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のきした発見-神社というコモン-

古くからある神社や教会を調べると、ほとんどの場合、そこには水源があるそうだ。
水が出る所が、生きるために大切だったから、信仰の地になったのは想像出来るが、そこに、物語や形式などが加わり「神聖な場所」に作り上げてきた理由の一つに、そこが共有資産として守られる必要性があったという側面があるのではないか。
つまり、そこを私的所有にさせない防波艇としての神社であり、信仰であり、物語。
そうだとしたら、まさに現代まで、その防波艇は生きている。

今でもここには、地域の人が水を汲みにくる。
我が家も、ここの湧水を飲水や料理に使っている。
水を汲んだ人は、神社におぼしめしを入れる事になっている。
それは、お金を出し合って、みんなで所有している共同の資産。助かる文化。まさにのきした。
地域で掃除したり、祭りをしたりして、今もみんなで守っている。

資本主義システムは、商品が売れないと回らないので、こういった共同の資産は、邪魔なので、囲い込んで使えなくして、商品に変えてきた。
こんなに水が豊富な国で、買わないと水が飲めないのはそのためだ。

しかし、神社という防波艇は崩れなかった。
先人たちの知恵はまだこうしたところに、しぶとく生きている。
そのことを発見して感動した。
僕たちが社会を作り直すヒントが、まだまだ至るところにあるはずだ。

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