見出し画像

私の母は働き者でお節介でいつも豪快に笑っている人でした。

父の亡き後、母は町工場で働きました。
そこには出稼ぎに来ている外国人の方々がいました。

昼休み、その方々が毎日おにぎりを1つだけ食べて仕事をしていることに母が気付きます。

「それしか食べないの?お腹空くでしょうに。」

聞けば彼らは、
祖国の家族への仕送りの為に節約していたのです。

そんな事情を知った母は
翌日からお弁当をいくつも作っていくようになりました。
たくさんのタッパーにご飯とおかずを楽しそうに詰め込んでいる母の姿を思い出します。

そしていつしか母は彼らから
『OKAASAN』
と呼ばれるようになりました。

そんなある日、
母は急に外国人の方々に言いました。

『これからアタシのことを"ジュリア"って呼んでよ!その方がカッコイイじゃん!』

この日から母は「ジュリアさん」になりました。。

どこから「ジュリア」というあだ名を思いついたのでしょうか…。
真相は未だに解りませんが。。


母は愛のあるご飯で人を幸せにする人でした。
美味しそうに食べてくれている姿を見て幸せを感じる人でした。

このレストランは【J U L I A】と名付けました。

母のような愛のあるレストランにしたい、
そんな想いをのせて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?