図書館にて;模索、、;R3-7-9, Fri. free

休日となった金曜、10時に図書館へ歩く。近所のコンビニ前の教室入り口では、オバサン軍団のお喋りが響く。バカでかい笑い声を聞きながら、彼女らの逞しさとストレス対策の巧みさに感嘆する。

20分ほどで、汗だくになる。駅南の施設に入るとエアコン完備で、異次元の世界になる。汗を拭きつつ、水分補給の大切さを思う。

入り口の体温測定は、36.8℃。冬には36.0℃前後で、身体の調節機能に敬意意を示しつつ、座る場所を確保する。

脳神経関連の書を数冊探し、ふと雑誌書架でNewtonの8月号を目にする。タイトルは宇宙のナントカだったが、パラパラとめくると、エリクソンの言葉にぶつかった。偶然は必然に繋がる、、

発達心理学者・エリクソンは、「Generativity(ジェネラティビティ)」といふ言葉で、壮年期以降の変化を理論的に説明している。

特に、老年期以降がポイントだろう。「Generativity」は、次世代への移行に際して人々を育み知識などを伝えていくことらしい。「世代継承性」と訳されているが、エリクソン自身も「Generativity」の言葉に葛藤があったようだ。  >> http://shift-inc.co.jp/gtl/generativity/ 

上記サイトは、ちょと読みにくいが、示唆に富んでおり、時間を作って読む込む価値がある。

Ericsonといへば、「アイデンティティ」が真っ先に思い浮かぶ。これも彼の造語(後述のモラトリアムも)とのこと、「自己同一性」と訳されている。

人生は変化の連続である。自分を模索するモラトリアムを経て、いわゆる「アイデンティティ」の確立?が目標となるけれども、実際には何度も変遷を繰り返す。

壮年期に実績を積み重ねてきた「成功者」の裏側には、自己陶酔・あるいは固執がみられる。両者のバランスは、良くも悪くも崩れ去り、変化に対応できるか否か、、 人生とはこうしたステップの繰り返しなのかもしれない。

Ericsonの最終時期、老年期は、「総合」と「絶望」がキーワード。 「総合」とは、自分の人生を受容できることであり、同時に尊厳をもって死を迎えることができる。 一方、「絶望」とは、残された有限の時間内で「アイデンティティ」も混乱してしまうこと。 両者を同時に意識して生活できるだろうか? 有限あるいは無限の区別さえわからず、異次元の世界に入り込むリスクあり。 現実とは、冷酷な3次元の世界であり、ここであれこれ考えるのは???

かように「模索」とは、非生産的になってしまう。考えるものではなく、「感じられる」能力が必要なのだろう。コーヒーブレイクでボケ防止のトレーニングみたいなものかもしれない、、、


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