10年

タイトル通り、本日9月1日をもって、僕が「motokun」を名乗ってから10年になりました。

小文字全角で「motokun」が正しい名前だということを、改めて言っておきます。半角じゃない理由は「motokun」とキーボードて打ち、変換キーを押したら最初に現れた文字だった。という、そんな理由です。基本的に全角が好きというのも、ある。見やすいからね。

そんなこんなで10年。

あんなこともあったこんなこともあった、みたいな思い出話に花を咲かせるつもりは全くないです。

ずっと考えてきて、うまくまとまらなかった気持ちを恥ずかしげもなく、想うがまま書き綴ろうと思います。

10年ってさ、あっという間という方もいらっしゃるだろうけど、全くそんな気が起きなくて、流れ流れてたどり着きました通過点、ってなことも思わなくて、長い間よくやってきたよね。という気持ちが一番大きいです。

活動については、飽きるまで、辞めようと思うその時までは続けようとするでしょう。ただそれは明日かもしれないし、明後日かもしれないとだけ伝えときます。付け加えるのならば、1000年後かもしれません。

10年間、辞めたかった時期はあります、いや辞めていた時期があると言った方が正確です。休んでいた。ということじゃなく、辞めていた。
だから、10年間活動してきました。なんていうことを僕は言ってない。名乗ってから10年だとは言ったけど。

今でもどこかでいずれまた辞めるんだろうという気持ちはあります。ただ、前にもどこかで書いたか喋ったか忘れたけど、まだもったいないなって気持ちがあるから、その気持ちにしがみついているって感じです。

なにせYoutubeにも手を出しちゃったから、まじめに真剣にしがみついてるんだと思います。

僕が動画や生放送・配信の最期に口にする「また来世」というワードは、いつ居なくなってもいいように、極論いつ死んでもいいように。っていう気持ち、あと躁と鬱の差が激しいと自分では思っているので、時々死にたいって思ったりもして、また来世っていう少し死の匂いがするワードを使うことによって、それが現実になったら超怖い、だからそうならないように気を付けよう。という自分への抑止力でもあったりする。

この時期だからさ、死にたい、なんてワードは禁句なんだろうけど、何をしてても、30歳過ぎてても関係なく思う時、ある。

泣いちゃうし、寂しくなるし、切なくもなるさ。
でもさ、また来世、ってなるの、超怖いっす。
ビルの屋上から落ちる夢見るときある。超怖い。

僕はね、死にたいという言葉に、救われたことがある。

少し脱線するけど、大学生の時に、かなり落ち込んだことがあってさ、人生何度目かのご飯が食べられなくなり飲み物だけで1ヵ月過ごすという時期があって。そんな時によく聞いているラジオ番組のパーソナリティさんが言ったんだよね「俺、超死にたくなる」って。僕よりも15歳くらい上の方が、そんな気持ち抱くの?しかも公共放送で、しかもいつも楽しそうでニコニコしている方しかいないと考えていた芸能界で、そのワード言っていいんだ。って。

今ではわかる、そんな甘いものじゃないって。ただね、その時の衝撃は忘れられなくて、今でもリアルタイムではなくなっちゃったけど、そのラジオ番組聴いてます。もちろん、その土台には超面白い番組だ!って思っていますから。結果的に、言葉としては、落ち込むような言葉でも、救える言葉になるんだ。って考えが、根底に残った。

また来世って言葉もね、その方が何かのタイミングで発した言葉なんだ。
だからさ、また来世って言葉は、僕にとって超怖くて、超面白い。
これからも、ずっとこの最後の言葉を使っていきます。

また来世ってね。


現在流行っている数多くの動画は、手が込んでいる。テロップにカット作業、CG・VFX、レイアウト、サムネ等。自分の制作した動画を観てもらおうと、全力を賭けている。凄い。
近頃僕もようやくサムネに手を出し始めた。自分でも思うに前世代感は凄くする。一言で表すならアナログ感。
時代には取り残されている気はするけれど、このアナログ感、気に入っている。なんか僕らしさが出ている。だからね、最近のサムネつくりは楽しさを感じてます。ペンタブからの手書きだからね。
でね、たとえ前時代感であっても、アナログ感であっても、負けてないじゃん。って思うの。自己評価は満点です。(内容はともかくとしてね。)

Youtubeの目標は、収益化です。

今の仕事を定年までするとして、貯金できてはいるけれど少なくて、現実的に考えると老後めっちゃ苦労するから、今のうちに収益化して、働いている今のうちにその収益を貯金に回して、老いて仕事が出来なくなっても、なんとか生きていこうって。

まあ、なんて現実的なんでしょう。いつか辞めるのだろうと思っている人とは思えない発言ですね。でもこれ、真剣に思ってる。
いずれ動画も収録できない身体や心になるんだったら、動けるときに動いておかないと、あとでヤンヤン言わないように。
だからといって、やりたくないことまではしない。そこはきちんと線を引く。やりたくないことは、別のところでやっているわけだし、それはやらなければいけないことだからやりたくなくてもやる。自分で責任が取れる範囲のことなのに、やりたくないことまでしたくない。

ここまで書いておいてなんなのだけど、文章うまく書けているだろうか。
ちゃんと伝わっているだろうか。そんなちょいとした不安に抱きながら、まだ書く。

マシュマロさんをくださいってTwitterで募った時に、癒してもらっている。とか、何かのきっかけで追うようになりイラストも動画もリングフィットも応援している。とか、在宅勤務の際、お供に使っている。とか、応援を始めてから数年経ちました。とか、心地よい、夏はゴーヤチャンプルうまいっすよ。とか、活動をされている方で初めて興味を持った方です。とか、実況を始めるにあたって大変だったことはありますか?とか質問してくれるんだよ。そんなこと言われたら、仕事でもない楽しくないこともある、全然うまくいかなくてスンスンする日もあるけど、そんなのチョイと忘れるくらいありがたい。という気持ちになる。

2020年8月30日現在で、送ってくださった方の文章を一部抜粋しています。

あと、うおー!っておさけびの一文と、焼きマシュマロ食べたい。と言う一文が届きましたが、ごめん、気持ちを汲みとれてない。

どうしたの?とか、熱い時期なのに、焼きマシュマロ?って感じです。

ちなみに、始めるにあたって大変だったことはないです。ネットで調べたらいっぱい方法出てきたし、それを自分なりに噛み砕いて理解しようとしてたから。やる気になった時に始めちゃえば、なんてことはないというか、楽しみ!って気持ちが先走って大変なんて思ってなかった。

イラスト始めた時もそう。

始めてからのほうが大変だったか、と言われるとそうなのかもね。と思うけど、今にして思えばやる気がないときにやろうとしてただけで、それを大変だと感じているだけだったと気付きました。

やる気がないときにするとさ、めっちゃ疲れるんだよ、知ってた?

niconico
実は退会するの、もったいないなと思っていたり、もうそろそろ。と思っていたり、まだまだ答えは出ていません。

なんていうのかな、動画も投稿していない・生放送もしていない、動画・生放送見てもいないけれど、そこで働いている方々のことを考えると僅かばかりではあるものの。って考えがある。あ、あとね、スマホで生放送できるんだ。それがね、個人的に楽なの。

アーカイブに残さないサクッと喋ってサクッと終る放送、個人的にほんと楽なの。Youtubeだとチャンネル登録1000人から。って決まっているから、しっかりセッティングしないとなんだよね。
思った時にできるって、個人的には使いやすい。

ただね、niconicoに動画を投稿する気持ちは今のところ全くないです。生放送はかろうじてってところだけど。
投稿した動画はいつでも観れるようになっているし、今でも観てくださる方がいらっしゃるの、把握しています。ありがたい。めっちゃありがたい。
いつの日にか、あの動画たちの続きが投稿できたらいいなぁ。とは思っているけれど、今はやりたくないからしません。

10年、何も感じない、全くの虚無、あります。
10年、失敗、迷惑、傷つけたこと、あります。
10年、羨み、憧れ、嫉妬、あります。
10年、楽しい、嬉しい、ありがたい、あります。
10年、興味、熱意、希望、理想、あります。

僕は僕のまま、そして、今の僕ではないまま、これからも進むでしょう。
終わるその時まで。

「つまらなくなった」という免罪符を手にする方もいるでしょう、「面白い」という観客席に座り続けてくれる方もいるでしょう、「何かやっているぞ」という入場券を手にしてくれる方もいるでしょう。

舞台でおどけている僕は、泣きもします。笑いもします。
辞めたいけど辞めたくなくて、悲しいけど嬉しくて、寂しいけど賑やかで、みすぼらしいけど艶やかで、変わらないけど変わっていく。

10年、反省することたくさんあります。情けないことたくさんあります。謝りたいことたくさんあります。

一方的にしろ、互いににしろ、いろんな方々との別れもあり、出会いもあった。

それでも、楽しかった。
僕の我儘です。思い込みです。そう思いたいだけ。

それでも、楽しかったんだ。

明日楽しいかわからない。
半年後楽しいかはわからない。
1年後楽しいかもわからない。

でも、10年後に振りかえる2020年9月1日は、きっと楽しかった。と言えるんじゃないかな。


僕「motokun」は、どこかにいます。

あなたの隣の部屋かもしれないし、隣の家かもしれないし、隣で電車に乗っているかもしれないし、スーパーで後ろに並んでいるかもしれないし、道ですれ違うかもしれないです。
しれっと澄ました顔かもしれないし、しかめっ面かもしれないし、うなだれているかもしれないし、悩みきった顔かもしれないし、大いに笑っているかもしれないです。

これまで応援してきてくださった方、これから応援してくださる方、
これまでもこれからも応援し続けてくれる方に、たくさんたくさん支えられてきました。

皆様のおかげで、生きてこれました。

これからもわがままを言いますが、助けてください。
助けられた分「続ける」という活動で、お返しします。

いっぱい書きました。いっぱいの想いをストレートに投げました。
あとは皆様がどう受け止めてくれるか。

10年、お世話になりました。そして、またお世話になります。


一番最後に伝えたいことはやっぱり。

これまでも、これからも、ありがとう!

また来世!


2020年9月1日 motokun

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