「悟り」,「絹のハンカチから雑巾に」;R2-7-20、月

ラジオ第2から流れる声、ラジオ・アーカイブス 再放送の途中から

作家・保阪正康,ゆえ、耳を傾けた。まず、藤山愛一郎自身の声で若いころの話から。藤山コンツェルンを築いた藤山雷太(同墓)の長男として生まれる。http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hujiyama_a.html

在学中にTBで7年もの療養生活を強いられ、この体験から「悟り」を得たとの保坂氏コメント。美術絵画を愛し、自らも絵を描く「チャーチル会」にも入会。書籍絵画など多くの絵画は、ホテルニュージャパンの火事で焼失。

政界進出後、多額の資金をつぎ込んでコンツェルンも解体されているから、その評価は複雑だ。

還暦の時 岸さんに請われて入閣、この際評論家・大宅壮一の言葉がズバリ指摘している;
「絹のハンカチを雑巾にする」、

そして、全財産を失って井戸と塀しか残らない「最後の井戸塀政治家」などと言われた。

「わたしの自叙伝」(1980年1月17日放送) ノンフィクション作家・評論家…保阪正康, 【司会】宇田川清江
藤山愛一郎の1回目。今回は昭和55年に放送された「私の自叙伝 闘病・外遊の青春」を紹介。藤山愛一郎が82歳の時の放送です。自身の慶應義塾・普通部で学んだ頃のことについて、勉強だけでなく絵画や文芸など芸術活動に積極的にかかわったことを語っています。また学生時代に外国を旅したことや、そのご身体を壊して6年間も闘病生活を送ったが、それらのこと全てがその後の人生を開いて行(い)ったことを語っています。

私ごときど素人がコメントできる立場にないけど、政治の世界に「雑巾」はいらない。もし敢えて必要とされるのなら、強大なバキュームカーだろう。ドロドロした世俗の利権がらみの諸問題とは、いかなる手段をもってしても、先ず無理だろう。

それゆえ、屈原の「漁父辞」再読を  https://manapedia.jp/text/1976

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