推し変したらお風呂が楽になった

推し変してから、もうすぐ半年が経とうとしています。

わたしは現在、HIGH&LOWシリーズの轟洋介くんの中の人、前田公輝さんのオタクをしているのですが、半年前は別の方のオタクをしていました。

現在の私は毎日轟洋介くんのことを考えながらスキップをして通学路を歩くぐらいには脳内にたんぽぽが咲き乱れているのですが、
半年前の私はお経が流れる山で血眼になり彼岸花をぶった切っているようなものでした。

というのも、私が以前オタクをしていた声優Mさんと、私のオタクスピリットの形状の相性が果てしなく悪かったのです。

Mさんと私の軌跡について語りますね。

私がMさんを知ったのは、14歳の時です。Mさんは当時22歳。
当時女性向け恋愛ゲームにハマっていた私は、毎月発売される女性向けゲーム誌を購入していました。
そのゲーム誌の広告に、デビューして間もないMさんが組んでいたユニットの広告が載っていたんです。

今でも鮮明に思い出されます、あの広告。
みずみずしい笑顔でこちらを見るMさんの瞳に私の目はくぎ付けになりました。
一目惚れです。
この文脈、以前轟洋介くんについて語るブログで書いたような気もしますね。
恐らく私は視覚情報による刺激を人一倍受けやすい体質なようです。面食いですね。

それから私は7年間、絶やさずMさんの情報を追い続けていました。
一時期気持ちが離れかけた時期もあるものの、その間もMさんのTwitterはフォローし続け、彼がどんな役を演じているか、チェックし続けることになります。
Mさんの情報を追う、それは私の日常にナチュラルに組み込まれ、私の脳髄にはMさんが流れることとなります。

そのように体内にMさんが流れるまでに彼を応援し続けた私が何故、推し変してしまったのか。
その原因を探りながら、私の7年間を振り返ってみます。

まず、初めて広告を見たあの日には、Mさんの情報をとにかく得ようと奮闘しました。
当時私はスマートフォンも持っておらず、家庭内のパソコンも家族の許可を得ないと使用できない状況だったので、PSP(プレイステーションポータブルです。もうレトロゲームに分類されるそうで、時の流れを感じています)を家庭内のWi-Fiに繋ぎ、Mさんのウィキペディアを見るなどして、彼の情報を集めました。

まだ中学生だったので、彼の写真を見て鼻血を出す、YouTubeでMさん関連の動画を見てその尊さに涙を流す、ぐらいのヘボ活動しかできませんでした。
この時のMさんはまだ駆け出し声優で、アニメに役をもらって出演する、ということも少なかったです。情弱中坊の私はMさんの情報を軽く追うことしかできませんでした。

推し始めて3年ほど経つと、駆け出し声優だったMさんにも徐々に仕事が舞い込むようになりました。
多くのアニメ・ゲーム作品でMさんの声を聞くことができるようになり、メディア露出も増えました。
私も高校生になりスマホを与えられ、ソーシャルゲーム等でMさんの声を毎日聞くことが出来るようになりました。
Mさんは声だけではなくお顔も凛とした和美人だったので、彼の外見的魅力を拝むためにも、彼が出演しているアニメ作品のニコニコ生放送をチェックしました。「こんな美しい顔面をタダで見れる世界でいいのか???」とオタクに優しすぎるJAPANの未来に不安を覚えたほどです。

高校生になって使えるお金が中学時代に比べて増えてきたので、Mさんが載っている声優雑誌を買ったり、CDを買ったり、DVDを買ったり、そうして少しずつ部屋にMさん関連の品々が増えてきました。
棚に飾られるMさん関連商品が増えるたびに、好きな気持ちがどんどん降り積もっていき、ここに並ぶものが増えれば増えるほど、それらが私の気持ちの大きさを証明してくれるように感じました。

文明の恩恵にあずかり、TwitterでMさんを好きな方々とつながることもできました。
あの時の生放送おもしろかったね、あの雑誌のあのカットが素敵だったね、新しい作品に出るみたいだけど、チェックした?
共通の話題で盛り上がることが出来る彼女たちに出会えたことをうれしく思いました。まるで友達が出来たようですし、私自身も彼女たちを本当の友達だと思っていました。

このころのMさんはきらきらした笑顔で仕事を楽しんでいるように見えました。
そしてそんな彼を応援している自分自身が誇らしかった。私はこんなに仕事に対してまっすぐな、素敵なひとを応援しているのよ、と。

推し始めて約4年、私は大学生になり、よりMさんの応援にのめり込むようになりました。
大学生になってアルバイトを初めて、Mさんにつぎ込めるお金も増えました。
活動範囲が広がり、Twitterで知り合ったMさんのオタクと会い、ご飯を食べたり、カラオケに行ったりもしました。
出演アニメ作品をテレビで見て、彼が出ている生放送は欠かさずチェックし、関連作品が出れば必ず買う。彼がツイートすればリツイートし、彼の存在が広まることを願う。
もっと売れて欲しい。活躍してほしい。そのために私が出来ることって何だろう?この時の私は模範的なオタク活動をしていた自信があります。

棚に並ぶMさん関連商品は増え続け、ついには棚に収まりきらなくなりました。

そんな時、私は初めてMさんに会う機会を得ることが出来ました。
駄目元で応募した、東京で行われるMさんのトークショーのチケットが当たったのです。
私の家は厳しく、女の子がひとりで東京に行く、なんて親はなかなか許してくれませんでしたが、何度も懇願し、時間と場所を綿密に記入した企画書を親に提出することでなんとか許しを得ることが出来ました。余談ですがこの企画書文化は今も続いており、私は遠征をする際に必ず企画書を親に提出します。

ずっとずっと好きだったMさんに会うことが出来るのです。
どうしよう、何を着ていこう?どんな髪型にしよう?どんな目でMさんを見つめていよう?ずっと応援していたこと、どうやって伝えよう?
ショート寸前の頭で服屋さんへ向かい、とりあえず真っ赤なワンピースを買いました。
そのトークショーで担当しているMさんの役のイメージカラーが、赤だったから。彼の目に少しでも留まるように。赤。

真っ赤なワンピースを着た私は、バスに揺られ、ふわふわした気持ちではじめて東京の街に降り立ちました。

ここが東京!Mさんが住んでいると言うだけでスキップを踏みそうになりました。
彼に会えることがうれしくてうれしくてなりませんでした。

開演まで、Twitterで出会ったオタクの友達と遊ぶことになりました。
みなさん親切で、初めて会う私にもとてもよくしてくれました。
なにより開演前のそわそわした気持ちを持て余していたので、近くに寄り添ってくれる人間がいるだけで楽になりました。

開演の時間が来ました。あの日のMさんは真っ黒なトレーナーに黒のスキニー。つややかな髪を少し遊ばせて、指にはいつものシルバーリング。
息をのむほど美しかった。

これオタクあるあるだと思うんですが、「推しが存在している」ということを知った時の感動、物凄いですよね。
普段画面越し、紙越しにしか見ていない方が、目の前にいて動いている。私と同じ心臓をもち、同じように血管に血が流れている、同じ人間なのだということを実感する時の高揚感、計り知れないです。

トークショー、とても楽しかったです。

でもトークショーの途中に気付いてしまったんですよね。



彼が私から遠い人間だということ。


私の座席はかなりMさんから見て遠かったので、彼の目に私が入ることは無かったと思うんですが、でもこれ、物理的な距離がどうのという話じゃないんですよ。

例え私がセンター最前列に座っていたとしても、Mさんは私から遠いところにいる人間なんです。
私がどれだけMさんを好きでいたって、Mさんの人生に私が関わることは絶対にできない。

接触イベントがあるだろとか、視界に入る機械はいくらでもあるだろとか、そういう指摘があると思いますけどね、そういう話では無いんですよ。

彼にとって私は、たくさんいる「ファン」のうちのひとりなんです。彼にとって私は知らない人間なんですよ。

そういうことに気付いてしまったら、のどの奥に何かがつっかえているような感覚になり、鼻がつんとしました。
トークショー事態の内容は楽しいものだったので、周りの観客たちはみんな笑っているのですが、その中でポツンと私だけが涙を流し、Mさんとの埋まらない距離に打ちひしがれていたのです。

その日から、なんだかMさんを好きでいることが苦しくなりました。
義務感のようなものが生まれてしまったのです。「Mさんを応援しなきゃ」みたいな。
だって私の部屋にはあの棚があるんですよ。Mさんへの気持ちがぎっしり詰まったあの棚。私の数年分の気持ちがそこにあるわけです。
あの棚を見たら、もうMさんを好きじゃない自分なんて想像できないんですよ。Mさんを好きじゃなかった頃の自分には戻れない。

どうやって好きなのをやめたらいいの?

そう思いながら後りの3年間を過ごすことになります。

トークショーを終えてから、あんなにやさしかったTwitterのお友達とも、交流するのがしんどくなりました。
だってみんな、Mさんに会いに行って、しっかり感想を書いて、Mさんにお金を落として、Mさんに貢献して、今の私なんかとは比べ物にならないぐらい、「ちゃんとオタクしてる」んだもの。
私のこのずるずるになったモチベーションで彼女たちと話したら、彼女たちはきっと思うだろうな、「好きなのに会いに行かないの?」って。
友達にまでそんな目で見られるなんて耐えられないじゃないですか。

この時期、Mさんの仕事量はどんどん増え、ただの大学生の私には追いきれないほどになった、というのも「しんどくなった」理由の一つです。
自分が行けないイベントに他人が行っている。そういうイベントのレポを見ると心が押しつぶされそうでした。なんで私は行けないんだろう。なんでそこにいないんだろう。

なのでTwitter自体がしんどくなりました。
そうして他人と自分のモチベーションの差に落ち込み、Twitterから離れ、でも好きでいなきゃという焦りは募り、Twitterに出戻り、そしてまたTwitterから離れる。そんなことを繰り返していました。

そうして今年、2019年の年明けに、Mさんの主演舞台が開幕するとの発表がありました。
2019年の6月に行われる予定で、しかも私が住んでいる関西圏で、計6公演行われます。


ああ、終わりにするチャンスだ、と思いました。


頑張ってこの舞台全部見て、もし普通のファンに戻れたら、そしたら一生この人の事を好きでいよう。
もしまた彼との距離に落ち込んでしまうようだったら、彼を一切合切遮断して、この先は彼にとらわれず生きる覚悟をしよう。

そう思って6公演ぶんのチケットを申し込み、すべて当てました。
この時ばかりは本気で神様が見ていると思いました。

しかし公演の初日が近づくごとに私のジェットコースターのような情緒は不安定を極め、公演1か月前に脱輪した私は千秋楽のチケットを家の焼却炉で燃やしてしまいます。(気が狂っていたので初日では無く楽のチケットを燃やしてしまいました)
だって会いたくなかったから。あの「遠さ」にボコボコにされたくなかったんです。
でも私にもかろうじてファンとして残っていた部分はあったのですね。彼のパフォーマンスを拝みたい気持ちのおかげで、残り4公演のチケットはしっかり残していました。

そうして公演初日が近づいてくるわけですが、私はふと思うわけです。
Mさんにファンレターを書いたことは無いな、と。

書こうとしたことはあるのですよ。3年前も同様にMさんの主演舞台があったので、そのプレゼントボックスにファンレターを入れようとペンを握りました。
でも書けなかったんです。私の感情が1ミリでもMさんに届いてしまうのが怖くて。

私は極端にMさんに認知されることを恐れていました。

だって自分が気持ち悪い理想押しつけ型オタクだって知っているもの。私がMさんだとしたら、こんなふうに気持ち悪く自分語り長文を書いているオタクの事、気持ち悪いって思うもの。
そうして、書いては消し、書いては消しをくり返して、結局ファンレターを書き終えることはできず、彼が好きなブランドの財布だけをプレゼントボックスにブチ込み、私は3年前の彼の主演舞台を泣きながら見ることとなります。

そんな私がファンレターを書く。できるのだろうか。
いや、今の私の意思は固い。きっと書ける。

結局公演開始ぎりぎりまで会場近くのカフェで悩み、書けたのはたったの4行だけ。しかも当たり障りない「ずっと応援しています」という内容だけ。これがすごく難しいんですよね。自分語りをせずに「応援している」という事実だけ伝えること。

なんとか私のこの7年間を、たった4行に収めることができました。。
というか、4行に収めないといけなかったんですよ。だっていっぱい書くと気持ち悪いから。気持ち悪いオタクにならないためには己を殺すしかなかったんです。

ファンレターをプレゼントボックスに入れる手が、震えました。
ここにファンレターを入れたら、私の考えていることが、たとえ上辺だけでも、Mさんに伝わってしまう・・・なんとか、私が7年間応援してきたと言う事実だけは、あなたがすばらしい役者だということだけは、伝えないといけない・・・

なんとか、プレゼントボックスに入れましたが、公演が終わるまでずっと手の震えは止まりませんでした。
私がMさんに気持ちを伝えた、これが最初で最後でした。

公演が終了して、帰路について、また目頭がじんとして、一人で公園にて泣きました。
ファンレターを渡して、私の7年間が終わってしまったように感じました。


私、結局「模範的なオタク」には戻れなかったなぁ。


私は結局Mさんと自分の間の距離のバカデカさに落ち込んでしまうし、その負のスパイラルから抜けられない、ってわかったんです。
模範的なオタクになるか、Mさんを完全に遮断するか、私がとった答えは後者でした。というか後者しか無理なんですけどね。模範的なオタクになれるならとっくになってるし。なんで気付かなかったんでしょうね。単純にMさんのパフォーマンスが見たいから言い訳をしてるんですかね。自分のこういうところ本当に嫌です。


思えば私は7年間ずっとMさんに恋をしていたんですよね。


1年ぐらい前にMさんが雑誌のインタビューで言っていました。
恋愛について聞かれたとき、「仕事の邪魔にならない人がいいです」とか、「今は結婚することは考えてないです」と答えてたんですけど、その回答にひどく落ち込みました。
結婚する気はない?そんなのどこまで本当か分からないじゃないですか。
本当はMさんには仕事の邪魔にならない彼女がいて、もうずっとお付き合いの期間も長いとしたら?

MさんがTwitterで「京都にひとり旅に来ました!」と呟いた事があります。もしかして彼女と来ていたとしたら?

これは嫉妬です。存在するかどうかもわからない彼の恋人に嫉妬し、そして決して彼の恋人にはなり得ない自分の存在小ささに落ち込む。

もし私が彼の同業者だったら、何かが変わっていたのでしょうか。

そんなことを考えていたら悲しくて悲しくて、トークショーのあの日から、彼を思うと泣いてしまいました。ひとりになるとどうしてもMさんのことを考えてしまうんです。
毎晩、お風呂で泣きました。
Mさんの中に私と言う存在が欠片も住んでいないこと、それがすごく悲しかった。

勘違いしてほしくないのは、Mさんを好きでいてつらいことばかりじゃなかったってことなんです。
彼の演技が好きでたくさんの作品を見て、私の世界は間違いなく広がったと思います。作品が個人に与える影響の大きさを私は信じています。
彼に出会ってたくさん友達が出来て(今も交流が続いている人もいます)、いろんなところに行って、おいしいものもたくさん食べた。


好きだった7年間、確かに私は楽しかったんです。

ただ、そんなさらっとした楽しい気持ちを抑え込んでしまうほど、どろどろした嫉妬心と羨望が私を覆い尽くしてしまって、そんな私のオタクスピリットの形と、Mさんのめざましい活動範囲の広がりが合わなかったんだろうな、というだけです。

きっと、私だけじゃないんですよね、こうして著名人に言いようもない感情を抱えてしまう人。「模範的なオタク」になれなかった人。

模範的なオタクって何でしょうね。私は黙ってお金を落とす人間が一番正しいし、偉いと思う。

だから推し変した今は、前田さんには、できるだけ模範的なオタクでいようと決めています。
前田さん自身の事を知ろうとせず、ただ彼のパフォーマンスだけを追い続けるのです。
私が好きなのは「轟洋介役:前田公輝」だから。

だから前田さんご本人の事はあまり知ろうとしないでいます。そうすればもうお風呂で泣くこともないでしょう。


もう「話したこともない人の事で頭がいっぱいになってお風呂で泣く」なんてこと、したくないですから。



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