十日恵比寿
三時を過ぎて薄く漂う雲も影無く冷たい低気圧とともに灰雲りの団雲に駆逐されてしまった。
海老の頭のような姿を示していた空は帰りには跡形も無くはるか北の空に垂れ籠めた屋根上に僅かな晴れ間が垣間見える程度に吹いてきた。
早めに外回り用事を済ませて正解だった。暗い夕闇が訪れるのにそんなに時間はかからなかった。
キッチンのレンジフードから隣人のキッチンから珍しく話し舌を巻いている奥方の声が冷たい風に乗って聞こえてくる。
アチマリカムと唱えていた声も隣人のレンジフードから漏れたのだろうか。家内より壁越しの空間に影響を与えてしまっているかもしれない、とそんな可能性も考えながら、あじのシュミた鰤大根を煮ていた。
辺りは住宅街で静かだ。関西地方では十日に恵比寿天をお祀りする習慣があるらしいが関東では二十日に恵比寿天を祀る習慣がある家庭が多いらしい。鯛をお出ししておそなえしたりすると良いらしいが、時すでに遅し昨日から決まっていた鰤かまを大根と炊くことにしていた。それでも魚である点でギリギリ合格にしてもらえるらしい。商売人でもないので肩苦しく思うこともない。恵比寿天を祀っているわけでも無く御供えする棚もないが、年始に七福神を廻ろうとしてすでに6箇所巡ったので恵比寿天を祀っている神社にもお出向きしたのでその神社様を思い浮かべて想像でお参りした。
今日の外出ではそれらしき祭りもみられなかったが、いつの間にか近くにある地蔵菩薩像にカップ酒や果物等の御供えがしてあることに気付いた。
空にはザリガニとも海老と龍の頭だったらいいがそれとは程遠い雲景が見えた。
地蔵菩薩。
年始の寺参りで年運表を見たところ芳しくない黒星★だったので縁起を担いで星供養なるものに申し込んできた。
何かお祓いでも有りや否やと思いきや、大日如来様に御灯明をあげて、脇侍の愛染神楽明王さまに手を併せて, 光明堂にある三体の仏様をめぐり終わっても一向に呼ばれる気配もない。待っている人もいない。窓口で事の旨を尋ねてみると何と言うことはない。受領したお参り状の半紙に包んだ曼荼羅図のようなものに氏名と年齢が毛筆でしたためられた包を自宅の南向きの明るい所に貼ってお参りすれば良く、実際の星供養は2月3日から2月9日の7日間朝九時から光明堂で執り行われるらしい。今日ではなかったのだ。
供養後に住所に郵送された御札を受け取れば良いらしい。
ということで指示通りに行ったのだが同時にお戻し行く義務と我の氏名と年齢を目の当たりにするという微かな緊張が生まれてしまった。
自分のフルネーム満年齢が大きく毛筆で描かれた紙を目にすることは普段では起こり得ない事態だ。
最初は目を背けたいような驚きと現実を直視出来ない不覚悟の意識が生まれ、普段ない出来事に戸惑いを覚えた。
しかし同時に、こうでもして自分の置かれた旅路のマイルストーンを確認すること、これは私にとって必要な儀式であるように思えた。
もとの自分に立ち返りただ進み続けるだけではなく全体を俯瞰して立ち位置を調整するべきときに来ているのではないかともおもえた。私が現実誰で何時を生きていて世間で言うところの大体何歳くらいなのか、呼ばれることもないフルネームを意識して過ごすのは自分にもどる事でもある。
人が作り出した仏教キャラクターによる占いなどは信じてはいないが、弘法大師が伝えた真言密教の秘法と言われれば、無視するわけにもいかない。三筆言われた弘法大師の書筆を展示で拝見致した事があったが、定規を引っ張ったように真直ぐの重心違わず迷いなく絵のように太い筆跡で記された掛け軸は判読不可能だが、恐るべき霊力を備えた魔除け的なものだと分かった。
帰って計都星というものはインド占星術でケートゥという星に当るものだとわかったがそれ以上はわからなかった。
地蔵菩薩を拝むと良いらしいことが分かり、どこの地蔵様が良いのか知っているものをピックアップしたが、何処の地蔵様でも拝むとよいわけでもないと知っていたので、今日見た其れは屋根も無く祠もないので、拝む気になれないでいるものだ。以前お参りしたお地蔵様は何処のお寺だったのか忘れている。
今年は甲辰年で甲辰年で無造作に形整わず生い茂りくる草葉が乙巳年で形として見えてくるというような意味で下準備の性質をもった歳であるという解釈が占い師水晶玉子さんの関連記事に出ていた。
マヤ暦では今、原点に立ち返る期間のうちのさらに青い嵐の期間にあたっている。芸能人でいうとホンジャマカの石塚さんが青い嵐に入っているらしく、美味しい料理を作ったり共に食べたりすることで力を回復出来る星であり、よく聞くのが良きにつけ悪しきにつけ周囲を巻き込んで行くパワフルな力について言及されている。
しかしここは謙虚に過ごすべき期間とも言えるのでお正月に食したご馳走から一息つき、粗食に戻る傾向になりつつある。梅干しと海苔茶漬けとかが無性に現状にマッチしていて美味しい。
第二弾の田作りを変味で作ったりしている。
基本に立ち返る時は良くもやしのひげ根を取って茹でもやしを作ることにしている。
かの有名なパティシエであるマカロンの名手であるピエールエルメさんは、パリにATELIERを構えて菓子の構想を値ってスケッチしたりしてつぎの作品の想像を行なっているそうだが、幼きから美味しい菓子の数数馴染むも、立場を得た現在は敢えて時に不味いものを食する事にしているそうだ。
そうすることで本当に美味しいものの有難味を実感できると言うことらしい。
其れに感動して私は時に初心に帰るために安く面倒なもやしのひげ根を一心不乱に取って旨味を味わうという儀式行なっているのだ。
〜〜続く〜