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女子大生に質問する勇気がなかった話

先日、大学生の体育会系の部活を取材する機会があった。取材は滞りなく進み、流れでそのまま学生たちと夕飯に行くことになった。

18歳前後の女子大生たち4人と、10歳以上上のわたし1人。もしかしたら、干支が同じ可能性すらある。どう振る舞うのが適切なのかもわからずに、背中を小さく小さく曲げて、わたしはハンバーグを注文した。彼女たちの団欒を邪魔してはなるまい。この場で明らかな"異物"になってはなるまい。たまたま、女子大生のの中のひとりと、注文したハンバーグの種類やトッピングがまったく同じだったので安心した。彼女たちとは年齢も属性も何もかもが違っているわたしは、そのほかのもので"同じ"を演出する必要がある。"同じ"の数は、異物ではない証の数だ。

店に入る前に「みんなでSNOW撮ろうよ」と、スマホを向けられた。画面には、どういう顔をしていいかわからないわたしの表情の上に、ネズミのヒゲや耳がついていた。

席に案内されると、またスマホを向けられた。何のカメラアプリだかはわからなかったが、全員で席に座った様子がおさめられた。

ハンバーグが運ばれてくる前に、サービスの小さな野菜ジュースが5人分出てきた。5つの小さなグラスをきれいに並べてみんなInstagramで撮っていた。出遅れたわたしは、ハンバーグが来たときこそ、Instagramを開こうと思った。

ほとんど使っていないInstagramでハンバーグを撮影し、よくわからないフィルターで適当に加工したとき、ようやく彼女たちと同じ目線に立てたような気がした。

みんなSNOW使ってるの? いつも写真はどこに投稿するの? 一番よく使うSNSは何? 今一番流行ってるのって何? 聞きたいことはたくさんあった。知らない世界の知らない話を、わたしは聞けなかった。

なぜ聞けなかったのだろう。

たぶん、それをひとつでも聞いてしまうと、彼女たちにとって"異物"になると思ったからだ。質問をした途端、わたしは彼女たちの世界のことを知らない人間、わざわざ聞いてくるくらい何も知らない人間、になるからだ。質問をするということは、「わたしはあなたとは違う人間です」と宣言することである。その相手にとって"異物"になる勇気が要る。

仕事のときならぽんぽん出てくる質問が、何も浮かばなかった。いつもよりも多めに「ヤバい」という言葉を使ってその場をやり過ごしたわたしは、"異物"になる勇気を持てなかった。彼女たちが自分と異なる振る舞いをする人を"異物"と見なすかはわからないし、そう思い込んでいること自体がとても失礼なことなのだけれども。

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