屍をだきしめるバンド、indigo la end


indigo la endというバンドを知っていますか。
 
ゲスの極み乙女。のボーカルとして知られる川谷絵音さんがボーカル、ギター、作詞、作曲担当として兼任をしている、日本のロックバンドです。
 
私は2019年10月26日、indigo la endのライブツアー「心実」大阪公演に参加してきました。
 
私はもともと、大森靖子さんや、銀杏BOYZのような、赤い炎に焼かれながら丸焦げになるラブソングが好きでした。
傷だらけの体を引きずり、血眼で叫ばないと、恋は恋と呼べない、と思っていたのです。
そうした激しいラブソングを聞いてばかりだったので、川谷絵音さんがボーカルを務めているバンドも、激しい曲調の「ゲスの極み乙女。」の方をよく聞いていました。
 
しかし私も成人し、なんとなく落ち着いてきたのか、
静かに恋をうたうバンドも徐々に聞き始めるようになりました。
2019年の5月ぐらいからindigo la endを聞くようになり、ゆらゆら揺れる青い炎も、激しい赤い炎と同様にうつくしいのではないか、と考えるようになりました。
 
こうして価値観が変化していくさなか、indigo la endが最新アルバム「濡れゆく私小説」を引っ提げたライブツアー「心実」を開催することになりました。
私は青く静かなラブソングを生で聞いてみたいという思いで、indigo la endのライブチケットを取りました。
 
チケットの発券日。
もともと良席より多ステ派なので、座席にあまりこだわりはないのですが、発券した時は驚きのあまりコンビニで奇怪なステップを踏みました。
なんと引き当てた座席が最前列ドセンターだったのです。
今まで数多くの舞台、ライブに参加しましたが最前センターを引き当てたことは一度もなく、このindigo la Endのライブに全ての席運が集中したのだなと思いました。
きっと、「インディゴのライブはお前の人生のターニングポイントになる」という神のお告げだったのでしょう。

とにかく私は、私の現場録に「川谷絵音の歌声を最前ドセンで聞いた」という歴史が刻まれることがうれしく、当日までルンルン気分で過ごすこととなります。
 
ライブ当日を迎えました。
京橋駅から会場の「Cool Japan WWホール」まで、「夏夜のマジック」を聞きながら、まだ夏のぬるさが残る秋風に髪を揺らし向かいました。

会場が近づくと、たくさんの青い洋服を着た女の子たちが開演を待っていました。
この子たちも同様に、川谷絵音の歌声によって青く染まった子たちなのだろうなと、親近感を覚えました。

物販で買ったツアーTシャツに着替え、川谷絵音ガチ勢に射殺されないか若干ビクビクしながら、最前センター席に座りました。

証明が暗くなり、青い光が私の頬を照らすとともに、川谷絵音さんがギターを提げて現れました。
あまりの近さに驚く暇もなく、川谷絵音さんは最新曲「心の実」を歌い出します。

私の目の前で歌う川谷絵音さんは、ほっそりした体に見合う繊細な歌声で、しかし力強くギターをかき鳴らしていました。
 
私はアイドルのライブに行った時はない声量を振り絞ってコールをするのですが、indigo la endのライブの乗り方はまったくわかりませんでした。

アップテンポの曲ですら、バラードのような湿気を含んでいるのですから。
一音一音、まるで目の前に相手がいるように音をなぞる川谷絵音さんの表情ひとつひとつに視線を奪われました。
それらを見逃していては、彼の歌を受け止めることができないように思いました。
 
結果拳を掲げることなく、微動だにせず、地蔵のように川谷絵音さんの歌声を聞き続けることとなりました。
そうして4曲目「はにかんでしまった夏」あたりで、私はあることに気付きました。

私は最前センターでじっと川谷絵音さんを見つめているのに、まったく彼と目が合わないこと。
彼が観客を見てはいないこと。
 
一体彼は何を見ているんだろう。

川谷絵音さんはスピッツが大好きで、indigo la endというバンド名も、スピッツのアルバム『インディゴ地平線』から取られています。
スピッツの曲の分析を細かく行った川谷絵音さんによると、スピッツの曲には「セックスと死」が描かれているとのこと。

スピッツの有名な曲「ロビンソン」にも、セックスと死が描かれているんだとか。
 
そんなスピッツが好きな川谷絵音さんもまた同様に、indigo la end の歌詞にセックスと死を描いています。

たとえば最新アルバム「濡れゆく私小説」の「花傘」では、
「君の裸に見合うような僕になれるかな」「お墓参り行けなくてごめん」とダイレクトに性と死を歌っているし、

「心の実」では、今目の前にいる「君」と、もうこの世にいない「あなた」を比較しています。きっと過去の「あなた」の死から抜け出せないまま今の「君」と対峙しているのでしょうね。

今回のアルバムだけではなく、今までリリースされた曲にも数多くの死が描かれているのです。

川谷絵音さんはたくさんの死した恋を描き、歌うことによって屍を抱きしめている。
 
だからライブ中の川谷絵音さんと目が合わなかったのかな。
indigo la endの川谷絵音さんは、私たち観客ではなくて、
無数に広がるたくさんの恋という屍に向けて歌っているから。

ライブの途中にその考えにたどり着いてしまって、より一層川谷絵音さんから目が離せなくなりました。
今、川谷絵音さんがどんな恋を見ているのだろうと、一曲一曲ごとに彼の視線の先を想像しました。


私はindigo la endのバンドに行って、初めて穏やかな恋をしてみたいと思いました。


激しくなくてもいい、傷つかなくてもいい。
ていねいに輪郭をなぞるような恋も、赤い炎と同じように焦げ跡を残すのだと知ったから。

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