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[記録]渚の博物館(館山市立博物館分館)

渚の博物館の外観。さかなクンは館山の出身らしい。

千葉県館山市の”渚の駅”たてやま内にある渚の博物館は、房総の漁業に関わる文化や漁師の生活を紹介している博物館である。昔の漁業についてよく知らなかった自分にとって興味深い展示がいくつかあったので記録しておく。

重要有形民俗文化財「房総半島の漁撈用具」の中から網・潜水・釣漁と漁師の生活・信仰に関わる資料を紹介します。

渚の博物館のHPより(https://www.city.tateyama.chiba.jp/hakubutukan/page020599.html

弥生時代の丸木舟

丸太の中をくりぬいたいわゆる丸木舟で、弥生時代のものだという。こんな頼りなさげな船で外海まで行ったのだろうか…

弥生時代のものとされる丸木舟

アワビ漁と機械潜水

日本における機械潜水による漁は、明治11年に安房で始まったとされている。機械潜水のおかげでこれまでより深いところでの漁が可能になり、そのようにして開拓された漁場は機械根と呼ばれた。

よくある潜水服
潜水服に送気するために用いられた手回しポンプ。ロンドン製を示す銘がある。

同時期にカリフォルニア移民でアワビ漁に注目した者がいたが、当地は寒流が支配的であるために素潜り漁では十分な成果が上がらなかった。そこで機械潜水が盛んとなっていた南房総から潜水技術者を呼びよせ、その後は南房総のアワビ漁師が続々とモントレーに渡っている。南房総の漁師は当時からなかなかインターナショナルに活躍をしていたようだ。

モントレーと南房総との意外な交流

網漁を支える分業体制

網漁には様々な形態があるが、南房総では分業による大規模な漁が行われていた。写真の鯛かつら漁は曳縄で鯛を驚かせて上手の網に追い込む漁で、勢子が猪や鹿を追い立てる巻狩りに似たものを感じる。無線もない時代なので海上での通信手段はざるを使い身振りで遠方の仲間の船に指示を出していた。

鯛かつら漁の様子。海底で板を引きずって音を出して驚いた鯛を網に追い込んでいたらしい。

興味深いことに、漁によっては他地域からその漁を専門とする人々が参加していたようである。例えば落とし網漁では、伝統的に岩手や富山の落とし網操業専門の漁師が参加して行われていたらしい。たしかに館山漁港の近くには今でも旅館が多いが、当時のそのような風習の名残かもしれない。どのようなきっかけで他地域集団との交流が発生し、協同して千葉で操業するようになったのか、なにか自然発生的ではない経緯がありそうで興味をそそられた。

漁具と漁業文化

魚介の性質を利用して捕獲機に追い込む陥穽漁というものがあり、たこつぼ漁が代表的なものである。よくある普通の漁具紹介と思い流し見していたが、説明パネルに印象深い一文があった。

海に関わる人々は、昔からこうした魚介類の習性を実によく観察していたことが分かります。

この一文には、漁業文化に対する深い敬意が感じられて大変よかった。自分もこのような目線を持ちたいものだと思う。

時代に応じてコンクリートなども使われている
漁業文化への敬意を感じる素晴らしい説明


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