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Creepy Nutsという名の呪い

※ Creepy Nuts ONE MAN TOUR「Case」千葉公演の感想です
※というのは名ばかりの、限界人(げんかいびと)による発狂ポエムです
※ネタバレ・スニッチなんでもありです


それは、太陽のようで。

<セットリスト>
0.DJ松永ルーティン
1.Lazy Boy
2.バレる!
3.よふかしのうた
4.紙様
5.助演男優賞
6.合法的トビ方ノススメ
-MC-
7.顔役
8.耳無し芳一Style
9.俺より偉い奴
-MC-
10.風来
11.オトナ
12.のびしろ
-MC-
13.シラフで酔狂
14.トレンチコートマフィア
15.デジタルタトゥー
16.15才
-MC-
17.サントラ
18.Bad Orangez
19.かつて天才だった俺たちへ
-MC-
20.Who am I
21.使えない奴ら
-MC-
22.土産話

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胸が苦しかった。
こんな感情は初めてだった。

100%収容(!?)、満員の会場。
久々に人間が多くて怖い。人間怖い。早くライブ始まってくれという焦燥感。もう何も言わなくても盛り上がる、世界の松永さんのルーティン。拍手。手拍子。

胸が苦しかった。
こんなにたくさんの人が、ふたりを待ち望んでいる。愛している。全てがバレている。

応援しているアーティストが売れるってこんな気持ちなのか。自分には無縁なものだと思っていた。自分がそういう感情を抱くことはないとなぜだか信じていた。今でも私は違うと思っている。嬉しい。嬉しかったのだ。もちろん。でも無性に胸が締め付けられて。

楽しむつもりで来たけど、自分の心の動きに楽しめるか不安になってしまった、その刹那。

不安は一瞬で飛んでいった。
考える間もなく脳髄を沸き立たせる曲の数々。
「過去の曲が助演男優賞」。その言葉通り。問答無用で盛り上がる名曲に、跳ね、手を上げ、トビまくる。最高だ。

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今回のライブはとにかくセトリがヤバかった。
それは人生そのもの。ふたりの歩みの追体験。一曲一曲もさることながら、ライブ全体の厚みが増しに増している。ヤバすぎる。もう広辞苑1000000冊分である。

そのセトリの中でも特に印象に残っているのが、「風来」「オトナ」「のびしろ」の流れ。

「オトナ」はもともと「阿婆擦れ」の前後になることが多く、それはそれで曲調がよく合っていて好きだったのだが、この3曲の並びは凄かった。最初からこのセトリにするために作られたのではないかと思ってしまうほど。「オトナ」にはさらに新たに松永さんのスクラッチも加わっており、殊更に新鮮に聴くことができた。

「風来」前のMC。要するに、「逃げてもいいんだよ」ということ。「逃げてもいい」という言葉は、好きだ。好きだけど、今を頑張り、戦い、輝いている人々に言われると、「でも、そう言うあなたは逃げてないじゃん」と思ってしまう。捻くれているのだ。なのに、Rさんの口から放たれる言葉はなぜかすっと入ってくる。超低浸透圧。

他にも、どこかで言っていた、「価値観は変わっていく」という話。以前、大人に似たような説教をされたことがある。そのときは「私は今を生きているんだよ!!」と反抗したくなったものだが、Rさんの話を聞くと、そうだよな、と納得することができた。法話か?教祖誕生か?確かにライブを神秘体験のように感じている節はあるが??それもあるにはあるが、何よりも、彼らの音楽に感性の部分で共鳴しているからこそ、その言葉はリアルに響くのだ。

Rさんは優しいから、この歌は、誰か、他人に向けたものなのかな。と思った。ふたりにも逃げ道はあるのかな。あるといいな。今まで散々与えられてきたから、きっと私に限らず関わる全ての人が。だから逃げたいときには逃げてほしいし、そんなときに自分自身の音楽が助けになるといいな。なんてエゴ。

そしてこの並びで一番ヤバかったのが「のびしろ」。何がヤバいってさ、Rさんが、めちゃめちゃのびのびと、誇らしげに、そして、本当に、本当に、心底楽しそうに、ラップしてるんですよ。
泣いちゃったよね。
最後、「俺らまだのびしろしかないわ」って、言われたとき、ああ、そっかあ、俺ら、まだ、のびしろしかないんだあ、と思って、深く深く思って、また泣いた。

「のびしろ」、ラジオで初OAされて聴いたときは「へ~~結構ポップな曲だな~」くらいしか思わなかったのですが、聴けば聴くほどにどっっっえらい曲じゃねえかとしみじみ感じ。これ、かつ天のときもそうだった記憶がある。初めて聴いたときは正直そこまで印象に残らなかった。しかし今では人生ソング。学習しろ!

「隅田川にかかる 勝鬨橋を渡る」のときの照明がとても綺麗だった。青と桜色。川の流れと満開の花を思わせるよう。はっ……川の流れは時の流れ、花盛りの今ってこと……!?天才かよ。

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「Case」、音源ももちろん最高だけど、ライブで光る曲が非常に多いことに驚いた。

「デジタルタトゥー」なんてまさにそう。一言一句の刃の鋭さ。低音と共に腹の底に突き刺さる。

そして、「15才」。

15才…………………………。15才…………本当に凄い…………凄い曲ですよ……………………。

見えたもん。15才の彼の、彼らの姿が見えたもん。とうとう幻覚まで見え始めたとかそういうことではなく。表現の凄さ。

ライティングも表現を際立てていた。最後のアレ、あそこのあのピンスポットもなんだけど、フック。フックが凄かった。赤いライトの中に、「痛いくらいに」強烈な光が混ざる。「目を背けたくなる」。流石に天才すぎると思いました。メンバーのみならずチーム全員天才なのかよ。そうだよ。

15才の後、MCが始まるまでずっと拍手が鳴り止まなかったのも非常に印象的でした。

私は、実年齢でいえばポジティブ30よりもまだ15才に近い方で、精神年齢でいえば15才からあんまり進歩していないので、勝手ながらまだまだ共感できてしまう瞬間がたくさんある。世の中全部敵に見えるとき。自分の苦なんて誰にもわからないと感じるとき。一歩も百歩も万歩も先を生きながらも過去を捨てずにいてくれること、本人たちにとってはもしかしたら負担なのかもしれないけど、ありがたい、と、思ってしまう。

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サントラ。

それは宿敵。

また、勝てなかった。

むしろ、今までで一番、ぼろぼろに負けた。惨敗だ。

涙で滲んで松永さんのスクラッチが全っっ然見えなかったくらいにはぼろぼろだった。勿体ないことをした。
でも、負け続けるのも悪くはないような。

サントラからのBad Orangezの流れもまた新鮮かつ天才すぎた。聞き慣れた曲であっても、ライブで聴くと意味も色も全く変わってくるのが面白い。「Bad Orangez」は本来、いわゆるワル、ヤンキー的な人々への憧れと憧憬、理解を歌った曲である。と解釈している。でも、このときの私には、「夕日の色によく似たお前」「朝日の色にも見えるお前」は、ステージに立つふたりとしか思えなくて。眩しくて眩しくて。波長の長い光を出し続ける、まさに太陽で。

武道館あたりから光量は増す一方で、私はいつも思い出す。あの、鈍色の光を。私がふたりに出会ったとき、ふたりはもう充分すぎる程に輝いていた。でも、その光は、闇の中でギラギラと、鈍い色を放つ光で。今までの人生で出会ったことのなかったそのギラめきに、魅せられてしまったのだった。闇の中は身を潜めるのにちょうどよかった。白日に曝される日がくるなんて、夢には思っていたけれど。

「もれなく社会不適合者」でも、「俺らまだのびしろしかないわ」でもそうなのだけれど、私は本当に単純なので、「私事」の合間にこちらに向けてまっすぐ放たれる言葉を、直に受け止めてしまう。「それを知る俺たちなら皆味方」も、そして「お前はいまだに広がり続ける銀河」また同じく。

「かつて天才だった俺たちへ」がこの辺に来るであろうことは予想はしていたけれど、それにしても感慨深かった。もうかつ天トリじゃないんですよ。満を持してじゃないんですよ。かつ天前のMCが聞けないのは少しばかり残念ではあるけれど、前口上がなくとも皆感じているし理解しているし、あちらもそう確信しているのであろう信頼が嬉しい。

この曲にはほとんど物理的かつ強制的に生活を動かされているので、もう、ただ、ただ、ありがとう、ありがとうという気持ちが、こみ上げてきました。

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今日、特に嬉しかったこと。「Who am I」の曲振りで、Rさんが、「音の上」を「帰る場所」であると言ったこと。

私は以前、ff0の鍵アカウント(キモいツイートをする専用のアカウント)でこんなツイートをしたことがある。自分専用なので日本語があんまりな感じだけども。このとき考えていたことの答えをくれた。

もう、絶対じゃんね。絶対と思っちゃうよ。絶対に続く音楽。ライブに行けばそこいてくれて、最高をくれる。そう信じさせてくれる。ますます絶対的な存在になっちゃう。深まる信仰。

あと、これはスニッチになってしまうのか?わかりませんが、Rさんが「Who am I」の2番のフックの途中でキーを上げたの、なぜだかめちゃくちゃときめいてしまった。

そしてキーを上げた後の歌声の伸びること伸びること気持ちよさそうなこと。

高校時代、国語の教師がはいだしょうこの歌を聞いて号泣した、と話していた記憶がフラッシュバックした。

アナと雪の女王(原題:Frozen)でお馴染み「Let it go」のカバー。低音パートでは少し苦しそうに歌っているのだけれど、サビで高音になった途端に伸び伸びと、生き生きと歌うさまに感動したんだそうな。

当時の私は「涙腺よわ。。。年取るとそうなるのかな。。。」としか思っていなかった。その気持ちが今更わかった気がする。

ラッパーの歌を聞いてタカラジェンヌを思い出す思考回路はよくわからないが……。

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「シラフで酔狂」や「トレンチコートマフィア」が来るのは予想していたけど、ここにきての「使えない奴ら」は予想外だった。そしてこれが非常に効いた。涙腺やら諸々の腺に。?。武道館のときとはこれまた全然違う印象を受けた。現在も過去も未来も、セトリの上で全ての時間を一周したうえでの、「使えない奴ら」だったから。
変化。「Case」を象徴する言葉の一つ。彼らは変わった。変化した。きっとこれからも変わり続ける。でも、どんなに輝いても変わらないものがある。音楽はもちろんその一つだけど、それだけではなくてーーーー。

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土産話。
この曲は、究極の内輪ネタ。
だから、一つ一つの音と言葉、そこに込められた思いは、ふたりにしかわからない。
でも、聴いている我々にも、それぞれの土産話がある。走馬灯のように巡る記憶。物語は続いていく。

最後の言葉。
世界がこんなになって以来、お決まりの台詞。
次はきっと。
ああ、そんなことを言われてしまったら。
そんな姿を見せられてしまったら。
希望を抱かざるを得ないじゃないか。
将来なんてないのに。どこにも保証はないのに。
希望を抱かされてしまう。
簡単に絶望することなど許されない。

これは呪いだ。

Creepy Nutsは、様々な、様々ななんて言葉で纏めることはできないほどの道程を経て、数々の呪いを解いてきた。今度は呪いをかける番なのだ。
呪いであり人間讃歌である、それが現在までのCreepy Nutsなのだと思う。

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何書いてるかわかんなくなってきた。

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今回の千葉公演。
収容人数でいえば、たとえ席数が減らされていても武道館やぴあアリーナ公演のほうがよほど人数は多かっただろう。でも、何が違った。新規層が増えたからだろうか。はじめてライブに行ったときを思い出すような空気感。武道館や野音で感じたあの温かさとはまた違う。混沌としていて、自由で、熱い。そんな空気。
ふたりもノリがいいと言ってくれていた。

セトリで言えば「生業」と「たりないふたり」がなかったのは意外だった。「スポットライト」や「阿婆擦れ」という今までのワンマンでは毎回登場していたような名曲もOUT。逆に、この曲たちがなくてもここまでの厚みと必然性のあるセットリストになるのかと驚き。「使えない奴ら」が入ったのもびっくりだし良かった。使えない奴ら聞くともれなく「月に遠吠え」も聴きたくなってしまう。最後に聴いたのは去年のかつ天オンラインリリースライブ?あの時の「月に遠吠え」からの「日曜日よりの使者」の流れ好きすぎたから今度は生で聴きたいなあ。他にもライブで見てみたいのがたくさんある。2時間じゃあたりない。

コロナ落ち着いたら3時間くらいの超長尺ライブやってほしい。あとFC限定のクローズドイベントとか。小さめの箱でね。それこそリキッドルームなんかでやったらエモいのでは?リキッドが小さめと言うのもおかしな話だけど。

それと松永さんのルーティンをもっとたくさん見たい!!DMCとった年のツアーでは一公演に2回ルーティンやってたんですよ。2回でもたりない。5回くらいやってほしい。

他にはMCなしノンストップのライブとか。短めの尺でね。Rさんがしんでしまうから。そういうコンセプチュアルなライブたちもいつか見てみたいな~。

これ3日かけてやっと書き終わった(?)んだけど、みんなこういうキモい感情をどこに隠してんだろうね!?!?それがわからんから私は他人を信じられないし、キモ感情を晒せる人は信頼できるし、昇華できる人は尊敬する。

おかげさまで健康です。

以上、今回のお気持ちレポートでした。ちゃんちゃん(5,446文字)

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