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田舎には可能性が眠りまくってるレポート(2309文字)

叔母の納骨式のため、3年ぶりに地元に帰って思うことがありまくったので、レポート書いてみました。

今回のレポートでは、
・東京と田舎の違い
・地元にいた頃に感じていた違和感の正体
・環境の影響はえげつな過ぎて漏れそうになった話
・田舎の可能性について

などなど書いてみました。お時間あればぜひお読みください。こういう切り口もたまにはオモロいですね。

叔母の納骨式に参加して感じたこと

叔母の納骨式のため、3年ぶりに仙台に帰りました。

しばらく疎遠になっていた親戚と顔を合わせたましたが、なんとなく居心地の悪さを感じました。

話す話題が妙に田舎くさくて
「結婚はしないの?」
「仕事はなにしてるの?」

くらいしか話題にならず、特に歳をとった親戚と話していても何も楽しくないなぁと感じました。

めちゃくちゃ口悪いですが
「よくそんな窮屈な環境で老後まで生きてきたな」と感じました。

まあこういう見方をしてしまうのもなんらかのバイアスが働いている証拠ですが、田舎にあのまま住んでいたら自分もそうなっていたんだろうなと感じました。

親戚と自分の唯一の違いは
「地元にずっと住んでいたか?」の違いが大きいです。

自分は幼い頃から転勤族だった事もあり、幼い頃から各地を転々としていました。

そのせいなのか、ずっと地元に住み続けている人たちを見ると
「よくそんな所にずっと住んでいられるな…」
とか思ってしまう節があります。

本人たちからすると地元に住み続けていることが
自分に対する誇りであり、アイデンティティのような物なのかもしれません。

そして、そうじゃない人間のことを排他的な目で見るのも田舎の特徴だと思います。


何が排他的なのかというと、

・結婚してないこと
・自分を定義するモノがないこと(仕事とか)
・地元を離れて暮らしていること
・親戚とめったに顔を合わせなくなったこと


たぶんあっちに帰って長く住めば住むほど見えてくるものはあると思いますが、

口に出さずとも地元ならではの価値観や風潮を感じました。

資格をとって
安定した仕事について
結婚して子供作って
マイホームに住む

これが田舎にとっては正義です。

なんでそんなに狭苦しい価値観の中で生きてるんだろう?
と考えてみたら、自分も数年前まで全く同じ価値観の中で生きていたことに気づきました。

環境の影響はえげつないモノです。

両親を見て思ったこと

両親も歳をとってきて、親戚が次々と亡くなり始めているからか、将来に対する不安が年々大きくなっているような空気感を感じました。

実家に帰れば相変わらず名言の張り紙があったり、名言が書いてるカレンダーがトイレに貼っていたり、YouTubeで見つけた著名人の話をゴリ押ししてきたり相変わらずでした。

両親揃って、自分以外の何かにすがっていたいみたいな思想が強いです。

仙台にいた頃になんとなく感じていた違和感の正体がはたぶん「自分軸がない」ことかなと感じました。

自分も含めて他の誰もが、
自分に対する信頼感や自信を失ったんだろうなと感じました。

その根本原因は、東日本大震災やコロナの影響がでかいのかもなあと思います。


もちろん一概には言えませんが、
ずーっと地元にいて同じ環境にいて
全員が自分を信じられなくなっているからか、
自ずと「自分を救ってくれるような何か」
を探すのだと思います。

被災した多くの人がこの状態に陥っている気がしました。もちろんその後の風評被害の影響も大きいと思います。

ただ、東京からひさびさに地元に帰ると自然の豊かさに感動しました。

地元にいると何も思わないかもしれませんが、

空気が綺麗だし
水道水がめちゃくちゃうまいし
人は優しいし
都会みたくゴミゴミしてないし
みんな慌ててる様子もない。
交通の便が悪かったり
車がないとキツイとか
労働環境があまりよくない

というデメリットもありますが、

心に平安を保っておくには申し分のない最適な環境がたくさんあると感じました。

田舎は資産だらけって話

うちの実家には元々、亡くなった祖母が住んでいたが、それを機にうちの両親が移り住むようになりました。実家には畑があり、広い家があり、とても静かな環境があります。

これはどんどん使ったほうがいいのになあと感じました。

特に畑は、うちのおばあちゃんが長年育ててきた野菜や植物がたくさんあるし、これはある意味超絶な資産だよなと。

だって、畑に栄養を与えまくれば、無限に作物を生み出し続けるわけです。


おまけにうちの両親は二人揃って自己啓発とか、栄養学とかが好きなのでそういう知識を活かした活動すればいいのになと感じました。

ふざけ半分でアドバイスもしてみましたが、
まあ行動に移すまでに時間はかかると思いますw

他で言えば、親戚の歳の近いいとこはコミュニケーション能力が高い人が多いんです。

人と話すことに楽しさを感じる部類の人間なので、

地元なんかにいないで(地元バカにすんなw)
真面目くさく働かないで(いや、働けw)
もっとそこ活かせよと思いました。

頭が柔らかいうちに、いろんな事を体験してもっと大きくなればいいのになと感じました。

とゆうか、田舎には全くといっていいほど情報が回っていない事も感じました。

たぶん今まで学んだり考えてる事を話しても、
誰も理解できないだろうなとも感じたし、
もし仙台にこういう概念を持ち込んだらしばらくは怪しいだのと言われるだろうなぁとも思います。

こういう知識量や情報量の差が格差を生み出すんだろうなと思います。

最後に無理矢理まとめると、

「みんないいもん持ってるのにお蔵入りにし過ぎちゃってるやん」

と感じたので、自分がそうならないように結果を出すべきやなと感じました。

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