本日分のゲロ

母親が仕事を辞めて海外に移住した。

きっと、もう数える程度しか会えないんだろうなと思ったらなんか無償にさみしくて、母が飛び立つ2週間くらい前から頻繁に会っていた。

ごはんを食べて、話して、一緒に眠った。

話せば話すほど、私と母はどうしたってどうにもならないことを、ただ思いしらされただけだった。

兄が離婚して、兄も兄嫁もそれぞれ恋人ができた。

そうすると子どもが重荷になったようで、
兄夫婦は母にすべてを押し付けていた。

母は甥だけを可愛がり、
姪にはきつく当たっている。

歴史が繰り返されている…!!!!
私はそう思いましたね。

私の母は私が小5になったあたりから彼氏(のち再婚)ができ、帰ってこなくなった。
中1から母の再婚相手にぶん殴られるようになった。

「お前のせいでお母さんと喧嘩してセックスできなかったから、代わりにお前が相手しろ」と服の中に手を入れようとしてきたので、逃げようとしたらトンカチで殴られそうになった。

それでもなんとか逃げて母親にチクるも言われたのは「嘘ついてるんじゃないかなと思ってる」

お風呂上りにリビングにいたら「成長したな」と胸を触れたこともあった。
もちろん、即母に訴えたが「ブラジャーつけずにうろうろしないで」的な注意をうけ、かなりきつめのスポブラを買い与えられただけだった。

ながいあいだ、だーれも助けてくれなかった。

「お前がいるとお母さんとうまくいかないからもう帰ってくるな」と言われ、平日10時頃の駅のホームで殴られた。
スーツの男の人が間に入ってくれたけど母の再婚相手が「こいつは娘だ!」と言ったらいなくなってしまった。

帰ってくるなと言われても、
お金ない。友達の家に転がり込むわけにもいかない。行く場所なんかない。

朝、駅のトイレで時間を潰して、10時になったらブックオフで立ち読みして、疲れたらトイレに行って休憩して、を、母の仕事が終わる19時まで続ける。

こんな日は数えきれないくらいあった。

再婚相手が戻ってきて何されるかわからないから、母がいない間は家にはいられなかった。
だから長期休みが死ぬほど嫌だった。

なんの用もないのに毎日7:30に家を出て、19時まで時間を潰さなきゃいけなかった。

売春しようとか、非行に走ろうとかにならなかったのは
私がニキビ面のデブスだったのと金持ち学区だったため不良がいなかったからだと思う。

不幸中の幸いである。

いやあ、図書館は本当によかった。
涼しくて、水が飲めた。
本もたくさんあった。

現実の私はニキビデブの家(ほぼ)なき子だが、
図書館に行けばホグワーツ魔法魔術学校の生徒になれたし、
ライオンと一緒に魔女を倒した。

出会ったのが非行ではなく本で本当によかった…

このような地獄が終わったのは中3の9月頃だった。

再婚相手に包丁を剥けられたとき、
もうこの地獄はそろそろ終わりにしないと、
地獄が終わる前に自分が死ぬ!!と半狂乱ではだしで家を飛び出し公衆電話から警察に電話。

覚えている。
「私は家に帰らなきゃだめですか?」と聞いたら電話口の人が
「そんなことないからそこで待っててね」的なことを言ってくれたのだ。
当時はそれでもまだ信じていなかったが、本当だった。

待ってたらパトカーがきて、警察署に連れていかれた。
全身の写真を撮られたが、デブだからなのかあれほどぶん殴られたのに痣等あまりなく、腕のリスカ痕だけがしんどいことの唯一の証明だった。

母親が来て「もうすぐ旦那も来る」と言ったら
警察のおじさんがぶちぎれてくれた。
「なんでここにいること話すんだよ!!!」と母を怒り、
私は別室にいきそのまま施設に入った。

3か月くらい入っていたと思う。
幸せだった。誰にも殴られる心配がない生活。
みんな、こんなのが当たり前なの?ずるい。と思った。

保護施設に入所してもなお母は離婚しなかった。
担当の人には「レイプされたわけでもないし、一人暮らしさせてもらえるわけだし、そろそろ納得してもいいんじゃないか」と言われた。

面会に来た兄には何をされてきたか説明したあと「で?」と言われた。

母と暮らしたかった私は、傍から見たらわがままに見えたみたいだった。

誰も優しくなくてすごかった。

安全で温かい場所にいるくせに。私は3年間も、殴られるかも…レイプされるかも…とおびえながら眠りにつく日々だったのに。

つらかったね…くらいは言ってほしかった。

しかし高校入試も控えており、ごねていられず
母離婚せず、私が一人暮らし、という形でおさまった。

中3の終わりから一人暮らしを始めた。やっと自由だった。
でもお金は常になかった。
携帯、定期、食費、雑費、衣服代を月10万円のバイト代で賄っていた。
母は会えば「家賃はらってやってるのに」と常にイライラしていた。
家に帰れば明かりがともっていて、ごはんがあって、清潔な衣服がある
そんな環境は私には贅沢品で、ちょっとでもうらやましがると
わがままを言うなと兄も母も言った。

※ちなみにこのとき兄は父の金で大学生活を謳歌していました。

高校三年間は常にお金がなかったが、
殴られたりレイプされたりする心配をしなくていいだけ幸せだった。

大学生になり兄夫婦と住み始めたが、やがて兄に家を追い出されて、友達の家に転がりこんだ。
最終的に彼氏(今の旦那)が「一緒に住もう」と言ってくれた。

そしたら今度はやっと離婚した母が一緒に住もうと言ってきた。
離婚原因は磯野貴理子さんと同じ。

バカな母親。心の底からそう思った。
大事にするものを間違えたんだよ、あんたは。

自分がポイしたものが、自分を助けてくれるわけないじゃない。

もちろん断った。
「昔あれだけ一緒に住みたいと言ってきたのに!裏切者!こうなるから私は離婚したくなかった」
と怒り交じりに言われた。

子どもにとって母親は世界だ。
大人になるにつれて大事なものが増え、
世界ではなかったことを知るのだ。

私をひとりぼっちにしたくせに、自分がひとりぼっちになったらすりよってくるなんて。
しかも裏切られたモードに入るなんて…我が母ながら厚かましさが信じられなかった。

兄も、私が中2くらいのときに一度は再婚相手を詰めてはくれたが、
母が離婚する気がないと知るとあきらめたのか以降一切助けてくれなかった。

友達には、そばにいてくれる親がいるのに、
なんで私には誰もいないんだろう。
どうして母親ですらそばにいてくれないんだろう。
本当に寂しかった。

これらをポストした際、家庭環境悪いのになんで家庭をもつんだろうと引用がきたことがある。
本当になんでだろうね。

私、母親のこと一応嫌いじゃないんだよ。

母親が再婚相手に出会うまでは、
仕事後の母親を駅まで迎えに行って、
帰り道にアイスを買って
はんぶんこして食べながら帰宅する幸せな日常も確かに存在したし、
休みの日にはホームセンターまで歩いて行ってお花を買ったり、
モールに行って洋服を見たりした。

悪さをしては週1くらいでぶん殴られていたが、それでも「大好きなママ」だった。

でも再婚相手に出会ってから、休みの日は彼に会いに行っていないか、
会えなくて不機嫌かの二択になった。

もう今年で27歳なのに、私はいまだにママが恋しい。
ゴミに恋をする前のママに会いたい。

でも移住先にいるのは元再婚相手。
きっとまだ好きなんだろうな。

母のなかで私は、永遠に捨てることもできない大型家電くらいの立ち位置なんだと思う。

兄が自分の娘を母に殴られてキレていたが、私は言ったはずだよ。
お母さんに子育ては無理です…と。彼女に女の子は可愛がれません…と。
実の娘である私ですら、再婚相手以下、兄以下だったのに、孫なんてどうなると思う?

案の定甥っ子には優しく姪っ子には厳しい育児を繰り広げている。
兄も兄嫁も母に怒っているが私から言わせればあんたらは母と同じくらい最低なんだよ。
子ども二人を育児不適合者に無理やり預けて、お金も出さず、文句だけ言う。

母も大好きな息子の頼みだからと言って、苦手な育児引き受けて、案の定被害者面。
「お兄ちゃんが離婚したせいで孫の面倒見なきゃいけなくて早期退職して…」と言っている。

私だって人として欠陥品だ。
偉そうなことなんて何も言えないけど、私はただの一度も
「お母さんのせいでこうなった」
「お兄ちゃんがたすけてくれなかったから」
と伝えたことはない。

何度もそう思ったけど、そんなこと思ったって私はどうにもなれない。
だれも責任をとってくれない。私がどうにかしない限り私はどうにもならないのだ。
…まあ再婚相手がいなければ…て無駄なタラレバはずっっっと抱えてるけど。

私の今の状況はすべて私のせいであり、私の努力で、あと周りの人の助けのおかげだ。
家族には恵まれなかったが、それ以外の親しいものすべてに助けてもらって生きてきた。

でも兄も母もずっと誰かのせいにしている。

はあ…
母とおとまりしたときに
「お母さんもそうだったけど、お兄ちゃんもなんだね。恋人ができたらこどもなんてどうでもよくなっちゃうの?」と聞いてみたが
「…はやく寝て」と言われて終わった。

お母さん、教えてよ。もう恨んでないよ。
今楽しいし、子どもは可愛いし、旦那はいい奴だよ。
10歳あたりで急にひとりぼっちなったのに、
今では大事な友達もいて家庭もある。
私めちゃめちゃラッキーだし、もういいから
許してあげるから教えてよ。
なんで帰ってこなかったの?
なんで離婚してくれなかったの?
私より男が大事だった?
子どもの優先順位ってそんなに変わるの?
お母さんの愛情に比べたら住宅ローンの変動金利のなんと安定していることか。

てか!!!!!!!!!!!一回くらいちゃんと謝れよ。
私多分それで許してあげられるよ。

うーん…やっぱり無理かも…兄にも母にもだいぶ引いてるし
結構距離置きたい。
3か月に一回くらい「元気?」てやり取りする程度でいいかも。
というかそれが精一杯かも。

結局、私が当時のことにふれようとしても濁すばかりなのは
それなりにやましいからなんだよね?

私だって、人として褒められたもんじゃないからいいよ。
責めないよ。純粋に教えてほしいだけなんだけど。

でもこの手の話をふると母親は頑なに答えないし兄はいつまでも引きずるなという。

じゃあさ、じゃあさ、お兄ちゃんもさ、娘がぶん殴られたくらいで引きずらないでよ。

いいじゃん、レイプされたわけじゃないんだし。
そもそもお母さんに預けたのはお兄ちゃんなんだから。
私に言ったよね?女として生まれたことを後悔しろって。

娘にも言いなよ。
男の子に生まれてたらもっとかわいがってもらえたのにねって。
女だからいろいろ諦めて、飲み込んで、ひどい仕打ちにも耐えなきゃいけないんでしょ?

お前が私に言ったのはそういうことだよ。

え?もしかして娘は例外なの?娘は大事にされるべきなの?
でもあんた自身大事にしてないよね?
育児無理だから、恋人出来たからって母親に押し付けてるよね?

あんたらにだれかを育てるなんて無理なんだよ。
自分の細胞の成長体よりも他人を優先してる時点でそんな資格ないよ。

と、思うのです。

姪を見ていると小さい頃の自分を見ているようでしんどい。

しかも甥は母に怒られている姪を助けていない。
なんなら母と一緒になって責めている。
甥がそうなったのは誰のせいなんだろう。
恋人を優先した両親なのか、甥ばかり可愛がる私の母なのか。

そして姪からしたら私は助けてくれない大人の一人なのがまた苦しい。
でも私にそんなことをいう資格はないのだ。

かわいそう…と思っていいのは助けてあげられる人だけ。
傍観するだけの人間にせめてできるのは
自分が最低だということを自覚して、
一生その子の人生に口出しせず生きていくことだけ。

私自身、自分のことが信用できない。
好きな男ができたら息子を捨ててしまうのだろうか。
家に帰らなくなるのだろうか。
私が兄に対して思っていること達はすべて自分自身に返ってくるんだろうか。

立派な母親になろうとはおもっていないし
私には無理だと思う。
ただ、息子がもういいと思う日までそばにいてあげたい。

ひとりぼっちにするつもりはない。

今この瞬間も世界にひとりぼっちのこどもはたくさんいるんだろうな。
みんなよりはやく大人にならなければいけない子どもたちがみんな幸せな未来を迎えられるといいな。

私はいつまでこうやってぐだぐだnoteにかいているんだろう。
こんなこと旦那にも友達にも言えないんだ。
せめて誰も見てないかもしれない空間には全部吐かせてほしい。
またゲボするかもしれないけど、本日分はおわり。

アデュー


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