し不思議な少女という設定だった。しかし、親の都合で許嫁を殺されその後は望まぬ入内をさせられるという心労がたたったのか病に伏せり若くして亡くなるという儚い生涯であった。そんな大姫を演じた彼女が、今作ではまひろとして生き生きと平安の世を謳歌していることは、鎌倉殿の視聴者としては大変ほろりとするキャスティングと言える。(鎌倉→平安への転生はないだろうというツッコミはこの際置いといてほしい)

*30話の予告でようやく源氏物語の例のフレーズが一瞬出てくる。

**ただしこの時点では執筆しているのは源氏物語ではない。

***藤原道綱母とまひろの交流をわざわざ作ったのはなんか怪しくないか…と思う。兼家とまひろの一家には、道兼、道長の他にも因縁がある?

****穢れを嫌う平安貴族である道兼が直接殺人を犯すのはありえない、という意見がtwitterで見られた。しかし、父兼家がその殺人をもみ消した代償に、道兼は人の道を外れた汚れ仕事を一族のために引き受ける役割を負わされてしまう。「もみ消し」という扱いから分かるように道兼の罪は藤原家の中で処理されているし、本作のフィクション設定の範囲内であると思う。


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