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黄昏どきのすれ違い

人差し指と中指の違いが、父さんには理解できないらしい。そんな意地悪な感想が浮かぶほど、父は同じ失敗を繰り返していた。言われた通りに弦を押さえるのがそんなに難しいのかと、ギターを知らない私は無責任に思っていた。

一方、玄さんは決して怒らなかった。五十年のキャリアの中に同じような経験があるのだろうか。父が焦れば焦るほど玄さんは落ち着き、声を荒げそうになるほど上手く宥めた。

「父さん、怒りっぽくなったね」

ぽつりと声がこぼれる。幸運にもそれは届かなかった。最近よくある幸運だった。

「結奈ちゃん、言ってやりなさんな。本人は一生懸命なんだ」

代わりに答えたのは玄さんだった。彼は練習を続けるように言うと、私の横に座った。

「そうかな」

「そうとも」

玄さんが大らかに笑う。それがなおさら私には歯がゆい。

モヤモヤする気分を変えようと、古びた畳に家具のように散らばった古雑誌から適当なのを開く。そこには偶然、写真で見た若い頃の父さんとよく似た髪型のギタリストが写っていた。真似ていたのだと、昔言っていた。

私が生まれた時、父さんは50歳で、今は70歳。

昔は元気だった。背中が大きくて、シャキッとしていた。周りより歳を取ってても、自慢の父さんだった。

今は、どうだろう。定年を迎えてしばらく経つと、出かけることも稀だった。ずっとテレビの前にいて、決まった銘柄の安いお酒を飲んでて、母さんの仏壇を綺麗にして、たまにお小言をいうのが父さんだった。

「父さんなら、もっと出来ると思うんだ」

目を伏せ、願望混じりに呟く。

「……信頼されてるんだな」

え、と顔を上げると、もう玄さんは立ち上がっていた。そして父さんの右手に指輪のない左手を重ねて、何やら手本を見せた。それが取っ掛かりになったのか、嘘のようにスムーズに例の音が鳴った。父さんの喜びは背中からも見てとれた。

私はほくそ笑んだ。出来ることが増えるたび、父さんの背中は、まっすぐになっている。

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。