意識を生む機関と自然選択

最近読んだ「皇帝の新しい心」(ロジャーペンローズ)の知識がまだ頭にあるうちに考えていたことをここに書き記しておく。(とはいえまともには読み切れておらず解説記事なども参考にしている)

私は生物の行動は基本体に決定論的に、アルゴリズム的に説明できると考えている。

原始生命の生命活動というのは基本的に化学反応であり、ジャボチンスキー反応となんら変わりのないものだと考える。移動するという機構すら持たない種もあり、どの種が増えるかどうかは完全に運任せなのである。

カンブリア期になるとドーパミン回路を持つ種が誕生する。この頃のドーパミンの働きとしては脳の回路を強化する、記憶の定着に使われていたと考えられている。この段階で、生存に有利な行動というものが生命に備わることになる。本能的な行動、飛んで火にいる夏の虫、な行動はこの段階で生まれるのである。

人間には意識があるとしよう。そして(やや強引だが)人間以外の生き物には意識がないとしよう。猿から人間に進化するどの段階で意識が生まれたのだろうか?

思うに、猿はアルゴリズム的な行動をとっており、「迷う」ということはないはずである。そしてあるとき脳内に量子揺らぎをマクロなレベルに変換させる回路を持った個体が突然変異で生まれる。するとその個体は他の個体とは明らかに違う行動を取り始めるようになる(この個体をAとしよう)。例えば、他の個体が空腹時に食べ物に向かって走っていく時に、その個体は食べ物に向かうべきかどうかを考えるのである。その結果地震や山火事などなんらかの原因で他の個体がまとめて滅んでしまうようなときにも個体Aは別の場所にいて助かる可能性が高くなる。アルゴリズム的な本能から抜け出し、より合理的な選択をできるようになった個体はおそらく他の個体より危険を回避し、生き延びることができたのではないだろうか。

そして、いつしかその個体Aの遺伝子は猿の集団において支配的になり、人間が生まれたのではないだろうか。

というのが皇帝の新しい心を読んで考えたことである。決定論的な振る舞いのなかで自由意志が存在するには脳の中に量子的な機関が存在するというのはうまく説明がいくモデルだと思う。エヴァで言う知恵の実を食べた生物であり、N2機関のようなものが人には備わっているのだろう。

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