「終わりゆく時代の記憶:裏難波の味園ビルの思ひで」
カスタムジャパン本社からわずか3分のところに位置する「味園」は、裏難波を象徴するディープな商業ビルで、とうとう解体される運びとなった。「関ジャニ∞」の渋谷すばるが出演した映画の舞台にもなったことで知名度が上がったが、今でもこの場所は大阪のディープな魅力を色濃く残している。
味園に初めて足を踏み入れたのは、20年以上前に遡る。
当時、15分100円で楽しめるエンターテイメント施設JJ CLUB 100が注目され、私もその初の大型店舗である堺石津店に少し関わる機会があった。その物件にはラウンドワン入居していたが撤退、記憶は曖昧だが1000坪を超える延床のスペースにJJ CLUB 100という時間貸しゲームセンターのような業態が入居した。入居前に内覧したレストラン内装は昭和の豪華さを偲ばせる独特のデザインが施されていて今でも記憶に残っている。
こんな巨大で奇抜な建物を建設したのは誰なのか興味があり、その後所有者であるオーナーは味園のオーナーと同一人物であることをお聞きする。
このビルのオーナーに接触した方の話では、彼の居場所が味園のある隠れ部屋に隠居されていた。
2000年代初頭の味園の外観は今とほとんど変わらず、しかし入居しているテナントは大きく変わった。地下には「ミスユニバース」という最高年齢70代のホステスが在籍する大型キャバレーがあり、飲み放題とおでんの食べ放題が数千円で楽しめた。また、3階か4階には鍾乳洞を模したサウナがあり、その上の階には不思議な雰囲気の宿泊施設があった。最上階の居酒屋では、FM802の忘年会なども開催され、賑やかな場所だった。
味園を建設したオーナーは、そこに住み込み、生涯を終えるまで隠居部屋で生活し続けた。彼に接触した方は、ドア越しにしか話せなかったため、彼の人となりは謎に包まれている。
2000年代に入ると、2階のスナック街が次々と閉店し、空いたスペースには若い飲食店のオーナーが次々に店を開いた。当時の賃料は数万円ほどと飲食テナントとしては非常に安く、様々な新しい店が続々とオープンした。
現在はフェイラーズ (正式名称:FAILURE’S Kitchen)という店が2000年以降の新興系バー最古参であり、そのマスターは開業時21歳という若さで開業したため自宅を借りるコストを節約するために、店舗で寝泊まりし入浴は裏階段を使って上階のホテル客向けの風呂で密かに身体を洗う日々を送っていた。その後、裏階段からこっそり入浴する輩が増幅し、施錠が強化されて使用不可となったようだ。当時は隠れアワビという魚やさんが経営するレゲエバーや本格的なタイ式マッサージ店もあり、昔ながらのスナックも一部営業を続けていたが50%ほどの入居率だったが、現在はほぼ100%で、入居待ちも多数いる。
ちなみに、新興系バー最古参であるフェイラーズが入居する前は味園の伝説的スナックであるまち子が入居していたことでも知られている。
2000年代以降の新興系バーの遍歴のすべてを知るお店。味園2階では人畜無害なバーでマスターの人柄とコスパは最高。バーテンダーとしてお店に立つ傍ら、ピアニストとしての一面もある。
ナイトタイムエコノミーの重要な拠点としても知られるようになったが、解体の知らせは非常に残念だ。
何度も何度も解体の噂が流れては消えた味園だが、今回は本当の本当に最後となったようだ。
味園、解体へ。
味園ありがとう。
悲しいけど、さようなら。
JJクラブ100堺石津店跡地。
既に当時の建物はないが味園オーナーが設計したビルがここにも存在した模様。(詳細不明。)
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JJ CLUB 100運営会社
味園ビル
味園ビル設計及びオーナーの志井銀次郎氏は台湾から渡ってきた人物。(記事引用、詳細不明。)
味園ビル(みそのびる)
施工年 1955年
設計者 志井銀次郎(しいぎんじろう)
設計した味園ビル創業者の志井銀次郎氏は、建築家ではないがビルの全てをデザインした。(記事引用。)
企業コード 244012823 / 法人番号 5120001184528
株式会社味園ENERGY(カブシキガイシャミソノエナジー)