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あの失敗……ってアレ?

あの失敗があったから……

今日(こんにち)も大失敗の最中な訳である……

(多分。)

これ以上になんと言えようか?

そもそも人は、生まれてくる時点で既に失敗していると言われている。

私は仏教徒でもキリスト教徒でも無いというか、とにかく教徒ではない(崇め奉っているのはお猫様のみのみキック)ので、『輪廻転生とは〜』等とは全く語れないのだが、一応『業』があるから生まれて来てるとすれば、『あの失敗(どっかの前世の業。覚えてもいねぇ)』があったから『生まれてきた』とも言えるっちゃ言える。

だがしかし、

私という人間がこの世に『生まれてきて良かった』のは『極々部分的』にでしかなく、ある視点(例えば私に無意識に踏み潰されたアリetc)においては、私は『お前さえいなければ……』的存在だった可能性の方が大幅に高い……が、そのアリも『生きてたかった』のかは分からない。

『生きてたかったに決まってるだろう!』という方がもしいらっしゃれば、『アリと間違いなく意思疎通できること』を私にハッキリと示し、私を納得させて欲しいものだ。

そもそも、生きてたくて生きてるのかみんな?

例えばだが、

あの失敗があったから生きてる

とか言う戯言は、

単に死に損なっただけ。

とも言い替え可能。でも別に死に損なうのが(割愛)……なので、

失敗&成功

それらが対なるものであろうというのは、思い込みの、妄想の、願望の、ひまつぶしである。

多分。

因みに、ひつまぶしには食べる順番というのが一応あって、『あ、しまったもう少し後から茶漬にすれば良かった。既に味に飽きてきた』ということに、私はよくなる。

そして、その経験は割と生かされないことが多い。

しかし、ひつまぶしを食べれる財力があるのだから失敗したところでどうってことはない。

しかし、やはり美味しく食べたい。

だが失敗からまた新たな失敗を私は重ねてしまう。

そんなに毎日食べてるわけでもないから『あの失敗』は、次に食べる頃(一年後か半年後くらいかなぁ?)には完全に忘却されているという『失敗』と化してしまうのだ。

時間経過という魔物!

なので、そのうち美味しく食べられることがあったとしても、『あの(数々の夥しい)失敗があったから』

……とは、恐らくならず、

成功したとて『偶々です🌵』と言って、『あの失敗✨ガー』と云えた筈のその機会を逸するのだろう。

お粗末様でした。




「こんなとき、どんな顔をすればいいのかわからないの」 ↓ ( ˶ ❛ ꁞ ❛ ˶ )