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初めて大長編漫画(自分比)を描いた感想
初めて長編漫画を描き終えた。38ページ。……長編か?いや自分の中では長編だ。それまで描いたのが最高14ページだったことを加味すれば、大長編と言っていいだろう。
描いた漫画がこれ(Twitter)↓
三山匠はしゃべらない。
— もず✒︎週末漫画家 (@mo_x_2) September 10, 2021
私を含め、この学校で彼の声を聞いた者はいない。
読み切り漫画「三山くんはしゃべらない」(1/10) pic.twitter.com/itDgoVmSPZ
まとめた版がこれ(コミチ)↓
そもそもこの漫画を描こうと思ったのは、2020年の春から受講していたコルクラボマンガ専科がきっかけだ。この講座の最終課題が「テーマ『バディ』のマンガを16〜32Pで描く(ネームも可)」だったので、そのために描いた。
プロットを書き始めたのが2020年の秋。描き終えるまでに約1年かかったことになる。私が漫画家だったら破産している。よかった、会社員で。
描きながら、また描き終えてからいろいろ思うところがあった。つらつらと思いつくままに書き記しておく。
描いても描いても終わらない
それまでも14ページくらいの漫画を描いたことはあったが、38ページとなると倍以上。特に清書(下書き、ペン入れ、トーンなど)にむちゃくちゃ時間がかかった。
描いても描いても終わらない。漫画地獄。「あと30ページもある……」等と考えてはモチベーションが削られていった。
おまけにせっせと描き上げたところで1円にもならないのである。素人の漫画だから当然だ。趣味とはそういうものとは言え、ペンを進ませなくなるには十分な理由であった。
なんも描けない
今まで自分は「背景描けない!」「服のシワ描けない!」等とのたまっていたが、そんなことはなかった。むしろ、なんも描けない。背景や服のシワどころか、手も足も体も、髪の毛も、左右対象の正面顔も、可愛いポーズも、メガネもカバンも机も椅子も描けない。
今までもそこそこ絵は描いてきたのにその自覚があまりなかったのは、自分の描けるものしか描いていなかったからだろう。漫画となると、描けるものだけ描いているわけにはいかない。ストーリーを展開するのに必要であれば、今まで描いたことのない表情やポーズ、構図や小物を描かなければいけないのだ。
今までは描けないものはなんとなく適当に誤魔化して描いていたのだが、今回それは改めた。どなたかのYoutubeで「プロだって、描いたことのないものは調べて描く」という、思えば至極当たり前のことを知ったからだ。素人がプロ以上に手間を惜しんでうまくいくはずがない。
一度描いたものは自分の身につく。次回はきっと調べなくても描けるようになる……そう信じて、描けない物が出てくるたびにgoogleで画像検索して参考資料を探したり(トレスはしてないよ)、自分の手や体の写真を撮ったり、鏡で観察したりした。
スマホのカメラロールに自分の珍妙なポーズが残るのは地味につらかったが、やはり実物と自分の思い込みとは違う。いい勉強になった……と思う一方で、本当に漫画をまともに描くのって時間がかかるんだなぁと痛感した。
ちなみに今回漫画を描く上で困ったのが↓のシーンだ。
終盤のいわば決めのシーンである。主人公である女の子が、振り返って微笑む。
ここで棒立ちは違うだろう。なんというか、若干前傾で、足は肩幅程度に広げて、セリフでいうと「エヘ☆」みたいなポーズだ。かわいい女の子がこういう感じのやつ、よく見る気がするが、このポーズの名前ってなに?単なる立ち姿じゃないし、調べ方がわからない。
結局ネットでは参考画像が見つけられず、自分で鏡の前で「エヘ☆」を繰り返して描いた。苦行。漫画を描くのってこういう苦労もあるのかと思い知ったシーンだ。
絵が安定しない
1年もかけてだらだら描いていたこともあり、38ページの中でキャラクターの顔がどんどん変わる。これは私が初めにキャラクターデザインなどを用意しておらず、「自分が一番描きやすい顔」という曖昧な定義で描き進めてしまったせいだ。
自分の絵柄が固まってないうちにこんなことをしてはいけない。ページ数を重ねていくうちに「髪型や服装は同じだけど、なんか顔違くない?」と違和感を覚えることが増えた。
全体を描き終えた後に前半のページを描き直したりはしたのだが、今完成稿を見ても、なんかこことここで顔違うなぁと思ってしまう。特に目の描き方なんかは初めにちゃんと設定しておけばよかった。
世の漫画家すごい
これはよく言われることであるが、漫画をひとつ描くと、いかに世の漫画家がすごい実力者であるかがわかる。いわゆる「絵師」として崇め奉られていないような方でも、その漫画を描く上で「なんだこの絵?」といったノイズになっていないのであれば、それは相当な技術である。
漫画を描きながら、「褒められるレベルじゃなくていいから、ストーリーの邪魔にならない程度の画力が欲しい〜!!!」と強く思った。それも実は謙虚なようで傲慢な望みである。
モチベーションを支える「過去の褒め」
描いても描いても終わらないし、絵はまともに描けないし、カメラロールに変な写真は残るしでモチベーションは日々削られるばかりだったが、それでも描き終えたのはひとえに「過去の褒め」のおかげである。
(余談だが、この「褒め」という表現は村木おすしさんの漫画「たまに取り出せる褒め」に影響を受けている。「褒め」ってなんかすごくいい響きだ)
冒頭で書いたように、この「三山くんはしゃべらない」という漫画は、コルクラボマンガ専科の課題で描いたもので、最初に公開したときはネームの状態だった。
正直これが見るに耐えないほど雑な仕上がりで、絵も字も汚くて読みづらくてしょうがない。もはや読んでもらう気があるのか甚だ疑問である。提出までに時間がなかったとは言え、あまりにも読み手への配慮に欠けた出来だ。
しかし、そんなド汚いネームでも読んでくださる優しい方はいらっしゃって、しかもそのうち数人からは「よかった」「おもしろかった」などの感想をいただいた。汚いネームを読ませてしまった罪悪感もあった一方で、やっぱりすごくすごく嬉しかった。
漫画を描くのは正直しんどいことが多かったが、そのもらった「褒め」を繰り返し牛のように反芻して思い出し、こうしてなんとか描き上げることができたのである。
ときどきTwitterで「作品へのいいねやRT、感想は、思っている以上に作者を喜ばせるから、恥ずかしがらず積極的にした方がいい」という啓発のつぶやきを見かけるが、まさにその通り。
実際のところ、感想を伝えたところで「あ、どうも、ありがとうございます……」くらいのローテンションの返事しか返ってこなくて「あんまり嬉しくなかったのかな?」と思うかもしれないが、それはその人(というか私)の感情表現が乏しいだけで、心の底では飛び上がるほど喜んでいて、その後何度も思い出しては噛み締めているのである。安心してどんどん褒めてほしい。
以上
が、大長編漫画(自分比)を描いた感想である。ほぼ愚痴になってしまったが、存分に自分語りができて満足だ。次にどんな漫画を描くのか、そもそも描けるのかはわからないが、なんだかんだ愚痴を言いつつもいい漫画が描ければいいなと思う。
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