身がちぎれるほど辛いのは今じゃない
今日は父の日だ。
私の父は、昭和の58年だったか、7月に死んだ。
一人暮らす自宅で両手首足首を切ってその上割腹自殺した。
台所から、玄関まで、痛みを堪えきれず血を流しながら這いつくばった玄関で命尽き果て一週間後新聞配達員が近道配達しようとしたところ干からびた血痕が玄関から流れ異臭で死亡者がいることを発見した。
火葬前の父の遺体は、もがく姿勢で拘縮し、目からウジが湧いてた。
父の他界まえに、両親は離婚し、私をはじめ弟妹は母に付いて行った。
父の自殺前に私は父に会い話をした最後の人物だったのではないだろうか。
未だに父の亡くなった月が来ると情緒不安定な日々が続く。
父の誕生月も私の精神は不安定だ。
ここ数年それも薄れてきたかのように思えた。
今日父の日であり、生理も重なり、現在私自身の身の上も不安定のところ、今日の日付に変わったあたりから涙が止まらない。
何か意味することでもあるのだろうか。
毎年不安定な7月が今年は早くもこの日に来るなんて、今年私自身の精神は耐えられるのだろうか…
本当に辛かったのは35年も前のことで今ではない。
けれど、思い出すと、すぐにあの時の気持ちにすっと、止めようがなく戻ってしまう。流す涙の量は、あの頃よりも今の方がはるかに多くて、身もこころもからだ全身が激しく痛む。
今日1日無事に過ごせるかどうか自分に自信がない。
それでも、穏やかに予定していたことをこなし、時や日にちが過ぎるのを待つしかない。
間違ったことを自分自身が起こさないように、穏やかにいなくては。