まだ死んでないから生きてる

人は何故生きているのだろうか

やり遂げたい夢があるから、一緒に恋をしたい相手がいるから、理由は様々あると思うし、その理由に優劣は付けられないと思う。というのも、もし仮に優劣をつけてしまうとしたら、自分の生きる理由は恐らく最下位に位置するものだと思うからだ。

死なないから、生きているだけ。

特にこれといってなしとげたいことも無ければ、愛し愛され添い遂げたいと思う相手もいない、この世に特に未練はないけれど、死にたいと思うほどの絶望も感じていない。虚無に近い状態で日々を漫然と過ごしている。頭に鉄骨が降ってきたり、不治の病にかかって余命宣告を受けたりしない限り、おそらくあと60年程はこうして生き続けているだろう。

こんな風に生きているのは、僕だけなのだろうか、いわゆる真っ当な人生を歩んでいる人は、皆晴れやかに夢を語り、愛を歌っているのだろうか。それを考え始めてしまうと、僕は色々な人に少しの申し訳なさを感じる。きっと、若くして、道半ばで死んでしまった人達の中には、僕よりも上手く人生を使える人がいただろうし、僕よりも多くの人を幸せにできたはずだ。代わってあげれるのなら代わってあげたい。そう思う程には、人生に未練がない。

いや、未練がないと言うと嘘になる、好きなアイドルグループのライブに行ってみたかっただとか、宝くじを当ててみたかっただとか、そういう未練は存在する。しかし、それを抱えたまま死んだとしても、幽霊になるほどの未練ではない。なかったらなかったで、まあいいかと考えるだろう。そういう人間だ。

おそらく僕には、情熱というものが著しく欠如している。どうしてこうなってしまったのかは分からないが、確実に足りていないとは思う。だから人生に虚無を感じながらも自分で命を絶つことは出来ないし、かといって目標のために命を削ることも出来ない。けど神様は、僕の命を奪ったりしない。少なくとも今までは奪われずに生きている。1度死にかけたことはあったが、結果として元気に日々を過ごしている。贅沢な人生だとは思う。

こんな自分を嘆きながら、きっと明日もだらだらと日常を消費していくだろう。退屈を感じ、人生に意味を見いだせず、時に死にたくなるかもしれない。しかしそれでも生き続けているだろう、何らかの外的要因で死なない限りは、僕は一生、死んだように生き続ける。

#死なない杯

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