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終わらない嘘はいつ終わる。映画「リプリー」感想。

公  開:1999年
監  督:アンソニー・ミンゲラ
上映時間:139分
ジャンル:犯罪/サスペンス/スリラー

嘘がばれたら、おしまいだメェ~

皆さん、はつきますか。

エイプリルフールでもない限りは、あまり大きな嘘をつくことはないと思いますが、もしも、相手がその嘘を信じてしまって、引き返せなくなってくると、嘘はやがて、恐ろしいものに変貌を遂げていくことでしょう。

映画「リプリー」は、1960年に公開され、アラン・ドロンが主演し、巨匠ルネ・クレマン監督によって作られた「太陽がいっぱい」と同じ原作の作品となっています。

ただ、「太陽がいっぱい」と同じプロットでありながら、マット・デイモン演じる男と、ジュード・ロウ演じる富豪の息子であるディッキーとの関係は、絶妙な状態となっています。

何が嘘で、何が真実なのか。
騙し騙されというものではないのですが、悲しき主人公であるマッド・デイモン演じるトム・リプリーの物語は、物語が進むごとに、ホラー映画のような恐ろしさがでてくる作品となっています。


プリンストン大学出身の話

照りつける太陽。
水着の男女が浜辺で寝そべっているところに、マッド・デイモン演じるトムが、ジュード・ロウ演じるディッキーに声を掛けます。

「ディッキー? 僕だよ、トム。トム・リプリーだ」
「誰だ。知り合いか?」
「僕は君を知っていたから、君だって僕を知ってる」

言葉巧みに知り合いである雰囲気をだしつつ、ディッキーに近づいていきます。

アメリカでは大学の繋がりというのは重要なわけですが、すっかり忘れてしまった学生時代の知り合いだ、と言われて親しい気に声をかけられたら、無視するわけにもいかないでしょう。

トムは、彼の父親に依頼されて、息子をイタリアから連れ戻すように言われた男です。
ディッキーの好きなジャズを勉強し、彼の言葉や経歴を頭に叩き込む。

完璧な詐欺師の物語なのか、と思ったら、全然違う話なので注意してもらいたいところですが、この相手に取り入るための努力の姿勢は非常に参考になります。

詐欺師の話ではない。

本作品は、前半の1時間からどんどん物語の雰囲気が変わってきます。

スティーブン・スピルバーグ監督「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のような、華麗に嘘をついていく主人公の話だと思っていたら、全然違いますのでご注意ください。

主人公であるトム・リプリーは、どこか垢ぬけない男であり、様々な特技もあって、富豪の息子であるディッキーに好かれます。

トムは、どこか自信無さげで、頼りなく、しかし、時に大胆な行動をしており、いったい、何がしたいのかわからなくなってきますが、ディッキーと仲良くなればなるほど、トムは我慢ができなくなっていきます。

憧れるものへの同化

マッド・デイモン出演で、最近の作品ですと「スティル・ウォーター」が衝撃的でした。

時にかわいげのある男の子であり、頼れるイケメンであるマッド・デイモンが、スティルウォーターでは、いかにも、アメリカの田舎で生活していそうな、おっさんにしか見えなかったからです。

チェックのシャツを、ズボンにしっかりタックインし、ださいキャップをこれ見よがしにかぶる。

これぞ、イメージ通りのアメリカのおっさん。
服装や演技で、どんなものにでも役者というものは演じられてしまうのだなということがわかります。

さて、「リプリー」において、トムは、ディッキーという魅力的な男になろうとしていることがわかります。
文字の書き方、しゃべり方、服装やセンス。

でも、どこか垢ぬけないし、ダサい。
このあたりの演出が絶妙だったりします。

そして、彼が、同性愛者としか思えないようになってくるのですが、トムが、ディッキーの匂いをこっそりかいでいたりするところから、物語はどんどんきなくさくなっていきます。

嘘が嘘を呼ぶ。

世の中には、リプリー症候群というものがあるそうです。

まさにこのトム・リプリーというキャラクターの名前がもとになってつけられたものなのですが、自分がついた嘘を信じてしまうというパーソナリティをそのように言います。

映画「リプリー」においては、主人公は、しっかり自分の嘘を人に応じて使い分けてはいるのですが、それが、けっこう場当たり的な感じなのが面白いです。

詐欺師が主人公の映画であれば、あらゆるセリフが完璧に計算しつくされているのだろうと思うところですが、映画「リプリー」は、別に詐欺師の映画ではなく、ディッキーという男に憧れる男が、彼になろうとする物語であり、完璧な嘘をつき続けるわけではありません。

嘘をつく度胸があるだけで、運がいいのか悪いのかよくわからない主人公でもあります。

嘘がばれてしまいそうな場面は何度もやってきます。

マッド・デイモン演じるトムもまた、あきらめ顔。
観客である自分自身も、今度こそ駄目だ、と思いきや、なんとかかわしていきながら、最後はどうなってしまうのだろうという恐ろしさもまた、本作品の魅力となっています。

一種のピカレスク・ロマンである本作品は、その犯罪がどのように収束していくのかがポイントとなっています。

なにせ、場当たり的であり、もう、いい加減ばれてしまえー、と思う一方で、なんとか知られず逃げきってくれ、という相反する気持ちに、心のソワソワが止まらないのです。

映画も色々なタイプがありますが、一度見たら、見終えないと気持ちが現実に戻ってこれなくなる作品というのはありまして、映画「リプリー」なんかは、最後まで見終わらないと、どうなってしまうんだろうか、とついつい囚われてしまうことになるでしょう。

はやく楽にしてくれ、と思いながら、最後までどうなるか安心させてはくれないのです。


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