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【ストレイキャット・ストーリー】

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(この小説は「ニンジャスレイヤー」の二次創作物です)

【ストレイキャット・ストーリー】出題編

あまり治安の良くないコミダ・ストリートの雑居ビル二階。猥雑な旧世紀ヘンタイ・ポルノショップと違法サイバネ商店に挟まれた一室こそ、”私立探偵”イチロー・モリタの名目上の事務所である。

彼の事務所は広告を打たず、奥ゆかしい看板以外に存在をアピールするものもない。両隣の店の客はこの開かずの事務所を空き物件だと思っており、所長の存在は都市伝説めいて覚束ない。彼が実際二、三ヶ月に一度しか事務所に戻らないことも、噂の追い風となっていた。

だが今日は、そんな事務所に事前のアポイントがあった。モリタ所長は珍しく事務所に戻り、安く機能的なソファに腰掛けて依頼人の話を聞いていた。

「ネコを探して欲しいのです」

彼女がそう言うと、モリタ所長は耳を疑った。よもやこの事務所に、そんな真っ当な依頼を持ち込むものがいるなど想像もしていなかったのだ。

女は年の頃カレッジ学生、貧相な身なりは身分を装う意図が明らかであり、その本質的な美しさと不調和を起こしている。一方、その後ろに控えるのは護衛役だろうか? 安っぽい黒いスーツに身を包んでいるが、糊の利いたスーツにあたかも使い古されたような継ぎや穴が空いており、やはり不調和を起こしている。

「ネコですか?」「はい、ネコです。三ヶ月前に拾って、それから家ではずっと一緒に……」

返答をどう勘違いしたか、女は饒舌に語り始めた。モリタ所長は勢いにやや気圧されながら、彼女についての情報を反芻する。アズキ・シロイナ。ネオサイタマの化粧品業界において第四位に位置するシロイナ化粧品の令嬢だ。

化粧品と言えばキョート。それはネオサイタマにおいても根強い共通認識である。ムラサキシキブ化粧品を始めとする数々のハイブランドは女性の憧れであり、モリタには理解不能な価格で取引がされている。一方、ネオサイタマ・ブランドはそれなりの品質を持ちながらも庶民的な価格が売りだ。

無論、ネオサイタマにもハイブランドは存在する。だがそれはカネと時間に余裕のあるメガコーポが、社長のキョート・コンプレックス解消のために作るようなものであり、品質面でも実際劣っている。その上、薄利多売で積み上げた一般流通品のイメージが染み付いており、ターゲットたる富裕層からはソッポを向かれていた。

シロイナ化粧品は、そんなネオサイタマにて高級志向を掲げ続け、なおかつ成長を続けている貴重な企業だった。「バイオフリーな」「お肌が安全」「新鮮な原料です」クリーンなキャッチコピーは顧客に満足と安心感を提供することをアピールする。

さらに、若くして社長を継いだ姉ミツと、その妹アズキの美人姉妹は、美容整形やバイオ技術に触れない上、市民の食卓に日常的に上がるバイオ食品すら食べたことのない「オーガニック姉妹」と呼ばれ、タレント的な人気を誇っていた。ミツはその人気を上手に利用し、立ち回っていた。

彼女らの美貌と誇り高い言動は企業態度をそのまま表している。伝統製法やオーガニック原料にこだわった質の高い製品は、キョート・セレブリティがお忍びで買いに来るほどだという……

そのシロイナ化粧品のご令嬢がなぜここへ? モリタは質問をぶつけた。

「シツレイですが、なぜ当事務所へ?」「モリタ=サン。以前お会いした時のこと、覚えておられますか?」

アズキが上品に微笑むと、モリタは頷いた。

「以前……確かカネモチ・ディストリクトの事件で聞き込みをさせていただいたこと、ですか?」「ええ。……誠実さは目に出ます。信頼に足る人物であると、あの時思ったのです。それに名刺も貰っておりましたし」

漆塗りの名刺入れから、アズキは”私立探偵イチロー・モリタ”とだけ書かれたシンプルな白いカードを取り出した。これは彼の真の肩書きではない。だが日本人は名刺によるコミュニケーションを重んじる。虚偽の肩書きであっても、名刺が存在すれば高い信憑性が宿るのだ。

「なるほど……」

モリタは勘案する。他に抱えている依頼は無し。殺すべきニンジャの情報も無し。であれば、この依頼を断る理由も無し。だが……ふと、引っかかった。

「先ほど、信頼に足る人物であると。そう評価していただけたようですが」「それが何か?」「……迷いネコを探す。シツレイながら、さほど困難でない依頼のように見受けます。なのに、わざわざ変装までして”信頼に足る探偵へ”依頼をしにきた理由は?」

アズキはハッと息を呑んだ。この反応、もはや隠し事をしていることは明らかである。モリタは畳み掛けた。

「ご安心なされよ。依頼を断る気は今のところ毛頭ありません」「では……」「ですが、何か不都合があるようなら、事前に聞いておきたいのです。互いに納得の行く調査を行うために」

「……」依頼人は黙り込んだ。探偵は深追いはせず、彼女の口が開くのを待とうとした。だがそれを待たなかったのは、彼女の護衛役だった。

「申し訳ありません、モリタ=サン。隠した訳ではないのです。……お嬢様、あとは私がお話しします」

引き締まった体躯の、背の高い人物だった。モリタ探偵は言葉の続きを待つ。

「実は以前にも、テイマ……ネコの捜索を調査会社に何度か依頼したことがあったのです。ですが、一向に成果は上がらず」「見つけられなかったと?」「その通りです。だからお嬢様は、藁にもすがるような思いでこのような……」

「ミクニ!」アズキは青い顔をして立ち上がり、諌めた。ミクニは非礼を詫びたが、モリタの思考は、何故調査会社が依頼を達成できなかったのか? その理由の推理へと移っていた。

(何らかの対立メガコーポの関与?)ありえる話ではある。詮索好きの犬は警棒で殴られる、とはミヤモト・マサシの偉大な警句であるが、暗黒メガコーポを詮索した探偵は警棒で殴られる程度では済まぬ。調査会社は事件にメガコーポの痕跡を見つけ、身を引いた……

(では、なぜネコを?)だが、その点が引っかかった。脅迫意図だとしても、それを伝えなければ意味がない。何者かがネコを誘拐したとして、それに何のメリットがある……? 精神的ダメージ? いや、マッポーの世では人間の方がむしろ狙いやすい……

そこまで考えたところで、自身を見つめるアズキの縋るような目線に気づき、モリタ探偵は思考を中断した。立場に似つかわしくない純粋な瞳に、彼は私立探偵のセンパイたる、タカギ・ガンドーの言葉を思い出す。

(いいか、探偵ってのはペット探しを万全にこなせるようになって、初めて一人前なんだぜ。)

聞いた当時は意味が分からなかったが、こうして迷える依頼者と直面した今、その意味が分かる。他者からは矮小に見えるものであっても、本人にとっては重大な問題……大手の調査会社が立ち入れぬ、あるいは取り合わない依頼……それを解決してこそ、初めて私立探偵を名乗れるのだと。いわばこの事件は、センパイからの挑戦状なのだ。

(なれば挑んでみるとしよう。探偵として)モリタは心を決めた。

「……いいでしょう。その依頼、お引き受けします」「本当ですか!?」モリタが頷いた途端、アズキは腰を浮かせ、安物のソファに尻を打ち付けて呻いた。その後ろでミクニは目を見開いた。

「ですが、その前に……件のネコについての情報をお聞かせ願えますか」

◆ ◆ ◆

テイマはメスのネコである。品種は不明で、年齢は生後3ヶ月以上ということしか分からない。首輪、インプラント共に無し。ある日、アズキが外出から戻ると、ミクニが失踪を知らせたという。ほんの少し、目を離した隙に……

(偶然だとは思えない出会いでした)

アズキは彼女との出会いをそう振り返る。珍しく月の出ていた夜、車での移動中のことだった。タイヤが突然パンクして車を降りたところ、電柱の下、月明かりに照らされ、か弱い声で鳴くテイマを偶然見つけたのだという。

(ネコか……)

二人が去ったのち、一通りのデータをまとめ終えたモリタは、ふと考えた。彼はネコがさほど好きではない。少なくとも、家族同様に扱う……そこまでの気持ちには分からないところがあった。だが、彼女は真剣であった……

(……私には関係のないことか)モリタは雑念を振り払い、聞き込み対象をリストアップする作業へと戻った。

◆ ◆ ◆

「申し訳ございません。このネコちゃんも似た柄のネコちゃんも、ここにはいませんね」

ネオサイタマ第三九保健所。その清潔なロビーで、職員は申し訳なさそうに頭を下げた。モリタもまた、深々と頭を下げて返礼する。

「いえ、わざわざお探しいただき、ありがとうございます」

保健所は無駄足。まずは予想通りと言ったところか。揃いのサングラスを掛けた、角刈りの臨時職員たちが彼の後ろを歩いていく。モリタは一瞬、彼らに険しい視線を向けたが……事件とは無関係だろう。彼は職員に再度問いかける。

「似た柄のネコもいないということは、珍しい品種なのですか?」「いえ、そういうわけじゃないんですけどね……」

職員は言葉を濁した。モリタ探偵の耳は、当然それを聞き逃さない。

「では、誰かが貰っていくなどしていなくなったのですか?」「あ、いや、それは……参ったなぁ。引き取り先は秘密なんですよ」

職員は笑って誤魔化そうとしたが、その返答は「そうですよ」と言っているのと大差はない。

「分かりました。ドーモ」

ここで手に入る情報はこの位だろうか。彼は再度オジギすると、保健所を後にした。

◆ ◆ ◆

……三十分後。シロイナ家の屋敷となれば、当然カネモチ・ディストリクトにある。塀の高い一戸建てと超高層ビルが並ぶ、不自然な凸凹通りをモリタは歩いていく。表通りには当然野良ネコの姿はない。彼は適当な角を見つけると路地裏へと入った。

カネモチ・ディストリクトの路地裏は人気がなく、小ざっぱりとしている。目に入るのは大きなゴミ置き場程度のものであり、そこには監視カメラと「ゴミ漁りは通報、市民の義務です」「相互監視で豊かな暮らし」と書かれたプラカードが付けられていた。

モリタ探偵は油断ない目つきで住民を探す。アポがない以上、以前のような表通りでの聞き込みは不可能である。こうして路地裏を当たるしかない。十分ほど日陰を歩き回り、彼は小さなPVC袋を両手にいくつもぶら下げた浮浪者を見つけた。

「さあ、見てねえなぁ」

浮浪者は手渡された合成酒を一口すするなり、興味もなさそうに言った。

「似たネコはどうですか」「いんや、全く。そもそもネコ自体、そういや最近はあんまり見ねえな」

彼はふてぶてしく酒の肴を要求すると(モリタは当然突っ撥ねた)、今度はPVC袋に詰められたDIYブレンド・ハッパの購入を勧めた。モリタはそれも断ると、すぐに路地裏を後にした。「バカ!」と罵りの言葉が背後から聞こえた。

◆ ◆ ◆

……一時間後。大手ペットショップ・チェーン「ゲンキナ」の店内はどこも変わらない。壁一面にコインロッカーめいた規則正しさで檻が並べられ、多種多様の動物や愛玩バイオ生物がひしめいている。給餌や排泄物の処理は檻が自動で行うため、専門知識を持つスタッフがいなくてもペットの売買が可能だ。

「最近、野良ネコを見ませんでしたか?」「見てないよ? そもそも野良ネコなんて汚いし、病気だらけね。バイオが清潔で一番人気だよ? 今セール中だよ」

店員はキョトンとした顔で言った。現金を得るため、攫った猫を売り飛ばした……もともと低いと思っていたが、やはりその可能性も低そうだ。

「では、このネコに見覚えは?」

モリタ探偵が写真を見せると、店員は派手に驚いて見せた。

「アイヤー、綺麗な毛並み! でもダメよ、一度外に出たらもうダメ! 不潔よ、病気の温床よ! 貴方新しいネコ買うといいよ!」「私はネコを買いに来たのではない」「そんなこと言っても貴方カワイイなネコちゃん見たら気が変わるよ! ミニバイオシリーズ! 大人気よ! 一生小さいままで従順! カワイイ! 小さい内はバイオインゴットいらず! 廉価版よ! 祖先に報告できるよ!」

店員はセールストークをまくし立て、売りつけるネコを探すため、檻を品定めする。

「ほら見てよ! バイオカワイイヤッター! このミニバイオオオカミのアカチャンなんて、ワンチャンと見分けつかないよ!」「オジャマシマシタ」

モリタは一言礼を言うと、ペットショップを後にした。店員はそれにも気づかず、次に売り込む商品を品定めする。

「見てよほら、これオーガニックだけど、そのネコにそっくりな……あれ? 昨日売れたんだったよ」

◆ ◆ ◆

ありふれた薄汚さの、ありふれた路地裏。彼女の日常であったそれは、今や非日常となろうとしている。最近はどこもかしこも掃除が行き届き、監視カメラが目を光らせる。「ここ」は数あるナワバリの一つだったが、今や数少ないのナワバリの一つとなっていた。

「ハァー、最近いいことないニャー……」

積み上げられた黒いゴミ袋のてっぺんに寝そべり、ストリート・パンクス装束の女は曇天を眺め、ため息をついていた。彼女の名はツインテイルズ。ニンジャである。

(ミャオーウー! ミャオー!)「え……何?」

ゴミ袋の隙間からネコの鳴き声。この山は実際フェイクである。中は空洞であり、ネコたちの住処になっているのだ。危険を知らせる声を聞き、一瞬身を強張らせたツインテイルズだったが、ダウナーになった気分がそれに勝った。

「だぁーい丈夫よぉ。こんなとこにアマクダリのニンジャなんて来ないもーん……」彼女は涎を垂らしながら、だらしなく目を閉じた。それでも瞼の上から、弱々しい日の光が注ぐが……突如、それも遮られた。

「ン?」ニンジャ様の眠りを妨げようとは何様か。ツインテイルズは目を開く。正面に男の姿。トレンチコートに、ハンチング帽で……剣呑な目つき……パーツを一つ一つ確かめる度、冷や汗が噴き出した。脳内麻薬が化学成分を押し流す。

「な、なななな、に、ニ……」「退屈しているようだな、ツインテイルズ=サン」

何かを押し殺すような威圧的な声。ツインテイルズは凍りつき、この男が先ほど試した、ハッパ・ブレンドの見せた幻覚であることを願って目をしばたたかせた。しかし、何度繰り返しても男は消えない。引きつった笑いが自然と口から漏れた。

「ア、アハハ……ニ、ニンジャスレイヤー=サン、だよねー……?」「オヌシに聞きたいことがある」

「もう悪いことはしてないニャー!」

彼女はビッと手を挙げ、即答した。探偵はそれを無視し、続けた。

「ネコについてだ」「……ネコ? ニンジャスレイヤー=サン、ネコ飼うの?」

似合わないニャー。その言葉を喉元で飲み込んだツインテイルズに、彼はテイマの写真を突きつけた。

「名はテイマ。ある人物の飼いネコで、探している。何か知っていることはないか」「な、無い……と思う」「歯切れの悪い返事だな」「ウチで面倒見てる子にはいないし、ジツに応える範囲にもいないよ」「……オヌシのジツはカネモチ・ディストリクトにまで届くか?」「外にいるなら、多分ね」

彼女は脂汗をだらだら流しながら、努めて正直に答えた。この男は嘘を見抜く。見抜いて即座に殺す。恐るべき殺忍者なのだ。念のため、隠れているネコたちにも尋ねたが、やはり知らないようだった。

「面倒見てる子とは、この袋の下に隠れている者らのことか?」「そ、そうだよ。殺しちゃダメ……」「そんなことはせぬ」「で、でも、やりそうだし……」「オヌシの勘違いであろう」

「と、とにかくダメったらダメなんだニャー!」

ツインテイルズはなけなしの勇気とカラテを振り絞り、ニンジャスレイヤーを威嚇した。二秒後、彼女はへたり込んだ。不可解な感情を噴出させたツインテイルズに対し、ニンジャスレイヤーは不思議そうに尋ねた。

「……ネコを守るのは、オヌシのジツに必要だからか?」「は?」

顎に手を当て、いたって冷静にニンジャスレイヤーは尋ねた。ツインテイルズは呆れて返した。

「それもあるけど……それだけじゃないニャー」「と言うと?」「だってネコはカワイイだし。アカチャンみたいにワガママだけど、そこもカワイイからニャー。ほら、いくら朴念仁なニンジャスレイヤー=サンでも、アカチャンがカワイイなのは分か……」

シマッタ! つい本音を付け足してしまった。彼女は反射的にガード体勢を取り、ギュッと目を閉じた。

「ゴメンナサイ!」「………」

ニンジャスレイヤーからの返事はない。一秒が十分にも思える静寂の中、数秒が経った。よもや、自分はもう殺された? ツインテイルズは恐る恐る目を開ける。だが目の前の怒れる殺忍鬼は、見たこともないような優しい目をしていた。

「……エ?」「……アカチャン、か。そうだな。それならば、私も……少しは、分かる」

ニンジャスレイヤー……フジキド・ケンジは一人頷いた。忘れずに覚えていた、普段は思い出そうとしない大切な記憶が、思いがけず揺り起こされたのだ。ツインテイルズは困惑し、ぽかんと口を開けていた。

「あ、うん……そうなの……スゴイだニャー……?」「つかぬ事を聞いた。これでシツレイする」

ニンジャスレイヤーは頭を下げ、その場を後にした。ツインテイルズはそれを見送っていたが、急に何か申し訳ないような妙な気分になり、反射的に呼び止めた。

「あッ、待って!」「……?」「……その写真、もう一度見せて欲しいニャー」

渡された写真を、ツインテイルズはしげしげと観察した。そして首を傾げた。

「やっぱり……どこか妙な感じがする」「妙?」「さあ。詳しくはわかんないけど、どっかが変なの。それだけだよ」「そうか。ドーモ」

今度こそ去っていくニンジャスレイヤーを、ツインテイルズは見送った。その姿が消えた後、余計なことを言ったせいで彼が再び来訪する可能性に気づき、ガタガタ震えてゴミ袋の下の王国へと避難した。

◆ ◆ ◆

……二十分後。イチロー・モリタは帰路に着いていた。事件の輪郭は見えた。目撃証言を募るのは、おそらく無駄足に終わるだろう。人通りの多い交差点で、彼は信号が変わるのを待つ。「アバーッ!」軽率に信号無視したパンクスがトラックに跳ねられ即死した。

「……」モリタ探偵は目を伏せ、それから見上げた。大型モニタから「シロイナ化粧品」の名が流れたからだ。

シロイナ社の宣伝プログラムは余計な情報がない。静謐な音楽、柔らかな動きで舞うオイラン、そして社長のミツ、その妹アズキの美しい微笑み……最後に新発売の化粧品。映し出されるのはそれだけだ。それだけで完全なのだ。視聴者はものの数十秒で、商品を買うだけで彼女らのような美しさが手に入る……そう思わされる。広告主の思うがままに。

広告が終わると共に、信号が切り替わった。モリタは歩き出そうとして……背後を振り向いた。知った気配である。だが、油断ならない気配でもあった。長髪の男はイチロー・モリタを見て笑った。「よう、意外なトコで会うね。アンタも化粧すんのかい、ヒヒ……」

モリタは形だけ会釈すると、前を向いて歩き始めた。フィルギアは小走りでその後を追い、継続して話しかけ続ける。「意外なトコで意外なモン見ちまった。笑える……」探偵は嫌悪感を隠さぬまま、横目でこの胡乱なニンジャを見た。

「用事があるのか」「寂しかったんだ、俺」「知ったことではない」「たまには雑談でもしようぜ。ほら、アンタが真剣な目でお化粧を……ククッ、見てるから。意外な一面……ああいう子がタイプなワケ?」「……」「どっち? 姉と妹」

モリタは頑なに無視したが、フィルギアはしつこく後を追い、ストーカーめいて話しかけ続けた。追い払おうにしても、衆人環視の環境下でカラテを始めるのは望ましくない。かと言って、このまま付いて来られるのも困る。あの事務所はバレても問題のない物だが……しかし……不快であった。そんな気を知ってか知らずか、フィルギアは愉快そうに笑う。

「……フム」モリタがふと思いついて立ち止まると、フィルギアは慌てて駆け戻った。「オヌシに聞きたいことがある」「俺に?」「彼女らはなぜ、支持を集める」「なんだそれ。哲学?」「なんでもよい」モリタが言うと、フィルギアはわざとらしく首を捻った。「ンー」

「やっぱほら、美人だからじゃない?」「聞くだけ無駄だったようだ」彼は立ち去ろうとした。フィルギアは慌てて追いかけた。「オイオイ、まだ途中だって!」「……」

「誰だってさ、風邪引きの医者には掛かりたくないだろ? それと同じさ。美人の化粧品を買いたい……ヒヒ、こりゃ違うか」「続けろ」「ヨロコンデー!」フィルギアは愉快そうに笑った。

二人は歩きながら話した。「彼女らなら、そうさね。カイシャがバイオフリーなんて謳ってて、たぶん実際にオーガニックな生活をしているからじゃないかな?」「そういうものか」「そういうものさ。説得力があるんだ。実際が伴うと、説得力がある。だから人は魅了される……いつの時代もね」「フム……」モリタは唸った。

やがて二人は事務所のあるコミダ・ストリートへと辿り着いた。「おっと、結構遠くまで来たか」フィルギアはわざとらしく咳払いした。「暇潰しが済んだのか?」「アー、そうね。済んだ済んだ。十分さ」探偵は訝しんだが、長命者はマイペースに笑うと、手を振って去って行った。モリタはしばらく油断ない目で後ろ姿を見守ったが、やがて立ち去った。

◆ ◆ ◆

五分後。イチロー・モリタの事務所。私物が存在しない殺風景な室内。その主は安物の椅子に腰掛ける。携帯IRC端末をチェックすると、彼は眉を顰めた。新着が一通。それもほんの数分前だ。彼は慎重にそれを開封する。

『ドーモ、イチロー・モリタ=サン。突然だが、君の引き受けたテイマ捜索の依頼を失敗させて欲しい。これは警告だ。もし捜索を続けるのであれば、その殺風景な事務所はシロイナ化粧品を敵に回し、丸ごと瓦礫に変わるものと心得よ。以上』

願っても無い方向から事件の手がかりが手に入った。イチロー・モリタはメールの文面をメモすると「整理する」と独り言を呟き、探偵手帳に情報を箇条書きにしていった。今までの調査内容、そしてアズキとミクニからの情報。それらから最後の状況判断を行い……盟友ナンシー・リーへとメッセージを送った。

「ドーモ、ナンシー=サン。突然だが情報収集を頼みたい。……ある人物についてのデータを送って欲しい」

◆ ◆ ◆

「ハァーッ、ハァーッ……」

その数分後。ネオサイタマのとある路地裏を駆ける、ボロ布を纏った女の姿あり。通りすがる市民は彼女と彼女が引き連れる厄介ごとに関わるのを嫌がり、道を素直に譲る。

誰かが追ってきている。そのことを彼女は確信していた。目的は分かりきっている。テイマだ。だが渡すわけにはいかない。所在を知られるわけにもだ。

注意深きもの、あるいはこの路地に店を構えるものであれば、女の逃走ルートは一定間隔でループしていることに気付くだろう。彼女は追っ手を撒くべく、わざと蛇行ルートを選んでいるのだ。だが、その努力が実っているとは言い難い。

追っ手の男は彼女を追う中で、やがて道のループに勘付き、目印代わりに通行人をカラテで殺した。同じ死体を複数見かけ、彼は追跡に気づかれていることを確信したのだ。

「フゥーやれやれ。手間を掛けさせてくれるものだ、非ニンジャ。……だが、あれは絶対に渡してもらうぞ……」

男は誰にともなく呟く。その口にはニンジャの証、メンポ。その手には、彼が生成した十字スリケンを高速射出する武器、スリケンボウガン。彼の名はミストレス。ニンジャである。

【ストレイキャット・ストーリー】解答編に続く↓














【ストレイキャット・ストーリー】解答編

「ハァーッ、ハァーッ……」ボロ布に身を包んだ女が一人、人気のない裏路地を走る。記憶と事前調査を元に、なるべく複雑なルートを描くように。だが追っ手の気配が離れることはない。敵は付かず離れずの距離を維持しながら、恐るべき執念深さで追い続けているのだ。

まさか、あの探偵? 彼女の脳裏に、底知れない威圧感を持った探偵の姿が過ぎる。彼女は疑念を振り払う。今はとにかく、この追っ手を撒かなければ……

チュン!

軽い音が鳴り、手のひら大の何かが数m先で跳ねた。彼女は左にバランスを崩しかけた。転倒せぬよう体勢を持ち直し、恐る恐る負傷箇所を確かめようとすると、負傷箇所が無くなっていることに気づいた。

チュン!

二度目の音! 今度は……どこに!? それを確認する間も無く、彼女はバランスを崩し転倒する。左足に違和感。見てみると、くるぶしから先が綺麗に無くなっていた。彼女は尚も立ち上がろうとしたが、叶わなかった。ピシャリ! 近隣住民が装甲窓を閉める音が響いた。

カツンカツン……規則正しい足音。やがて、中肉中背のサラリマンめいた男の姿が見えた。その手にはボウガンのような奇妙な得物。口元にはメンポ。あからさまにニンジャであった。

「やれやれ、手間取らせてくれたな。この角を通ったのは三度目。ブッダも怒るぞ?」ミストレスは彼女の手前で立ち止まり、ぶつくさと言い始めた。「私の追跡に勘付き、撒こうとしていた……そんなところだろう。ンフフフフ。浅ましき非ニンジャよ」

ミストレスは女が纏うボロ布を掴み、一気に引き剥がす。引き締まった体躯が露わになると、女は……ミクニは切断された右腕を庇いながら言った。

「……貴様、どこの差し金だ? キョートか? それと」「イヤーッ!」「ンアーッ!」容赦無いヤクザキック! 腹部を蹴り飛ばされたミクニはサッカーボールめいて壁に激突し、苦悶の声を漏らした。彼女は裏の世界の実情を少なからず知り、ニンジャの存在を知る。だが、今それに何の意味がある?

ミストレスは彼女の前に屈み、顔を覗き込んだ。「ンンー……違う、違うぞ非ニンジャ。質問するのは私だ。どこに隠したか……貴様は黙って答えれば良い」「誰が……」ミクニの言葉は、口内にねじ込まれたニンジャの手によって遮られた。

「強情は賢くないぞ、非ニンジャ。……少々痛めつけるぞ。話したくなったら首を縦に振るが良い」

ミクニはその手に噛み付こうとした。だが、彼が手に力を込めるや否や、その目論見は潰えることとなる。口内に鋭い痛みが走った……そう感じた刹那、激痛がミクニのニューロンを塗りつぶす!「イヤーッ!」

ベキン!

「………ーーーーッ!!!」鈍い音! ナ、ナムアミダブツ! ミストレスはミクニの奥歯を……握り潰したのだ! あまりの痛みに痙攣し、為す術なく失禁するミクニ!「汚いな、非ニンジャ!」ニンジャはそれを見て笑う!

「どうだね、非ニンジャ。何か言いたいことがあるのではないかね? ン? 首を振ってくれても構わんぞ?」耳障りな笑い声。朦朧とする意識の中、ミクニは力なく横に首を振った。「強情、強情!」ニンジャは手を叩いて笑った。

「……ンンー。だが非ニンジャよ、貴様は思ったより強情のようだな? もっと痛めつけてやりたいが、ショック死されても困る」

ニンジャは懐を弄り注射器を取り出すと、無造作にミクニの腕へと突き立てた。「ンンッ……!」「ZBRだ。これで痛みは止まる」

激痛が嘘のように引いていくが、ミクニの恐れはより強まった。未だ生殺与奪はこのニンジャに握られている。次に何をする気だ? 痛みを与えずに? 未知への恐怖が込み上がる。

「あー、その目だその目! いい目だぞ、非ニンジャ!」ミストレスはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。想像を絶する苦痛を与え、そしてその手段をあっさり捨て、さらなる苦痛をチラつかせる。それは未知を恐れる人間心理を巧みに突いた、ミストレスの拷問ゴールデンコースだった。

目の前の気丈な女は、もはや恐怖に支配された飼い犬に過ぎぬ。情報を吐かせる前に、たっぷりと楽しませてもらおう。そう思い、彼が震えるミクニへ近づいた……その時である!

「Wasshoi!」

天高く響き渡るカラテ・シャウト!

「何、イヤーッ!」

ミストレスは連続側転! CRAAAAAASH! 数ミリ秒前に彼が立っていた地点には赤黒の杭が打ち込まれ、小規模なクレーターと放射状のヒビを作り上げていた。粉塵が舞う中、杭はゆっくりとニンジャに向き直り、ジゴクめいた声でアイサツした。

「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ミストレスです……ベイン・オブ・ソウカイヤ……貴様が何故ここに!」

ミストレスはたじろいだ。恐るべき「忍」「殺」のメンポが彼を威圧する。

「計画を察知したとでも言うのか!?」「ここに来たのは別件だ。だが安心せよ。ついでに痛めつけ、惨たらしく殺してやる」

「貴様は……貴様は俺を殺せぬ! イヤーッ!」

問答からコンマ数秒後、ミストレスはスリケンボウガンのトリガーを引いた! 亜音速のスリケンがニンジャスレイヤーの顔面を狙う! 

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブリッジ回避! スリケンが背後の壁を貫通し、綺麗な縦穴を作る!「イヤーッ!」ミストレスはすかさず次弾を装填、射出! ニンジャスレイヤーの股間を狙う!

だがそんな当然の流れを読めぬニンジャスレイヤーではない!「イヤーッ!」彼はブリッジ姿勢のまま、両手両足に力を込め……自身を上空に打ち上げた! そして空中で姿勢制御! 直立体勢へと戻り、地上のミストレスへスリケン二連投!「イヤーッ!」

「グワーッ!」ミストレスは咄嗟に回避! だが避けきれず、一発目のスリケンが右肩を浅く裂く!「アイエエエ!」二発目のスリケンはミクニの顔面すぐ隣に着弾! ニンジャ同士のイクサ、その極限の緊張アトモスフィアに曝され、彼女はついに気絶する!「ヌゥーッ! 流石!」ミストレスは歯噛みした。

彼は状況判断する。先の言動からして、奴が現れたのは非ニンジャの小娘目当てだろう。ならば女を人質にすれば……「否、それは出来まい。スリケンボウガンは両手を使う武器だ。人質を取ればむしろ不利になる」そう、逆に自分が不利に……

「何ッ!?」「貴様の浅知恵など、容易にエミュレートが可能だ」思考を代弁され驚愕するミストレスに、ニンジャスレイヤーは冷たく言った。

「そして私は貴様のような知将気取りを飽きるほど殺して来た。今回も同様に殺す。観念し、ハイクを詠め。それが最も賢い選択だ」「きッ、きき、貴様……!」ミストレスの顔がみるみる紅潮する! 死神の罵倒と彼自身のプライドがせめぎ合い、取るべき行動の選択肢を潰していく!

「ならばこれは躱せてかーッ!」ミストレスはミクニの左腕を取り、力任せにニンジャスレイヤーへ投げた!「ヌゥッ!」死神はミクニをキャッチ! その隙にミストレスは連続バク転し距離を取り、同時にスリケンボウガンに弾を装填する!

ミクニを抱えるニンジャスレイヤーへ、ミストレスはスリケンボウガンを向ける! その銃身には、一、二……ナムサン! 八枚ものスリケンが横並びに装填されているではないか!「貴様がいくらタツジンとて、この数は躱せまい! 人質を抱えていれば尚更よォーッ!」

「死ね! ニンジャスレイヤー=サン! 死ね!」

カカカカカカカカッ! 特徴的な射出音と共に、放たれるは亜音速の八連装殺人砲弾! 飛ぼうが伏せようが回避は間に合わぬ! ニンジャスレイヤーは……ミクニを離し、鷹の翼めいて両腕を広げたではないか! 自殺行為である!

(ヤッタ!)

勝利を確信し、ミストレスは目を見開く! だが次の瞬間聞こえたのは、夢にまで見た宿敵の断末魔ではなかった!

「ィイイイ……ヤアアアーッ!!!」

熾烈なるカラテ・シャウトと共に、ニンジャスレイヤーは着弾の瞬間、体の前で両手をクロス! 次の瞬間には、その両手に彼を狙っていた全てのスリケンが握られていたのだ! タツジン!

「バカナー!」

驚愕するミストレス! 皆さんの中にニンジャ動体視力をお持ちの者がおられたならば、彼と驚きを共有したことだろう! 交錯の一瞬、ニンジャスレイヤーは一枚目のスリケンを小指と薬指で挟み込んだ! そして次のスリケンが来る前に、薬指と中指の間にスリケンを待ち受けたのだ! 指の合間は八つ! 飛来するスリケンは八枚! そこにあるのは冷酷なるカラテ算数の答え合わせ! なんたる冷静かつ精緻な指さばきであろうか!

そして見よ! ニンジャスレイヤーのこの回避動作は、攻撃の予備動作でもあったのだ!

「ィイイイイヤーッ!!」

クロスさせた両腕を、今度は逆に振り上げる! スリケン八連投! ヒサツ・ワザを破られたことがミストレスの咄嗟の判断を遅らせた!

「グ……グワーッ!」

八枚のスリケンは過たず急所に着弾! さらにニンジャスレイヤーは猛然と突進! チョップで両腕を斬り飛ばす! もはや勝負は決した! 一瞬のカラテが全てを決する……それがニンジャのイクサなのだ!

ミストレスは恥辱と怒りに身悶えした。だが体が動かない。

「グワーッ……ア、アバッ……! き、貴様……」「だから言っただろう。観念してハイクを詠めと」

赤黒の影は無慈悲なる処刑人めいて、ゆっくりと語りかける。激痛が霞ませた視界。そこに映る赤黒の靄は、絶対の死を擬人化したかのようであった。ミストレスは原始的な恐怖に呑まれた。

相手の心を折り、プライドを砕き、その全身を折り砕く……それがニンジャスレイヤーの拷問ゴールデンコースであった。ミストレスはブザマな負け犬めいて震え、恐怖に呑まれ叫んだ。

「ま……待て! ニンジャスレイヤー=サン! お前はアマクダリを、アガメムノンを倒すつもりなのだな!?」「そうだ」「ならば協力しよう! チバ=サンの命を保証してくれるのなら、知る限りの情報を話す!」

彼は必死にまくし立てる。聞かれぬことまでペラペラと、思ってもみなかったほど流暢に。

「お、俺は以前ソウカイヤにいた。アガメムノンに会ったこともある! だから……」「なるほど、有益な情報だ。全て吐くがいい。その上で殺す」「ま……待て!」「ハイクを考えておけ。ミストレス=サン」「ヤ、ヤメロ! 俺に近寄る……ア、アイエエエ! アイエーエエエ!」

◆ ◆ ◆

ミクニが目を覚ますと、二人のニンジャは影も形もなかった。あれは夢だったのか? ……そんな都合の良い妄想は、右腕のあった場所に巻かれた包帯を見て掻き消えた。

「立てるか?」

誰かが彼女に手を差し伸べる。見上げるとイチロー・モリタの姿。

「ニンジャは?」ミクニは呟いた。「奴は死んだ」「……そうですか」彼女は深追いしなかった。

「手当は貴方が?」「応急処置だ。この後、医者へ連れていく」「この後?」「オヌシにはまだ、するべきことが残っている」

探偵は無慈悲に言った。

「オヌシが攫ったテイマの元へ案内せよ」

ドクン! ミクニの心臓が早鐘を打った。彼女はしらばっくれようと考え、モリタ探偵を見上げ……その鋭い目を見て、計画の失敗を悟った。残留ZBRの効果で痛みは無かったが、その事実は何よりも彼女を打ちのめした。

◆ ◆ ◆

ミクニの案内でたどり着いたのは、小さな倉庫のような部屋だった。中へ入るやいなや、ミャオミャオと大量のネコの鳴き声が彼らを出迎える。「ゲンキナ」で見たものと同じ檻が十数個も並び、それらの中には似通った姿のネコが入れられていた。

「……これは」「テイマです」

ミクニは言った。彼女はモリタに肩を借りて一つの檻へ近づくと、鍵を開けて小さなネコを取り出し、手渡した。ネコはモリタを恐れたか、本能的に尻尾を丸めて縮こまった。

「これがテイマだと?」「ええ、これが……」

モリタは返答を待たず、代わりにポケットから何かを取り出し、ネコに嗅がせた。ネコが顔を顰めると、探偵も同じように顔を顰めた。

「違うな、これはテイマではない」「いえ、これはテイマで……」

押し問答が始まる前に、モリタは取り出したものを彼女に突きつけた。それは緑色のヨーカンめいた小さなインゴットであり、不気味な質感を持っていた。

「これは?」「バイオインゴット。オヌシも見たことがあるはず」「何のことで……」シラを切るミクニに、探偵は力強く続けた。「オヌシがテイマを連れ去った理由。それは……テイマがバイオ生物だったから、だな」

「……!」

ミクニは目を見開いた。……ミストレスはアマクダリ・セクトについての情報を吐くだけ吐いたが、今回の事件への関わりを尋ねる前に爆発四散した。ニンジャスレイヤーは加減を間違えたのだ。だが、真相の推理に支障は無し。探偵は推理を語り始めた。

「ミニバイオ生物は、小さい内はバイオインゴットを不要とし、その姿は愛らしい動物にしか見えないという。……アズキ=サンが拾ったのはネコでは無かった。だが、月日が経ち、成長が始まるにつれ……オヌシは異常に気づいた」「……その通りです」使用人は観念し、頷いた。

「ある日、お嬢様が留守の時……テイマが緑色の血を吐いて苦しみ始めた。それがバイオインゴット欠乏により起きるものだと、私は知っていました」「なぜ」「この仕事をしていれば、社会の暗部とは無縁ではいられません。……クローンヤクザをご存知ですか?」「多少は」

「彼らもまた、生存にバイオインゴットを必要とします。管理不足か、それともインゴット費用を節約したかったのか……欠乏症に掛かったクローンヤクザが血を吐き苦しむところを、見たことがあったのです」彼女が淡々と真相を語るのを、モリタは黙って聞いていた。ネコたちは異様なアトモスフィアに怯えたか、鳴き声を上げるものはいなかった。

「私はテイマを隠しました。当社はバイオフリー……バイオ原料の一切不使用を謳っています。社長もお嬢様も、生まれてこの方、バイオ製品に触れたことすらありません。だからこそ……そのペットがバイオ生物であるなど、外部に知られれば……」「……イメージダウンは避けられない、か」

「……あのニンジャは、それを狙って工作し……テイマを用意したのでしょう。脅迫を行うために。実際、明るみに出れば株価は急落するでしょう」ミクニは手に力を込めた。

「それに、我が社はお客様の信頼を元に成り立っています。一度でも裏切りがあれば、彼らは二度と我が社の商品に手を出してはくれないでしょう」「……そこまでか?」「そこまでです」ミクニは断じた。

「信頼とはガラスのようなものです。ほんの僅かな瑕疵があれば、そこから容易に砕け散る。バイオフリーを一度掲げたのであれば、それは完全であり続けなければならないのです」「……本物のテイマはどこにいる」探偵は手元のネコを撫でてやると、静かに尋ねた。

「それがテイマです」「これはテイマではない」「いいえ、それがテイマです。それこそが求められる真実」ミクニは震えた声で言った。「その子こそが本物の”テイマ”となり得るのです」「悪いが、私は哲学にも企業倫理にも興味はない」

「私は探偵だ。依頼人の望んだ真実を暴き、ありのままに伝える。それが唯一の使命だ」「ならば教えません。この命に代えても、絶対に黙り通して……」ミクニは気丈に言おうとしたが、探偵はそれを遮った。

「なれば見つけてみせよう」モリタ探偵は帽子のツバを直した。「まさか」ミクニは怯んだ。

「まず、半自動化したとて、使用人の職務をこなしながら、複数箇所のネコ倉庫を管理できるとは考えづらい。倉庫はこの一箇所であり……テイマはこの倉庫の中にいる」

ミクニは息を呑み、モリタの言葉を聞いていた。探偵は倉庫内を歩き回りながら、推理を続けた。

「そして、オヌシはテイマを隠した。それは何故か? 欠乏症を防ぐためにはバイオインゴットを定期投与せねばならない。だが、そんなことを屋敷で行えば、遅かれ早かれアズキ=サンや家人が気づく。もし欠乏症が起これば、同じく気づかれる」

モリタ探偵は檻の中を見渡した。どれも似たような柄のネコであり、彼には見分けがつかない。だが、見分けがつかないことこそが、彼らがテイマで無いことの証明でもあるのだ。並べられた檻の上を、探偵は撫でていった。その手が何もないところで止まった。「ミャウ」と小さな声が聞こえた。

「ヤメテ」

ミクニが言った。モリタは指を動かし、不可視の”布”を摘んだ。布を除けると、小さな檻があり……そこにはネコめいた何かがいた。体つきはネコであり、顔つきはタイガーめいていた。

「ミニバイオタイガー……それがテイマの正体か」

探偵はバイオインゴットを檻の隙間から差し入れた。テイマはそれを美味そうに食べ……全てが証明された。ミクニはガクリと項垂れた。

「……最後に一つ、聞いておきたい。何故テイマを生かしておいた?」「それは……」「殺しておけば、少なくとも発見されることは無かっただろう」

「……」ミクニは答えなかった。彼女は俯いたまま、悔しさと後悔に……そして混ざり込んだ安堵に、震えた。探偵は静かに言った。「……そうか。オヌシも情が移ったのだな」

薄暗い小さな倉庫に、押し殺した泣き声が響いた。

◆ ◆ ◆

……数週間後。合法サイバネ手術を終えたミクニを連れ、アズキはイチロー・モリタの事務所を訪れた。探偵は知り得た真実を語って聞かせた。有りのままに。彼はテイマをアズキに手渡し、持って依頼達成とした。

テイマの、アズキの、ミクニのその後についてイチロー・モリタは語らない。全ては彼の胸の内にしまいこまれ、義理堅い口が開かれることはない。依頼人の側であっても、それは同じことである。スキャンダルに関わりかねない事柄を、正直に教えてくれることはないだろう。

ただ一つ、その後について付け加えるとするならば……シロイナ化粧品の株価が急落することはなかった。

【ストレイキャット・ストーリー】終わり

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。