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時間はみんな、平等ではない~Time waits for no one
1日は24時間、誰でも平等に与えられていると子どもの頃に教わった。物理的にはその通りだ。でも、大人になった今は少し違和感を感じる。
例えば夏休みの初日から宿題を始める子と、8月31日になってから慌てて始める子でも、一日でさっと終わらせられる子と徹夜しても終わらない子では残された一日の、体感する長さが違うし、模試が全国ランキング1位の生徒と350000位の生徒では、入試までの時間は平等にあっても、希望を叶えるために必要な時間が全然違う(個人の能力にもよるが)。
福沢諭吉の名著「学問ノススメ」に出てくるように、人間が天に与えられた能力は、残念ながら平等ではない。平等ではないからこそ、人は努力する。努力するには時間が必要なのだが、その必要な時間は人それぞれなのである。
だから物理的な時間は同じでも、10分間で計算問題を何問解けるかのような能力は個人差があるのだから、やり方が同じで良い筈がない。
しかも短い時間で目標に到達したから、その後もずっとスマートに人生を歩んでいけるかというのは全く別問題だ。
オレは長い間、教育の世界に身を置いていたが、生徒も保護者も何事にも不安が大きいために、とかく群れがちだ。
ママ友もそうだし、マラソン大会で「一緒にゴールしような。絶対だぞ!」の類いもそうだ。
でも、言ってる子と言われてる子は体育の成績も先生の評価も違うのだから、その後に同じ結果が待っている筈がない。マラソンの順位は同じにできても、その後の人生まで同じにすることはできないからだ。
「一緒に合格しような!」と受験しても、当たり前だが枠がひとつならば一人しか受からない。変な友だち心を出して、ゴール直前に裏切られて揉める姿を何度も見たことがある。
まして今は自分を犠牲にして友だちを守っても、相手は大して恩義は感じておらず次の日には平気で裏切られるような、仁義なき何でもありの世の中だ。
二人のうち、どちらかしか評価されないとなれば、合格できないとなれば恩義も友だちもヘチマもないのだろう。
繰り返すが、自分に残された時間は物理的には友だちと同じでも「どう使わなければ目的は果たせないか」は一人ひとり全く違う。
過ぎてしまった過去は変えられない。流れた時間も戻りはしない。自分の(子どもの)人生だ。教えた子どもやその親たちが、悔いの残らない時間の使い方をしますように、そして夢や目標を達成できますようにと祈ることしかできない今の自分が、なんとも歯がゆい。
せめて、こうして新しく始めたブログ、この文章の意味が伝えたい人たちに、正しく伝わってくれることを願うのみだ。
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