「ミッドサマー」みたら1人になった。

 ずっとメンタルの弱い人は注意だと言われていた「ミッドサマー」をどうしても観たくなった。

 「怖い」「ホラー」「ヒーリング」「グロテスク」「5分で映画館を出た」「なんともない」「面白かった」……。
 様々な感想が聞こえてくるが、映画を観終えたわたしの心はひどく静かだった。水紋がひとつもない湖面のように静かだった。
ただ今思えば、静かな水面とはうらはらに、何か大きな生き物が湖底で蠢いてはいたのだ。

 ここからはすこしのネタバレと感想を含む。

 冒頭のシーンで、主人公ダニーの妹は両親を巻き込んで自ら死を選ぶ。
 家族を救えず、1人残されるダニー。

 そしてそのダニーを支えつつも、本心ではそんな彼女を疎ましく思い、離れたいという気持ちを友人に話す恋人のクリスチャン。
 その友人たちの集まりに顔を出すも、明らかに受け入れられていないダニー。目配せだけで会話をする恋人の友人たち。その意地悪な雰囲気のなかで平気なフリをする彼女を見るのはつらい。

 そこからの色々なできごとについては、ぜひ映画をご覧いただきたい。

 ラストシーンの主人公・ダニーの表情については意見が分かれる。彼女の晴れやかな笑顔。

 さまざまな考察があったが、わたしは彼女は解放されたのだと思った。

 置いていかれる哀しみ、裏切られる痛み、次こそはという期待。
 そして恋人のおぞましい行為。

 ありとあらゆる怒りから、彼女は解放されたのだ。

 その考えに至ったとき、心の中にふと何かを見付けた。ショベルで掘り進めた土の中に、コツンという小さな手応え。
 ――そうか、わたしはずっと怒っていたのか。
 ずっと目を背けていた事実に、気付いてしまった。「ミッドサマー」を観てしまったばっかりに。

 「男にやりたいと思ってもらえるのはありがたいことだと思え」とか言う男友達にも、私の心や体の具合を考えず欲望をぶつけられることにも。

 特定の男性だけでなく、さまざまな場面で男たちから繰り出される言葉に、わたしはずっと傷ついていたのだ。そのことから目をそらしていたのだ。

 そうだ、わたしは怒っている。

 でもわたしはダニーのように男に熊の毛皮を着せることはできない。そうできたら、どれだけ爽快だろうか。あの黄色い三角形には誰を詰め込んでやろうか。

 あんまり女なめてんじゃねーぞ。
 小屋に詰めるぞ。

 とか思ってたら、付き合ってた男とも別れちゃったよね。ミッドサマー怖い。

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