桃と父
父は果物がとても好きだった。
果物があればそれでいいと言うほど。
確かに美味しい果物を選ぶのが上手だった。
特に桃はかなり好きだったと思う。
若い頃から考えていた移住を果し、
東京から八ヶ岳に引っ越しても、
東京には仕事で良く通い、
高速だけでなく、母と一緒の時にはドライブも兼ねて下道も使っていたらしい。
たまたま通った道にそっとあった桃園でももを買おうと入ったのが私の両親ともも園とのお付き合いのはじまりでした。
試食をさせてくれるその桃園で、
父は相当美味しそうに食べたのだろう。
しかも遠慮なくそれはたくさん食べたのだと思う。
桃園のおじいさんはそんな父の食べっぷりが気に入ったのだろう。
話をすれば、仕事に対し職人気質な父と桃職人のようなおじいさんはとても仲良くなり、以後父は母とももの季節には毎年数回通うようになる。
実際その桃園の桃は本当においしい。
水分が多いのに甘さは深く。
実際、かなり高級なお店にも桃を卸しているらしい。凄い…。
そんな凄い桃を、私が行った時も、どんどんだしてくれた。食の細い私は3つも食べたらお腹がパンパンになってしまって、
父の様に食べられないことを少し申し訳ない気持ちになりながら並ぶ桃を見つめる。
父が癌で亡くなって5年になる。
私が初めてその桃園に行ったのは、
父が無くなった翌年で、
その時おじいさんは本当に残念そうに父とのことをはなしてくれた。
先日2年ぶりに会ったおじいさんは
全く変わらず、雨だったのに沢山の桃を母のために用意してくれていて、試食はやはりお腹がパンパンになるほどいただいたのだけれど、
おじいさんかぽつりと呟いた、父さんが居たらなぁという言葉に、全てが詰まっていたように思う。
一緒に行っていなくてもありありと目に浮かぶ桃園での父の姿を思うと。
父と一緒に桃園に行かなかった事を、とても残念に思っているのか、父がもう居ない事をまだ心のどこかで受け止めきれて居ないのか。
おじいさんのもういない父をまだ見ている姿が
焼き付いて離れず。
その日の帰りはあちこちに父の面影を探して、挙句お風呂で泣き腫らしてしまった…。
来年またおじいさんの桃園で、
きっとまた父は私の前にふらりと戻ってくるのだろうな…
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