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『やまぶき』山崎樹一郎監督インタビュー

こんにちは、映画チア部大阪支部の(かんな)です。
今回は、11/12(土)からシネ・ヌーヴォで公開予定の『やまぶき』の監督である山崎樹一郎さんにインタビューいたしました!(12日はヌーヴォで舞台挨拶もあります✨)

『やまぶき』は監督自身が住んでおられる岡山県で撮影されたとのことで、映画に対するこだわりや、学生時代に影響を受けた監督、学生におすすめの映画についてもたくさんお伺いしました🎤

そして、シネ・ヌーヴォの支配人であり、山崎監督の姉でもある山崎紀子さんも一緒に映画の話をしてくたざり、わたしたちもとても楽しい時間を過ごすことができました…!

是非最後まで読んでみてください✏️

(聞き手 : なつめ、かんな)

チア部:この映画のロケ地である岡山県真庭市は、監督ご自身が移住されて現在も住んでおられる土地だということを知ったのですが、そもそも真庭市に移住したきっかけは何だったのですか?


山崎監督:移住したのは27歳の時だったと思うんですが、その頃は色々迷っている時期だったんですよね。当時は京都にいたんですけど、このまま京都にいても映画を作っていけないだろうなと思ったり、東京に行って職業として映画に挑戦するというのも、いやそういうことじゃないだろうと思ったり。

そんなことを考えて迷っていた時に、日々食べるものとして自分の目の前に出されたごはんが目に止まったんですよ。ごはんというのはどういうふうに作られて、そもそも食材はどこから来て、誰が作って、どうやって作っているんだろうっていうことがとっても気になって。

その時、「あ、これ、農業をするべきだな」って本気で思ったんですよね。農業をして自分で食べ物を作れれば、まず飢え死にすることはないなと思って。

父親の実家が真庭市にあって、そこで当時85歳くらいの祖母が畑をしているっていうのは知っていたので、そこで農業をやろうと移住したということです。


チア部:真庭市で「シネマニワ」という団体で映画に関する活動をしていらっしゃるということも知りました。やられていることも私たちチア部と通ずる部分があってすごく興味を持ったのですが、どんな団体なんですか?


山崎監督:移住して1年くらい経つと、なんとなく田舎や農業の1年の過ごし方、1年間でどういう作業をすればいいかということはわかってきました。

そこでふと、真庭に来てから映画を全く観てないなということに気づいたんです。上映会なんてものもなかったり、当時隣町の津山にあった映画館も閉館して、車で高速を走って映画館に行くしか映画を観れる状況になかったんですよ。

それじゃあ真庭で、映画の上映会をやろうと思って。学生時代に京都国際学生映画祭の企画や自主上映、映画宣伝の手伝いなどをしていたので、企画してチラシを作って宣伝して、といった一連の流れはわかっていました。

そこで、2007年、『秋刀魚の味』(小津安二郎)とか『駅馬車』(ジョン・フォード)とかの上映会を、当時出会った友達何人かと一緒に、小さな喫茶店みたいなところで始めたんです。そのチームで「シネマニワ」という団体を作った、という経緯があります。その後そのメンバーたちと短編映画でも撮ってみようよというところから始まって、『やまぶき』に至るという。




チア部:農業と映画制作は結びつかないのかなと個人的には思ったのですが、どうやって両立をしているんですか?


山崎監督:両立はできていないですよ!

やっぱりそれだけを専門でやっている人がいる一方で、僕は農業をやりながら映画も作りたい…作らざるをえない…作りたいという欲求を止められない…から作っているわけですけど、毎回毎回引っ張り合いっこっていうか、お互い時間の取り合いっていうか。だからどっちもうまくいかないことのほうが多いし、どちらもうまくできるわけないんですよね。2つのことをやっているわけだから。ただ、どっちも面白いんですよ。作物を作るのも面白いし…大変だけど!お互いそういう関係性でやっているという感じです。なかなかおすすめはできないですけど。

チア部:どんなものを作っていたんですか?


山崎監督:トマトを作っていました。真庭はトマトの生産地があります。

農業をしたいって真庭に行ったときに、トマトと花が産地だからどっちか選んでくださいって言われて。花は食べれないから、じゃあトマトにしますって。元々食べるものを作りたいっていうのがあったので。

じゃあ、食べるものは作れるようになった次は、文化的・芸術的なことって必要だと思い、「シネマニワ」で上映会を始めて。そこから、映画を作りたい、作れるかもしれないって思って、今こうして映画を作っているという状況ですね。


チア部:『やまぶき』も岡山県真庭市という今監督ご自身が住んでいらっしゃる土地で撮られているわけですが、監督が考える「住んでいる土地で映画を撮る」ことの意味を教えてください。


山崎監督:僕は学生時代から小川紳介や佐藤真のドキュメンタリー映画を観てきて、「住みながら映画を作る」ということの重要性を感じてきました。

それから、学生時代に学んだ人類学の考え方にも影響を受けています。人類学では、その土地の文化や社会、状況などを、実際に地域に入って住みながら暮らしをともにし、自分のものにしていった上で紹介したり取り扱ったりしないと、間違った解釈になってしまう危険性があるということがあります。


あとは、住んでいるということは日々ロケハンしていたりシナハンしていたりっていう贅沢な状況でもあるわけですよね。本来「あの場所で撮りたい」となったら、その場所に行ったり来たりしなくちゃいけなくて移動にいちいち製作費がかかってくるので、住んでいる場所で作るというのは実は1番効率が良いとは思います。



チア部:それでは次は、本編を観て質問したいと思ったことを伺っていきます。

『やまぶき』はフランスとの合作で、本編の中では方言込みの日本語と韓国語、そしてベトナム語が飛び交っていたのですが、撮影時言語の壁はどのように乗り越えましたか?


山崎監督:多言語の映画って、まあありますよね。この映画で乗り越えられているのかどうか分からないんですが…。

現場で外国語が合っているのか間違っているのかということを監修する人はいなかったので、そこは役者を信じるしかありませんでした。仮に僕が思っているのと違うことを言っていたとしても、それはそれで面白いんじゃないかとも思っていました。

もちろん「こう言ってください」という話はしっかりしているので、前提として信用がありました。その上で、しかしこの場合細かい言葉というのはあまりたいしたことなくて、国を越えれば通じないわけで。

その場合何を見ているのかっていうと、画を見ているんです。その画がその言葉を表現しているのかというのは、見ていてわかりますよね。それが間違ってなければ、ワンカットワンカットOKが出せます。

だから、「乗り越える」というよりは、映画というものを信用して、役者というものを信用して、淡々と進めてきたという感じです。

チア部:役者の方とのコミュニケーションは全部日本語でしたか?


山崎監督:日本語でしたね。日本語ができる外国の方もいたので、基本的に日本語でコミュニケーションをとっていました。


チア部:クレジットの中に、フランソワ・トリュフォーの映画の編集技師であるヤン・ドゥデさんが編集協力として挙がっていたのですが、それはどういうつながりがあって実現したことだったのですか?


山崎監督:それにはプロデューサーの小山内照太郎という人間の存在がありました。彼とはそれこそあなた方くらいの時代から友達だったんですが、彼はフランスに行き、僕は真庭に行き、みたいにずっと別々の生活を送っていました。

彼は彼でフランスで20年近く、色々な映画のネットワークを作りながら生活していて、フランスでも上映してほしいとか色々相談していたら、「じゃあ良い映画にしよう」と、久しぶりにそんな話になりました。

この映画の編集の過程では色々なことがあって、最終的に2年半かかりました。その中で、もうどうにもこうにもいかない、これはトリュフォーの編集のヤン・ドゥデさんに相談するしかないということになり、小山内さんがヤンさんに一度観てほしいとお願いしたところ、「お前たち!これは面白いから、これをこうしてこうしろ!」と、僕たちが1番困っていたことについてぶわーっと言ってくれて、なるほど!ってことで。それに沿って編集していくと、だんだん良くなっていくことがわかりました。

ヤンさん自身は若くしてトリュフォーの現場に抜擢されて、そんな彼が気に入ってくれて、これはもう下手なものを作れないな、と。だからとことん良い映画にしようと編集しましたね。


シネ・ヌーヴォ 山崎支配人:ちょっと補足すると、小山内さんと弟は京都国際学生映画祭を学生時代に一緒にやっていた仲間なんだよね。出町座の田中さんとか映画プロデューサーをやっている人とか、その時からつながりがあった人たちが、今もまだ映画業界にいるっていう感じだよね。

山崎監督:そう。大手のプロデューサーとか国際的に評価され始めているプロデューサー、監督もいて、みんな京都国際学生映画祭の立ち上げメンバーなんです。何人も映画制作に関わっているという結構希有な世代かも。

山崎支配人:映画チア部みたいに、大学もバラバラな人たちが集まっていたっていうのは、今話を聞いていて近いなぁって思った!

チア部:へぇ~~すごい!

山崎監督:そんな感じで、他の大学の人たちと「映画」という共通点だけをつながりに学生映画祭をやっちゃおうと思って始めたのが京都国際学生映画祭でしたね。


チア部:私たちくらいの年の頃から、映画のお仕事をしたいと思っていましたか?


山崎監督:その当時色々な人に話を聞きに行っている中で、できるかも?みたいなのはありました。
今一線で活躍している50、60代の人たちって、それこそ学生映画出身の人がとても多くて、そういう人たちから話を聞くと、とにかくやるしかないと思いました。

チア部:今回の映画を、16mmフィルムで撮影しようと思った理由を教えてください。

山崎監督:フィルムで撮影したいというのは毎回思っています。コストや技術のことを考えるとそう簡単にはできない。ただ今回は、調整してようやく実現させることができたという感じです。とても嬉しいし、やはりフィルムは良いなと思いましたね。

チア部:監督にとってフィルムの良さとはどのようなものですか?

山崎監督:僕が観ていた面白い映画ってやっぱりフィルム映画だったんですよね。フィルム映画を観て、映画を作りたいと思いました。だから、フィルムで映画を作るに越したことはない。
一見、生々しい場面をフィクションとして閉じこめられるというか、フィルムにはそういう効果があると思います。


チア部:映画の中で、山吹が図書室で読んでいた本が宮沢賢治の小説でした。彼女が読んでいた本に対して、監督のこだわりがあったのか気になりました。

山崎監督:特に何でもよかったと言えば何でもよかったんだけど…。山吹はどういう本を読んでいるんだろうと考えた時に、地方で何か表現するということをしていた人がまさに宮沢賢治であり、ある意味、宗教性や芸術性という点も含めて山吹とある意味リンクするな、と。山吹が小難しい本を読んでいるのも何か違うなって思ったんですよね。『銀河鉄道の夜』で、カンパネルラが死んだということと、『やまぶき』でお母さんが死んだということも重なって、その本にしました。同じように歩もうとしていた人が突然いなくなってしまって、自分一人で生きていかないといけないという心情。

チア部:他に、映画の中でこだわったシーンはありますか?

山崎監督:どのシーンも勿論こだわったのですが、やっぱりチャンスですかね。韓国人である彼が、母国ではない場所でどういうことを考えているのか、そもそも彼はどのような人なのかということは、チャンス役のカン・ユンスさんと一生懸命考えました。なぜ彼は真庭市にいるのか、過去に何があって今こうしているのか。事前に準備するのではなく、現場で、確認して繰り返し練習してということをしたのを覚えていますね。特に、チャンスと山吹の主演2人に関しては、相談しつつ一緒に人物像を作り上げていきました。

チア部:監督はどのような子ども時代を過ごされましたか?

山崎監督:それは姉に聞いてもらったほうがいいかもしれないけど…(笑)。
ざっくり言うと、普通の家とはちょっと違ったかもしれない。父がシナリオ学校という映画の脚本家の卵を養成するような学校で働いていて、20代ぐらいの学生たちを家に泊めるんですよね。それで、酒を注いでくれとか言われて彼らに夜に起こされたりして…(笑)。
そういう大人たちを見てきたから、これが大人なんだなっていう風に認識して育ちました。普通の会社員を見て大人と思うのではなく、酔っぱらって好きなことを言ったり芸術について熱く語っていたりする人たちを見て、こういうのが大人なのかと錯覚してしまった。

チア部:学生時代に観て影響を受けた監督や映画はありますか?

山崎監督:影響を受けたのはゴダールです。それは、もう彼が亡くなってしまったから言おうと思って。それこそ高校生の頃に姉と一緒に観ていました。

山崎支配人:私の部屋で、VHSを借りてきたのを観たりだとか…。

山崎監督:中学生や高校生の頃、親に連れて行ってもらったり友達同士で娯楽映画を観に行ったりっていうのは時々していました。でも、ゴダールの映画はなぜか観る機会があって、これ映画なの?って思ったんです。これが映画なら、もしかしたら作れるかも…?とも思った(笑)。これも大きな錯覚でした。

もちろん他にも色々な作品があるし色々な監督もいるんだけど、今はゴダールと言いたいという気持ちです。

チア部:特に、ゴダールのどの作品に影響を受けましたか?

山崎監督:観た作品の全てです。(笑)


チア部:学生におすすめの映画があれば教えてほしいです。

山崎監督:相米慎二!『あ、春』、『夏の庭』、『雪の断章』、『魚影の群れ』も面白い。

山崎支配人:私は『光る女』が好きです。

山崎監督:観れない作品も多いからなぁ…。

山崎支配人:『セーラー服と機関銃』が一番有名かな。
相米慎二の作品は、この間ヌーヴォでも没後20年企画で上映しました。

山崎監督:映画ってこんなに面白いことができるんだっていうのを教えてくれる監督の一人ですね。


チア部:シネ・ヌーヴォで『やまぶき』を観るお客さんにメッセージをお願いします。

山崎監督:主人公の山吹は、大阪の都会とはかけ離れた山の谷の地域で暮らす高校生です。若者たちは、これからどう生きていくのか、とても悩んでいると思うんですよ。僕たちの頃より悲惨な状況の中で、僕自身も2人の娘たちがこれからどう生きていくかとても心配です。子どもや若者たちが少しでも生きやすい、普通に頑張れば安心して生活できるような社会にならないとな、と思います。
今は一部の人たちが裕福で、大多数の人はそうじゃない。そういう状況を仕方がないと諦めるのではなくて、それに対する問題意識を共有できないかと思いつつ、1つの映画としての面白さも大阪の人たちに受け止めてもらいたいという気持ちがあります。生まれ育った大阪で、観てもらえるのが楽しみです。

『やまぶき』公開記念

1日限定 特別上映『ひかりのおと』『新しき民』
 11/11(金)
17:30『ひかりのおと』
19:40『新しき民』
各回上映後、山崎樹一郎監督トーク
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/yamasakijuichiro2022.html

『やまぶき』

11月5日(土)より渋谷ユーロスペース、11月12日(土)より大阪シネ・ヌーヴォ、京都みなみ会館、元町映画館、ほか全国順次公開

監督・脚本:山﨑樹一郎
出演:カン・ユンス、祷キララ、川瀬陽太、和田光沙、三浦誠己、青木崇高
黒住尚生、桜まゆみ、謝村梨帆、西山真来、千田知美、大倉英莉、松浦祐也
グエン・クアン・フイ、柳原良平、齋藤徳一、中島朋人、中垣直久、ほたる、佐野和宏
プロデューサー:小山内照太郎、赤松章子、渡辺厚人、真砂豪、山崎樹一郎/制作プロデューサー:松倉大夏
撮影:俵謙太/照明:福田裕佐/録音:寒川聖美/美術:西村立志/助監督:鹿川裕史/衣装:田口慧/ヘアメイク:菅原美和子/俗音:近藤崇生
音楽:オリヴィエ・ドゥパリ/アニメーション:セバスチャン・ローデンバック/編集協力:ヤン・ドゥデ、秋元みのり
製作:真庭フィルムユニオン、Survivance
 
配給:boid/VOICE OF GHOST
 
2022年|日本・フランス|16mm→DCP|カラー|5.1ch|1:1.5|97分

© 2022 FILM UNION MANIWA  SURVIVANCE
 

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