日本企業が衰退する理由

消費財関係のマーケティング市場拡大において最も危険なことは、安価に売りさばくことである。
指名買いの顧客が最も離れやすくする方法といえばお分かりいただけるだろうか。
付加価値にお金を払いこの企業の製品だからだとか、この商品の特徴を買っている人々が、格安に購入する一見さんが手に取り始めると、製品の魅力のかげりを感じるし、信用失墜といえば大袈裟過ぎるかもしれないけれど、指名買い対象から外す。
人の行動からすれば、安く売るのは企業努力で、広い層から購入支持を得たいためにセール販売するのだろうけど、人を惹きつける魅力を維持することは難しい。
そのため、一定期間が過ぎれば、特徴を変えリニューアル販売する。
このリニューアル、前のこの製品の方がよかったと感じる方々も多いはず。

話題を変えれば、かつて日本人労働者は、勤勉で細やかで労働奉仕があり、尊敬を過ぎた働きアリのように言われた。
昨今この勤勉でというのが、別の揶揄が含まれるようになった。
勤勉さの割に仕事ができない。
くそ真面目で融通がきかず、効率よりも過程重視のため時間がかかる。

間違いが起こらないように慎重に仕事を進めることがよし。もしもを想定できず、組織の中でイエスマンであることをよし、または、かわりっこない現状に、口出しする必要も無いという日本社会があり、会議が発表会と化し意見や質問すらもわかない。

仲良く波風のたたない現状維持状態であることが、大人でいい働き方になってしまった。
問題が起こっても想定されもしないため、問題騒動後に対応策を場当たり的に考え(思いつき)対処する。
顧客からは、あの会社はね…と言われがち。なのに、言われる側はその事に気付いてないし、我がことかと想像にもない。

そんな風であれば、衰退しても当然。
最良の結果を考えずして、起こるであろう問題もないものにし、市場投下を優先する。
信用を自らなくす機会を増やしていることに気付かず、スピード第一なのだから。
創業間もない若い企業ならそういう実験もあるだろう。
何年も存在する大手または、大手の傘下企業であれば、これはアドベンチャーだ。
昨今無駄な投資は控えている企業は多いものの、日本はなんせ学歴社会。
学生時代が優秀な成績の人材であば、仕事も上手くこなす人物であったと願いたい気持ちはわからなくもないものの、点数をとる事が上手な人物なのか、思考発想、努力の成果か、などの観点からも人をよく見ることが必要だろう。

最近、国内最大大手の某通信のとあるグループ組織との契約を終了した。
そこも、上記の内容に当てはまるアドベンチャーなベンチャー創業の組織であった。創業は現在からかろうじて1桁の年数である。
そこの長が言うには、今までやったことの無いビジネス。何が起こるかわからず、その都度フットワーク軽く対応してきた(労働時間外は対外的に対応対象外)。何が悪いのか、これまで言う人もなく、わからなかった。
など考えられない発言を恥ずかしげもなく語る人材の宝庫だった。
この組織は今後もグループの大きな傘の元存続し続けるだろう。
それも、状況も変わらず、変、部内の諸問題の解決や、対応が後手後手、若い人材の退職に気付かず、派遣が短期で終業していくこの事態をなんの疑問も持たず、会社の看板にすがった人々は、ところてん式に重要ポストに付けど、こんな責任職になろうとは思ってなかったなんてことを、自慢のように語り、部のメンバーからは白けきった反応にも気付かず。
その責任職ポストにますますぶら下がるであろうことが、ことがこれまでの創業史から想像される。

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