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ジェンダーレスへの道~When the woman loves a man

昭和42年生まれのオレたちの世代でさえ、教育の中にも生活の中にも性別の差別、いや男女の"区別"が確実に存在し、その中で育ってきた。
ならばオレたちの親世代にジェンダー論争が通じる筈もない。言わずと知れた、あの東京五輪差別発言問題のことである。

辞める、辞めないとか誰がふさわしいとかは当事者に任せるとして、今までそういう教育の中で生きてきた昭和世代は大きな転換点を迎えていることは事実だ。
新しい時代に適応できる年寄りか、できない年寄りか。まさに代表して試されてくれているのがマスコミで矢面に立たされている人たちだろう。

そもそも、情報も学問も常にアップデートされているのだから、当然教育もその時代によって変わりゆくのが当たり前だ。
戦前の立派な兵隊さんを育成するための修身の授業や、気をつけ休め回れ右、前へ~進め!の体操の授業などは現在やればすぐにその意味合いを追及されて論議の的になる。今や教室やバスの座席、出席番号すら男女に分けていれば

「なぜ分ける?」
「なぜ男子が先?」

となる。

話題のオリンピックだって男女の種目がないスポーツはやり玉に挙がり、我らレスリングも慌てて近年になって女子を始めて生き残りを図った。
IOCも国際レスリング連合の理念も「男女平等」。だから天皇杯にどこのチーム出身が一番多いかの記事が協会のHPに上がった時、オレの前任校の関係者が男子5、女子6と偏りがなく最もIOCの理念に合致していると誉められたものだ(自慢で失礼)。

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