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ばあちゃんが死んだ

これはコーヒーの飲み過ぎ。胃の不調からくる気持ち悪さとダルさ。39歳にして未だに身体の使い方を間違える。熊本弁で「かんなし」(頃合いが分からん奴)。身体の声が聞こえとらん。というか無視してしまう時がある。何らかストレスを感じている時、誤魔化すために、身体を無視して飲んだりする。

そう言えば酒が辞められんかった時期、ばあちゃんに電話でしこたま叱られた。僕としては嫌な意識を小さくする方法として採用してたんだろうと思うけど、ばあちゃんは許さんかった。

耳に残るその声は今も抑止力になっとる。

厳しいけど愛情があったように思う。

人はいつも苦しい事にぶちあたる。

嫌な意識が湧き上がる時、誤魔化すためにあれこれやってしまう。

そういう事が必要な時もある。

でも出来れば対処できる方がいい。

いつも誤魔化して生きようとする僕を、ばあちゃんは分かっとったように思う。

あんまり誤魔化さんで済むようになりたい。

何を嫌に感じとるか知っていきたい。

ゆっくり対処できるようになっていきたい。

ばあちゃんのあの時の叱りが、ゆっくりとそこに近づけてくれていたのだと知る。

熊本から長野。

葬式からの長い帰り道。

「送る」ために必要な距離だと思っていた昨日の自分は驕っていたと思う。

最後の最後に大事な事を教わるための距離だった。

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